御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年11月四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年11月
南法華寺(壷阪寺)ではいただけません
広告

みなみほっけじ(つぼさかでら)|真言宗壺阪山

南法華寺(壷阪寺)
奈良県 壺阪山駅

午前8時30分~午後5時まで

御朱印について
御朱印
あり

通常いただける御朱印は、御本尊と御詠歌の2種類。また毎月18日に特別朱印を押印していだけます(奇数と偶数月で印が違います)。2022年3月31日まで左上に西国三十三所草創1300年記念でメガネに「慈…

限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

第一駐車場 33台(大型4台・普通車30台)
第二駐車場 53台(大型6台・普通車50台)
駐車料金(1日):普通車 500円/バス 2,000円/自動二輪 200円

南法華寺(壷阪寺)について

眼病封じのお寺


西国三十三カ所第六番札所

おすすめの投稿

sasaki3
sasaki3
2024年10月19日(土)
1176投稿

南法華寺 (壺阪寺) 西国三十三霊場

南法華寺(壷阪寺)の御朱印

南法華寺 (壺阪寺) 西国三十三霊場

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

南法華寺 (壺阪寺) 西国三十三霊場

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

南法華寺 (壺阪寺) 西国三十三霊場

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

南法華寺 (壺阪寺) 西国三十三霊場

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

南法華寺 (壺阪寺) 西国三十三霊場

もっと読む
くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年07月22日(月)
2003投稿

奈良県高市郡高取町にあるお寺です。西国三十三所巡りでお参りしました。
境内は見どころ満載で 全部紹介できません。
一大イベント 御本尊のお身ぬぐいだけ紹介します。
拝観受付で 御本尊のお身ぬぐいができると聞きましたので お願いしました。
本堂に入ってチケットをお渡しすると 説明していただけます。
御本尊のすぐ手前で お身ぬぐいの布と像香炉があり そこで準備をします。
香炉の煙に手をかざして心身を清めます。
袋に入った浄布を使って観音様のお膝をお身ぬぐいします。
布は袋に入れて持ち帰り 観音様とご縁を結んだお守りとします。
この日はとても暑かったため 参拝者がそれほど多くなかったため 並ばずにできました。
いやぁ貴重な体験をさせていただけました。
この日は半日だけのお参りだったので これで終了です。
ドライブは往復で3時間でした。

南法華寺の山号は壺阪山 宗旨は真言宗 宗派は単立 ご本尊は十一面千手観世音菩薩です。

由緒については
草創については不明な点が多いが 伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれたとされる。
後に元正天皇の祈願寺となった。
平安時代 京都の清水寺が北法華寺と呼ばれるのに対し当寺は南法華寺と呼ばれ 長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えた。
承和14年(847年)には長谷寺とともに定額寺に列せられている。
貴族達の参拝も盛んであり 清少納言の『枕草子』には「寺は壺坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺の筆頭に挙げられている。
また 寛弘4年(1007年)左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊している。
往時は36堂60余坊もの堂舎があったが 嘉保3年(1096年)に火災にあい伽藍のほとんどが灰燼に帰した。
その後 子島寺の真興上人が当寺の復興にあたり これにより当寺は真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となった。
とありました。

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

外門入ってすぐ

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

縁起

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

大講堂

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

アジサイがお出迎え

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

ガラス鉢に入っています

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

由緒書

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)
南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

石柱

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

山門 仁王様がいない

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

千手観音?

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

慈眼堂

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)
南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

仏様が寝ていらっしゃる

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

三重塔

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

礼堂

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

本堂に入って 不動明王

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

拝所

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

大日如来像

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

阿弥陀如来像

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

不動明王 再び(違う像)

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

祈祷所

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

御本尊の説明

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

執金剛神

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

御本尊お身ぬぐいの

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

この布でお身ぬぐいします

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

本尊脇に

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

御本尊

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

本尊脇に

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

夫婦観音

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

夫婦観音像の説明

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

奉納された観音像

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

他にも古い仏様

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

中興堂

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

内陣

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

天竺門

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

鐘楼

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

天竺渡来佛伝図レリーフ

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

多宝塔

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

天竺渡来 大釈迦如来石像

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

説明書き

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

天竺渡来 星曼荼羅石板

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

説明書き

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

天竺渡来 大石堂

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

大仏舎利石塔

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

十一面千手観音石像

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

仁王像

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

仁王像

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

天竺渡来 大釈迦如来石像

もっと読む
投稿をもっと見る(144件)

