よしのみくまりじんじゃ
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楽しみ方吉野水分神社(吉野町)の御由緒・歴史
| ご祭神 | 正殿:主祭神 - 天之水分大神 右殿:配祀神 - 天津彦火瓊瓊杵命、玉依姫命、天萬栲幡千幡比咩命 左殿:配祀神 - 高皇産霊神、少名彦神、御子神 | |
|---|---|---|
| ご由緒 | 創建については不詳である。当社に関する最も古い記録は、『続日本紀』の文武天皇2年(698年)4月29日条で、芳野水分峰神に馬を奉り祈雨したとの記述である。 当神社は、元来は吉野山の最奥部、吉野町、黒滝村、川上村の境に位置する青根ヶ峰に位置したとされる。青根ヶ峰は吉野川の支流である音無川が東へ、喜佐谷川が北へ、秋野川が西へ流れるなどの源流となる山で「水分 = 水配り」の神の鎮座地にふさわしい。大同元年(806年)ごろに現在地へ遷座した。延喜式神名帳では「大和国吉野郡 吉野水分神社」として記載され、大社に列し、月次・新嘗の幣帛に預ると記されている。前防家が社家。平安時代中期ごろから「子守明神」と呼ばれるようになった。豊臣秀吉もこの地を訪れ秀頼を授かったといわれる。現在の社殿は慶長10年(1605年)に秀頼によって創建されたものである。作事の奉行を務めたのは豊臣家臣で尼崎郡代の建部光重。神仏習合時代には、水分神は地蔵菩薩の垂迹とされ(子守権現)、金峰山の蔵王権現(金峯山寺)に属する神社として修験道の行場の一つとなっていた。明治の神仏分離によって金峯山寺より独立し、村社に列格した。 |
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吉野水分神社 世界遺産

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世界遺産・紀伊山地にて過去参拝。
記録として投稿させて頂きます。

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参拝させて頂きました。個人的にはこの日最もインパクトあった神社です。建物は本殿など重要文化財に指定…

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吉野山上千本にある神社です。
この神社の名前は「水分」と書いて「みくまり」と読みます。「みくまり…

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吉野水分神社って凄い気持ちいい空気が流れてます。まだ少し雪が残ってましたが春先からもっと雰囲気良く…

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鳥居をくぐってから、正面ではなく片側に社殿…

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平成29年11月3日(金)
大阪から吉野山に出かけて散策。
奈良県吉野町の吉野水分神社

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平成26年(2014年)4月19日(土)
奈良県の吉野山へ。近鉄の吉野駅から奥千本まで歩いて往復…
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大和国水分(みくまり)四社巡り二社目。
宮司さんは不在でしたが、台帳に名前記入などをすると、後日…
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