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みなみほっけじ(つぼさかでら)|真言宗

南法華寺(壷阪寺)

奈良県 壺阪山駅

午前8時30分~午後5時まで

投稿する
0744-52-2016

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり

通常いただける御朱印は、御本尊と御詠歌の2種類。また毎月18日に特別朱印を押印していだけます(奇数と偶数月で印が違います)。2022年3月31日まで左上に西国三十三所草創1300年記念でメガネに「慈眼」の文字が入った印をいただけます。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

巡礼

ご利益

南法華寺(壷阪寺)について

眼病封じのお寺


西国三十三カ所第六番札所

おすすめの投稿

nomuten
2021年04月04日(日)
422投稿

今回は奈良県の西国三十三所観音霊場&重文・仏像巡りです。
先ずは、明日香村の南の高取町に在る西国三十三所観音霊場 第6番の壺阪山 南法華寺、通称 壺阪寺で眼病封じの寺として有名です。
真言宗単一宗派、本尊は十一面千手観音。
伝えによると、創建は703年で、後に元正天皇の祈願寺となる。かなりの規模の伽藍であったが、度重なる火災や兵火により衰退。1600年前後に高取城主により復興された。また、インド政府との関係が深く、デカイ観音像、大仏、涅槃像、お堂、レリーフ等があります。
重文は三重塔(大日如来を安置、毎年期間限定で開扉)と礼堂です。礼堂は本尊が祀られている本堂(八角円堂)に繋がるお堂です。
さて、例年なら桜が丁度いい時期なのですが、今年は開花がえらい早かったため、かなり散っていて残念。でも代わりに?大雛曼荼羅の公開があり2,500体の雛飾り🎎は壮観でした。これからは山吹の花が咲き誇るそうです。
人出も多く、9:00に到着しましたが、上の駐車場は満車で、下の駐車場も7割位埋まってました。(8:30開門)人気の寺院なんですね。
本尊は室町時代作の目鼻立ちがはっきりとしたお顔で余り目にしないタイプ、本尊の廻りにも(八角円堂なのでぐるっと廻れる)なかなかの仏像が多数祀られています。
その他、多宝塔に平安時代作の大日如来(三重塔開扉と同時期に開扉)、灌頂堂に室町時代作の十一面千手観音、大講堂に平安時代作の多聞天と増長天や鎌倉時代作の薬師如来と平安時代作の不動明王が祀られています。今回は大講堂にも多数の雛飾りがありました。
境内は広大です。公道を歩道橋で越えると巨大な観音像や涅槃像がありますが、今回は先を急いでいたためパスしました。
尚、駐車場は500円で約80台停めれます。
(交通整理する方々がいますので有料なのは致し方ないかなと。)

南法華寺(壷阪寺)の御朱印

御朱印(軸装納経帳)

南法華寺(壷阪寺)の建物その他南法華寺(壷阪寺)の山門

山門

南法華寺(壷阪寺)の像

阿形

南法華寺(壷阪寺)の像

吽形

南法華寺(壷阪寺)の手水

手水

南法華寺(壷阪寺)の建物その他

多宝塔

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

灌頂堂

南法華寺(壷阪寺)の建物その他

三重塔

南法華寺(壷阪寺)の建物その他

礼堂

南法華寺(壷阪寺)の建物その他

礼堂入口

南法華寺(壷阪寺)の建物その他

大雛曼荼羅(礼堂内)

南法華寺(壷阪寺)の仏像

本尊・十一面千手観音

南法華寺(壷阪寺)の建物その他

鐘楼

南法華寺(壷阪寺)の建物その他南法華寺(壷阪寺)の仏像南法華寺(壷阪寺)の仏像南法華寺(壷阪寺)の建物その他

雛飾り(大講堂内)

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

雛飾り(大講堂内)

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とし
2021年07月22日(木)
174投稿

《西国三十三所霊場 その6》

妻「今日も行くぞー」(^o^)丿
私「暑い…」( ;∀;)

元気な妻に連れ出されてお参りへ。
西国三十三所霊場の続きです。

藤原京の真南に位置しており、北から藤原京→40代天武・41代持統天皇陵→42代文武天皇陵→南法華寺がほぼ直線上に並んでいます。この配置にどんな意味が込められたのか、想像をかきたてられます。伝承によれば開基は703年、これは文武天皇の在位時です。

後に44代元正天皇の祈願寺となった当寺は貴族の参拝も盛んだったとされていますが、残念ながら1096年の火災で伽藍のほとんどを焼失したそうです。しかし室町時代に再建された礼堂や三重塔は重要文化財として、現在に伝わっています。

その7へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtr/Hmgtrtr/Dmgg/14490/173623/
その5へ
https://hotokami.jp/area/osaka/Hmatz/Hmatztk/Dzasa/9160/166040/

