ほうきいん|真言宗豊山派
法起院のお参りの記録一覧(2ページ目)

西国巡礼番外札所 法起院さまに参拝致しました。
西国三十三所観音巡礼1巡目を満願した後で、番外参拝でまだお参り出来ておりませんでした。
長谷寺さま(2巡目)に参拝する前に、こちらへお参り致しました。
徳道上人は斉明天皇の御宇二年(西暦六五六年)、播麿の国矢田部の里で誕生なさいました。
その容貌は気品に満ち、眼は真澄鏡(ますみかがみ)のように美しく清らかで、髪の毛は 梳(くしけず)れば滴(したた)るように黒く艶やかに光り、深くたたえられた優雅さと聡明さに里人達は目を見張ったそうです。
成長されるにしたがって読書を好み、手に筆を持つことを無上の楽しみとし、神童との噂の中で 連日精進をお重ねになりました。
しかし、突然起こった不幸は上人の父を奪い、そして数年の後には母も 不帰の客となったのです。
仏の道を極めることこそ人間に生まれた最高の道であり、 亡き父母の菩提を弔うことが今の自分にとっては、真実の報恩であろうと大悟徹底された上人は、当時我が国随一の大名僧であった大和長谷寺の道明大徳との間に師弟の契りをお結びになりました。
約十年間の修行の後、智道兼備の名僧となられた上人は、大和の長谷寺、鎌倉の長谷寺をはじめ諸国に四十九ヶ所の寺院を建立されました。
その中でも大和の長谷寺では本尊大観音を御造立されました。
前記の養老二年の春、突然の病のために仮死状態にあった上人は、夢の中で閻魔大王にお会いになり、悩める人々を救う為に三十三ヶ所の観音菩薩の霊場を広めるように委嘱され、そして三十三ヶ所の宝印を与えられて仮死状態から解放されました。
上人は三十三ヶ所の霊場を設けましたが、人々は上人を信用しなかったので、やむなく宝印を摂津中山寺にお埋めになったと伝えられています。
二百七十年後の永延二年(西暦九八八年)に、花山法皇がこの宝印をお掘り出しになり、今日の三十三ヶ所を復興なさいました。
本堂の左側には、「上人御廟十三重石塔」があり、上人が晩年当院の松の木の上から法起菩薩と化し去ったといわれ、当院の名前もそこからつけられました。
上人が松の木にお登りになったときの、「上人沓脱ぎ石」と称するものも残っています。この石に触れると願い事が叶うと伝えられています。
(パンフレットより)
長谷寺へ向かう途中の直前、右手側にあります。駐車場は手前にあります。
入り口は割と狭いです。
法起院御由緒
弁財天堂
慈抱観音さま
「極楽はよそにはあらじわがこころ
おなじ蓮(はらす)のへだてやはある」
(極楽は遠くにあるものではありません。
あなたの心の中に求めなさい。この世に咲く蓮の花と、あの世の蓮の花とはともに同じ蓮の花です。決して違うものではありません。)
今日の言葉で言えば、自分をじっくりと見つめよという事ではないでしょうか。
(パンフレットより)
びんずる尊者さま
本堂
御本尊 徳道上人 本人による彫刻(寺伝)
こちらで御朱印を頂きました。
仏足石
仏足石 説明
優しいお顔😊
西国巡拝開基徳道上人御廟
十三重石塔
石塔の足元の周囲に、西国霊場各寺院の御砂が納められている。
はがきの木
はがきの木 説明
はがき祈願
願いごとを書いて祈願します。く
地蔵尊
古くからの信者などから寄進され、立ち並ぶ地蔵尊。周囲には水子供養を回向する小さな地蔵像が多数奉納されている。
末広稲荷大明神
馬頭観世音さま
弘法大師さま
御朱印
パンフレット

【法起院】
初めての参拝。
御朱印は3種(御詠歌含む)あるようです。全種類まとめて頂きたい思いを抑え、1種のみ頂きました。
境内に、たらようの木(葉書の木)がありました。京都にも、たらようの木がある大好きなお寺さんがあり、懐かしくなりました。
葉っぱに石や爪で文字が書けて、切手を貼ればちゃんと葉書としてポストに投函できるそうです。落ち葉にしか文字を書いた事がなかったけれど、こちらは青々と茂っている葉っぱに沢山、文字が書かれていました。
四国八十八ヶ所巡りのお砂踏みはよく見かけますが、こちらには西国三十三ヶ所観音霊場のお砂踏みがありました。
直書き
神泉苑の御朱印帳に拝受
藤棚がありました。
お砂踏み
葉書の木
奈良県のおすすめ2選🎎
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