歴史

創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれる。境内からは当時の藤原宮の時期の瓦が多数出土している。その後、元正天皇に奏じて御祈願寺となった。
平安期には、長谷寺とともに定額寺に列せられ(847年)、平安貴族達の参拝も盛んになり、ことに清少納言は「枕草子」のなかで「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺として、筆頭に挙げている。また、左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊したという記録も残っている(1007年)。
この頃、子島寺の真興上人が壷阪寺の復興にあたり、真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となり、三十三所の観音霊場信仰とともに、寺門は大いに栄えていった。
その後数度の火災にあうが、その度に山僧の合力により再建がなされてきた。
しかし、南北朝や戦国の動乱に巻き込まれ、当時庇護を受けていた越智氏の滅亡とともに壷阪寺も衰退していく。
一時は山内に三十六堂、六十余坊の大伽藍を配していたが、境内には三重塔と僅かな諸坊を残すだけとなった。
近世の壷阪寺は豊臣秀吉の弟秀長の家来本多利久が高取城主となり、本多氏とその後明治の廃藩置県まで続く藩主植村氏の庇護を受け復興していった。
明治の初め、盲目の夫沢市とその妻お里の夫婦の物語、人形浄瑠璃『壺坂霊験記』が初演され、歌舞伎、講談、浪曲となり壷阪寺の名は大きく世に広まっていった。(壺坂霊験記)

歴史をもっと見る|
5

南法華寺(壷阪寺)の基本情報

住所奈良県高市郡高取町壷阪3
行き方

近鉄壺阪山駅下車 バスまたはタクシーで

アクセスを詳しく見る
名称南法華寺(壷阪寺)
読み方みなみほっけじ(つぼさかでら)
通称壺阪寺
参拝時間

午前8時30分~午後5時まで

参拝料

大人(18歳以上) 600円 小人(17歳以下) 100円 幼児(5歳以下) 無料

トイレあり
御朱印あり

通常いただける御朱印は、御本尊と御詠歌の2種類。また毎月18日に特別朱印を押印していだけます(奇数と偶数月で印が違います)。2022年3月31日まで左上に西国三十三所草創1300年記念でメガネに「慈眼」の文字が入った印をいただけます。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0744-52-2016
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.tsubosaka1300.or.jp/index.html
おみくじあり
絵馬あり
SNS

巡礼の詳細情報

神仏霊場巡拝の道

西国三十三所霊場

詳細情報

ご本尊十一面千手千眼観世音菩薩
山号壺阪山
宗旨・宗派真言宗
創建時代703年(大宝3年)
開山・開基弁基上人
文化財

礼堂・三重塔(重要文化財)

ご由緒

創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれる。境内からは当時の藤原宮の時期の瓦が多数出土している。その後、元正天皇に奏じて御祈願寺となった。
平安期には、長谷寺とともに定額寺に列せられ(847年)、平安貴族達の参拝も盛んになり、ことに清少納言は「枕草子」のなかで「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺として、筆頭に挙げている。また、左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊したという記録も残っている(1007年)。
この頃、子島寺の真興上人が壷阪寺の復興にあたり、真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となり、三十三所の観音霊場信仰とともに、寺門は大いに栄えていった。
その後数度の火災にあうが、その度に山僧の合力により再建がなされてきた。
しかし、南北朝や戦国の動乱に巻き込まれ、当時庇護を受けていた越智氏の滅亡とともに壷阪寺も衰退していく。
一時は山内に三十六堂、六十余坊の大伽藍を配していたが、境内には三重塔と僅かな諸坊を残すだけとなった。
近世の壷阪寺は豊臣秀吉の弟秀長の家来本多利久が高取城主となり、本多氏とその後明治の廃藩置県まで続く藩主植村氏の庇護を受け復興していった。
明治の初め、盲目の夫沢市とその妻お里の夫婦の物語、人形浄瑠璃『壺坂霊験記』が初演され、歌舞伎、講談、浪曲となり壷阪寺の名は大きく世に広まっていった。(壺坂霊験記)

体験御朱印札所・七福神巡り

Wikipediaからの引用

概要
南法華寺(みなみほっけじ)は、奈良県高市郡高取町壺阪にある真言宗系単立の寺院。山号は壺阪山。本尊は十一面千手観世音菩薩。一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られる。西国三十三所第6番札所。 本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか    ご詠歌:岩をたて水をたたえて壺阪の 庭のいさごも浄土なるらん
歴史
歴史[編集] 草創については不明な点が多いが、伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれたとされる。後に元正天皇の祈願寺となった。 平安時代、京都の清水寺が北法華寺と呼ばれるのに対し当寺は南法華寺と呼ばれ、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えた。承和14年(847年)には長谷寺とともに定額寺に列せられている。貴族達の参拝も盛んであり、清少納言の『枕草子』には「寺は壺坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺の筆頭に挙げられている。また、寛弘4年(1007年)左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊している。 往時は36堂60余坊もの堂舎があったが、嘉保3年(1096年)に...Wikipediaで続きを読む
引用元情報南法華寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8D%97%E6%B3%95%E8%8F%AF%E5%AF%BA&oldid=100479655
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