みなみほっけじ(つぼさかでら)|真言宗|壺阪山
南法華寺(壷阪寺)奈良県 壺阪山駅
午前8時30分~午後5時まで
御朱印 | 通常いただける御朱印は、御本尊と御詠歌の2種類。また毎月18日に特別朱印を押印していだけます(奇数と偶数月で印が違います)。2022年3月31日まで左上に西国三十三所草創1300年記念でメガネに「慈… | ||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 第一駐車場 33台(大型4台・普通車30台)
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南法華寺 (壺阪寺) 西国三十三霊場
南法華寺 (壺阪寺) 西国三十三霊場
南法華寺 (壺阪寺) 西国三十三霊場
南法華寺 (壺阪寺) 西国三十三霊場
南法華寺 (壺阪寺) 西国三十三霊場
南法華寺 (壺阪寺) 西国三十三霊場
奈良県高市郡高取町にあるお寺です。西国三十三所巡りでお参りしました。
境内は見どころ満載で 全部紹介できません。
一大イベント 御本尊のお身ぬぐいだけ紹介します。
拝観受付で 御本尊のお身ぬぐいができると聞きましたので お願いしました。
本堂に入ってチケットをお渡しすると 説明していただけます。
御本尊のすぐ手前で お身ぬぐいの布と像香炉があり そこで準備をします。
香炉の煙に手をかざして心身を清めます。
袋に入った浄布を使って観音様のお膝をお身ぬぐいします。
布は袋に入れて持ち帰り 観音様とご縁を結んだお守りとします。
この日はとても暑かったため 参拝者がそれほど多くなかったため 並ばずにできました。
いやぁ貴重な体験をさせていただけました。
この日は半日だけのお参りだったので これで終了です。
ドライブは往復で3時間でした。
南法華寺の山号は壺阪山 宗旨は真言宗 宗派は単立 ご本尊は十一面千手観世音菩薩です。
由緒については
草創については不明な点が多いが 伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれたとされる。
後に元正天皇の祈願寺となった。
平安時代 京都の清水寺が北法華寺と呼ばれるのに対し当寺は南法華寺と呼ばれ 長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えた。
承和14年(847年)には長谷寺とともに定額寺に列せられている。
貴族達の参拝も盛んであり 清少納言の『枕草子』には「寺は壺坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺の筆頭に挙げられている。
また 寛弘4年(1007年)左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊している。
往時は36堂60余坊もの堂舎があったが 嘉保3年(1096年)に火災にあい伽藍のほとんどが灰燼に帰した。
その後 子島寺の真興上人が当寺の復興にあたり これにより当寺は真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となった。
とありました。
外門入ってすぐ
縁起
大講堂
アジサイがお出迎え
ガラス鉢に入っています
由緒書
石柱
山門 仁王様がいない
千手観音?
慈眼堂
仏様が寝ていらっしゃる
三重塔
礼堂
本堂に入って 不動明王
拝所
大日如来像
阿弥陀如来像
不動明王 再び(違う像)
祈祷所
御本尊の説明
執金剛神
御本尊お身ぬぐいの
この布でお身ぬぐいします
本尊脇に
御本尊
本尊脇に
夫婦観音
夫婦観音像の説明
奉納された観音像
他にも古い仏様
中興堂
内陣
天竺門
鐘楼
天竺渡来佛伝図レリーフ
多宝塔
天竺渡来 大釈迦如来石像
説明書き
天竺渡来 星曼荼羅石板
説明書き
天竺渡来 大石堂
大仏舎利石塔
十一面千手観音石像
仁王像
仁王像
天竺渡来 大釈迦如来石像
創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれる。境内からは当時の藤原宮の時期の瓦が多数出土している。その後、元正天皇に奏じて御祈願寺となった。
平安期には、長谷寺とともに定額寺に列せられ(847年)、平安貴族達の参拝も盛んになり、ことに清少納言は「枕草子」のなかで「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺として、筆頭に挙げている。また、左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊したという記録も残っている(1007年)。
この頃、子島寺の真興上人が壷阪寺の復興にあたり、真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となり、三十三所の観音霊場信仰とともに、寺門は大いに栄えていった。
その後数度の火災にあうが、その度に山僧の合力により再建がなされてきた。
しかし、南北朝や戦国の動乱に巻き込まれ、当時庇護を受けていた越智氏の滅亡とともに壷阪寺も衰退していく。
一時は山内に三十六堂、六十余坊の大伽藍を配していたが、境内には三重塔と僅かな諸坊を残すだけとなった。
近世の壷阪寺は豊臣秀吉の弟秀長の家来本多利久が高取城主となり、本多氏とその後明治の廃藩置県まで続く藩主植村氏の庇護を受け復興していった。
明治の初め、盲目の夫沢市とその妻お里の夫婦の物語、人形浄瑠璃『壺坂霊験記』が初演され、歌舞伎、講談、浪曲となり壷阪寺の名は大きく世に広まっていった。(壺坂霊験記)
名称 | 南法華寺(壷阪寺) |
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読み方 | みなみほっけじ(つぼさかでら) |
通称 | 壺阪寺 |
参拝時間 | 午前8時30分~午後5時まで |
参拝料 | 大人(18歳以上) 600円 小人(17歳以下) 100円 幼児(5歳以下) 無料 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 通常いただける御朱印は、御本尊と御詠歌の2種類。また毎月18日に特別朱印を押印していだけます(奇数と偶数月で印が違います)。2022年3月31日まで左上に西国三十三所草創1300年記念でメガネに「慈眼」の文字が入った印をいただけます。 |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0744-52-2016 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.tsubosaka1300.or.jp/index.html |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
神仏霊場巡拝の道 | |
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西国三十三所霊場 |
ご本尊 | 十一面千手千眼観世音菩薩 |
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山号 | 壺阪山 |
宗旨・宗派 | 真言宗 |
創建時代 | 703年(大宝3年) |
開山・開基 | 弁基上人 |
文化財 | 礼堂・三重塔(重要文化財) |
ご由緒 | 創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれる。境内からは当時の藤原宮の時期の瓦が多数出土している。その後、元正天皇に奏じて御祈願寺となった。
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体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
概要 | 南法華寺(みなみほっけじ)は、奈良県高市郡高取町壺阪にある真言宗系単立の寺院。山号は壺阪山。本尊は十一面千手観世音菩薩。一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られる。西国三十三所第6番札所。 本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか ご詠歌:岩をたて水をたたえて壺阪の 庭のいさごも浄土なるらん |
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歴史 | 歴史[編集] 草創については不明な点が多いが、伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれたとされる。後に元正天皇の祈願寺となった。 平安時代、京都の清水寺が北法華寺と呼ばれるのに対し当寺は南法華寺と呼ばれ、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えた。承和14年(847年)には長谷寺とともに定額寺に列せられている。貴族達の参拝も盛んであり、清少納言の『枕草子』には「寺は壺坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺の筆頭に挙げられている。また、寛弘4年(1007年)左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊している。 往時は36堂60余坊もの堂舎があったが、嘉保3年(1096年)に...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「南法華寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8D%97%E6%B3%95%E8%8F%AF%E5%AF%BA&oldid=100479655 |
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