南法華寺(壷阪寺)の御朱印

《ご朱印》
眼病封じのお寺さん

南法華寺(壷阪寺)の建物その他

《寺号標》

南法華寺(壷阪寺)の山門

《仁王門》

南法華寺(壷阪寺)の建物その他

仁王さんの下駄

南法華寺(壷阪寺)の仏像

《石仏》
境内のあちこちで天竺を感じるお寺さんです。

南法華寺(壷阪寺)の手水

《手水》

南法華寺(壷阪寺)の建物その他

《多宝塔》
平安時代作の大日如来坐像(秘仏)が祀られます。

南法華寺(壷阪寺)(奈良県)南法華寺(壷阪寺)の建物その他

《礼堂》(重要文化財)

南法華寺(壷阪寺)の本殿

(-人-)ナムナム

南法華寺(壷阪寺)の仏像

お不動さん

南法華寺(壷阪寺)の建物その他南法華寺(壷阪寺)の仏像

《執金剛像》

南法華寺(壷阪寺)の仏像

《ご本尊》
十一面千手観世音菩薩坐像
(三脚不使用なら撮影可)

南法華寺(壷阪寺)の建物その他

《三重塔》(重要文化財)

南法華寺(壷阪寺)の建物その他南法華寺(壷阪寺)(奈良県)

《中興堂》

南法華寺(壷阪寺)の仏像

増長天立像(平安時代)

南法華寺(壷阪寺)の像

多聞天像(平安時代)

南法華寺(壷阪寺)の仏像

薬師如来坐像(鎌倉時代)

南法華寺(壷阪寺)の建物その他

《境内》
ため息が出るばかりの寺宝の数々を満喫したお参りでした。

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歴史

創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれる。境内からは当時の藤原宮の時期の瓦が多数出土している。その後、元正天皇に奏じて御祈願寺となった。
平安期には、長谷寺とともに定額寺に列せられ(847年)、平安貴族達の参拝も盛んになり、ことに清少納言は「枕草子」のなかで「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺として、筆頭に挙げている。また、左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊したという記録も残っている(1007年)。
この頃、子島寺の真興上人が壷阪寺の復興にあたり、真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となり、三十三所の観音霊場信仰とともに、寺門は大いに栄えていった。
その後数度の火災にあうが、その度に山僧の合力により再建がなされてきた。
しかし、南北朝や戦国の動乱に巻き込まれ、当時庇護を受けていた越智氏の滅亡とともに壷阪寺も衰退していく。
一時は山内に三十六堂、六十余坊の大伽藍を配していたが、境内には三重塔と僅かな諸坊を残すだけとなった。
近世の壷阪寺は豊臣秀吉の弟秀長の家来本多利久が高取城主となり、本多氏とその後明治の廃藩置県まで続く藩主植村氏の庇護を受け復興していった。
明治の初め、盲目の夫沢市とその妻お里の夫婦の物語、人形浄瑠璃『壺坂霊験記』が初演され、歌舞伎、講談、浪曲となり壷阪寺の名は大きく世に広まっていった。(壺坂霊験記)

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南法華寺(壷阪寺)の基本情報

住所奈良県高市郡高取町壷阪3
行き方

近鉄壺阪山駅下車 バスまたはタクシーで

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名称南法華寺(壷阪寺)
読み方みなみほっけじ(つぼさかでら)
通称壺阪寺
参拝時間

午前8時30分~午後5時まで

御朱印あり

通常いただける御朱印は、御本尊と御詠歌の2種類。また毎月18日に特別朱印を押印していだけます(奇数と偶数月で印が違います)。2022年3月31日まで左上に西国三十三所草創1300年記念でメガネに「慈眼」の文字が入った印をいただけます。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0744-52-2016
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.tsubosaka1300.or.jp/index.html
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご本尊十一面千手千眼観世音菩薩
宗旨・宗派真言宗
ご由緒

創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれる。境内からは当時の藤原宮の時期の瓦が多数出土している。その後、元正天皇に奏じて御祈願寺となった。
平安期には、長谷寺とともに定額寺に列せられ(847年)、平安貴族達の参拝も盛んになり、ことに清少納言は「枕草子」のなかで「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺として、筆頭に挙げている。また、左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊したという記録も残っている(1007年)。
この頃、子島寺の真興上人が壷阪寺の復興にあたり、真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となり、三十三所の観音霊場信仰とともに、寺門は大いに栄えていった。
その後数度の火災にあうが、その度に山僧の合力により再建がなされてきた。
しかし、南北朝や戦国の動乱に巻き込まれ、当時庇護を受けていた越智氏の滅亡とともに壷阪寺も衰退していく。
一時は山内に三十六堂、六十余坊の大伽藍を配していたが、境内には三重塔と僅かな諸坊を残すだけとなった。
近世の壷阪寺は豊臣秀吉の弟秀長の家来本多利久が高取城主となり、本多氏とその後明治の廃藩置県まで続く藩主植村氏の庇護を受け復興していった。
明治の初め、盲目の夫沢市とその妻お里の夫婦の物語、人形浄瑠璃『壺坂霊験記』が初演され、歌舞伎、講談、浪曲となり壷阪寺の名は大きく世に広まっていった。(壺坂霊験記)

体験御朱印札所・七福神巡り

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