はせでら
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楽しみ方長谷寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2023年04月25日(火) 11時14分33秒
参拝:2023年4月吉日
愚息の中学校進学記念に家族での奈良たび。嫁リクエストの長谷寺参拝です。

もう牡丹の投稿をされている方がいらっしゃるのに、桜の季節の参拝記録です。私自身は2月のだだおしに続いて、今年2度目のお参りです。

国重要文化財指定の仁王門、明治十五年(1882)に火災で焼失し、明治十八年に再建されました。

仁王門をくぐってすぐ右手にある道明上人御廟塔です。
道明上人は、御本尊の十一面観音菩薩像を造立した徳道上人の師といわれる川原寺の僧です。境内の本長谷寺と呼ばれる地に、国宝に指定されている銅板法華説相図を納めた方です。銅板法華説相図の実物は、奈良国立博物館に展示されています。
道明上人は、御本尊の十一面観音菩薩像を造立した徳道上人の師といわれる川原寺の僧です。境内の本長谷寺と呼ばれる地に、国宝に指定されている銅板法華説相図を納めた方です。銅板法華説相図の実物は、奈良国立博物館に展示されています。

399段の石段に屋根のついた登廊です。わが子の病気平癒の願いがかなえられた春日大社の宮司、中臣信清が参拝者が雨でもぬれずに歩けるように、お礼を兼ねて寄進したと言い伝えられています。現在の建物は、明治二十二年に再建されたものです。

外舞台からの眺めです。目の前の大木は天狗杉と呼ばれています。燈籠に小僧さんが明かりを燈しても、夜になると天狗が現れ、明かりを消していきました。これに発奮し、偉くなって天狗を懲らしめようと修行に励んだ小僧さんが、長谷寺の能化(一番上の立場の僧侶)になりました。この方が十四代能化の英岳和尚といわれています。諸堂修繕のため、境内にあった杉を伐採して利用しようという話になりましたが、「自分が発奮して能化となったのも天狗のお陰」ということで、一本の杉の木が残されることになりました。これが今に残る天狗杉とのことです。ちなみに天狗とは、境内の木から木へと飛び回るムササビがその正体ともいわれています。

本堂の外舞台から正面に見下ろされるお堂は僧侶が講義を受ける大講堂と、寺務や来客の接待がされる本坊です。大正八年(1919)から十二年にかけて再建されました。こちらも現在、国の重要文化財に指定されています。

五重塔は、戦後の日本で初めて建てられたものです。昭和二十九年(1954)の再建です。佛舎利とともに、平和を願って戦没の英霊もお祀りされています。桜と紅葉の季節の景色は格別です。

十一面観音菩薩像を造立した徳道上人をお祀りする開山堂です。十一面観音菩薩像がお祀りされたのは神亀四年(727)と伝わります。

本堂は創建から七度、火災で焼け落ち、現在のお堂は徳川家光の寄進を得て、慶安三年(1650)に落慶しました。平成に入り台風の倒木により屋根が損壊し、修理されましたが、その時の調査で、複雑で独特な構造が明らかになり、国宝に指定されました。

仁王門前、右手にある塔頭、普門院です。不動尊をお祀りしています。今回も弘法大師御影堂や本長谷寺、奥之院までは回り切れず下りてきてしまいました。

普門院御本尊の不動明王像です。約850年ほど前の平安時代後期のもので、高野山座主を勤められ、真言宗中興の祖といわれる、興教大師覚鑁(かくばん)上人 の作と伝えられています。大神神社の供僧寺として、聖徳太子の開基で建立された平等寺に祀られていたものが、明治の神仏分離によって平等寺が廃寺となったため、明治八年(1875)に普門院の本尊として迎えられたそうです。こちらの尊像も国の重要文化財に指定されています。

御朱印は弘法大師御生誕一千二百五十年の記念と、十一面観音菩薩像特別拝観のわらしべ長者の印を頂戴しました。
すてき
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全ての寺社に憩いあり。どんなにちいさなお寺や神社、お堂や祠にも、建てた人の願いや手を合わせた人々の思いが詰まっている。そんな空間に身を置くだけで、心癒されるようになりました。 最近は、地元...もっと読む
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