よしのみくまりじんじゃ
吉野水分神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
金峯神社から上千本の吉野水分神社へ。
かなり急な坂道を下ってきました。
妻「登らなくてよかった~」
妻「でも足が疲れた~」(´・ω・`)
ご祭神は天之水分大神。水分(みくまり)とは水が分かれるの意味。一説には吉野の最奥、青根ヶ峰に位置していたとされています。後に「みくまり」が「みこもり」となまり子守=子授けの神としても信奉されるようになったとか。
昨年の投稿はコチラ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgts/Hmgtstk/Dktyzm/144316/62138/
吉野水分神社近くの展望台から見た吉野。黄砂でかすんでいますが画面中央には蔵王堂。尾根上に町が連なる様子がよく分かります。
色褪せた鳥居。吉野の風雪に耐えてきた姿ですね…。
大峯奥駈道の道標
私(蔵王堂まで3km。黙っておこう…)
妻「なんか言った?」
《楼門》(重要文化財)
桃山時代に豊臣秀頼が再建したものと伝わります。
お社はロの字型をしています。
《本殿》
見事な桜🌸
寺社建築と桜はよく合いますね。
吉野でお詣りと桜を堪能した春でした。
《世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」その6》
奥千本の金峯神社より下ること1.6km
上千本に位置する大峯奥駈道第72靡の
吉野水分神社です。
その5へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgts/Hmgtstk/Dktyzm/100029/61642/
その7へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgts/Hmgtstk/Dktyzm/144313/62370/
《本殿》(重要文化財)
何度の冬を乗り越えてきたのでしょうか。
今も美しい姿を見せてくれています。
《楼門》(重要文化財)
慶長9年(1604年)に豊臣秀頼によって再建されたといわれています。
《一の鳥居》
急な階段と色褪せた朱色。
吉野の奥深い地で風雪に耐えてきた姿です。
金峯神社から吉野水分神社へ下る道の途中に立派な不動明王像が建っています。
奥駈道を上る修験者を見守ってきたのでしょう。
《大峯奥駈道の道標》
ここは第72靡。目指す熊野ははるか先です。
《大峯奥駈道/スタート地点》
第75靡柳の渡しです。
吉野川にかかる美吉野橋の近くにあります。
修験者たちは柳の渡しより吉野川に入り身を清めてから金峯山寺へ向かいます。
水分(みくまり)とは水が分かれるの意。
一説には吉野水分神社はもともと吉野山の最深部「青根ヶ峰」に位置していたと言われています。
後に「みくまり」が「みこもり」となまって子宝の神として信仰されるようにもなったとも。
主祭神は天之水分大神。
水を司る神です。
吉野山下山のおり立ち寄り参拝させて頂きました。
水分神とは水の分配を司る神様。「くまり」は「配り(くばり)」の意で、水源地や水路の分水点などに祀られるので、農家には欠かせない神様なのですが、ここでは、「みくまり」が「みこもり」となまり、子守明神と呼ばれ子授けの神として信仰を集めています。
ですので中には乳房の形に作られた、お手玉のような願掛け物に溢れてます。
また、秀吉もここを参拝したことで秀頼が授かったという話もあり、その豊臣秀頼によって造営され、秀頼が送った釜なども見ることができますが、なんともこのお釜、ポツンと置かれているだけで聞かなければなんだろうって思いました(笑)
それにしても社殿は見事です。
狭い境内ですが、堂々とした建造物がコの字型に建っています。
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