みなみほっけじ(つぼさかでら)|真言宗
南法華寺(壷阪寺)
奈良県 壺阪山駅
午前8時30分~午後5時まで
今回は奈良県の西国三十三所観音霊場&重文・仏像巡りです。
先ずは、明日香村の南の高取町に在る西国三十三所観音霊場 第6番の壺阪山 南法華寺、通称 壺阪寺で眼病封じの寺として有名です。
真言宗単一宗派、本尊は十一面千手観音。
伝えによると、創建は703年で、後に元正天皇の祈願寺となる。かなりの規模の伽藍であったが、度重なる火災や兵火により衰退。1600年前後に高取城主により復興された。また、インド政府との関係が深く、デカイ観音像、大仏、涅槃像、お堂、レリーフ等があります。
重文は三重塔(大日如来を安置、毎年期間限定で開扉)と礼堂です。礼堂は本尊が祀られている本堂(八角円堂)に繋がるお堂です。
さて、例年なら桜が丁度いい時期なのですが、今年は開花がえらい早かったため、かなり散っていて残念。でも代わりに?大雛曼荼羅の公開があり2,500体の雛飾り🎎は壮観でした。これからは山吹の花が咲き誇るそうです。
人出も多く、9:00に到着しましたが、上の駐車場は満車で、下の駐車場も7割位埋まってました。(8:30開門)人気の寺院なんですね。
本尊は室町時代作の目鼻立ちがはっきりとしたお顔で余り目にしないタイプ、本尊の廻りにも(八角円堂なのでぐるっと廻れる)なかなかの仏像が多数祀られています。
その他、多宝塔に平安時代作の大日如来(三重塔開扉と同時期に開扉)、灌頂堂に室町時代作の十一面千手観音、大講堂に平安時代作の多聞天と増長天や鎌倉時代作の薬師如来と平安時代作の不動明王が祀られています。今回は大講堂にも多数の雛飾りがありました。
境内は広大です。公道を歩道橋で越えると巨大な観音像や涅槃像がありますが、今回は先を急いでいたためパスしました。
尚、駐車場は500円で約80台停めれます。
(交通整理する方々がいますので有料なのは致し方ないかなと。)
御朱印(軸装納経帳)
山門
阿形
吽形
手水
多宝塔
灌頂堂
三重塔
礼堂
礼堂入口
大雛曼荼羅(礼堂内)
本尊・十一面千手観音
鐘楼
雛飾り(大講堂内)
雛飾り(大講堂内)
《西国三十三所霊場 その6》
妻「今日も行くぞー」(^o^)丿
私「暑い…」( ;∀;)
元気な妻に連れ出されてお参りへ。
西国三十三所霊場の続きです。
藤原京の真南に位置しており、北から藤原京→40代天武・41代持統天皇陵→42代文武天皇陵→南法華寺がほぼ直線上に並んでいます。この配置にどんな意味が込められたのか、想像をかきたてられます。伝承によれば開基は703年、これは文武天皇の在位時です。
後に44代元正天皇の祈願寺となった当寺は貴族の参拝も盛んだったとされていますが、残念ながら1096年の火災で伽藍のほとんどを焼失したそうです。しかし室町時代に再建された礼堂や三重塔は重要文化財として、現在に伝わっています。
その7へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtr/Hmgtrtr/Dmgg/14490/173623/
その5へ
https://hotokami.jp/area/osaka/Hmatz/Hmatztk/Dzasa/9160/166040/
《ご朱印》
眼病封じのお寺さん
《寺号標》
《仁王門》
仁王さんの下駄
《石仏》
境内のあちこちで天竺を感じるお寺さんです。
《手水》
《多宝塔》
平安時代作の大日如来坐像(秘仏)が祀られます。
《礼堂》(重要文化財)
(-人-)ナムナム
お不動さん
《執金剛像》
《ご本尊》
十一面千手観世音菩薩坐像
(三脚不使用なら撮影可)
《三重塔》(重要文化財)
《中興堂》
増長天立像(平安時代)
多聞天像(平安時代)
薬師如来坐像(鎌倉時代)
《境内》
ため息が出るばかりの寺宝の数々を満喫したお参りでした。
西国33所めぐりで参拝。
やたら参拝客がいると思っていたら、今日は西国1300年記念法要があるらしい。
石仏がたくさんある。
所々にインドのテイストが入っている。
本尊は十一面千手観音。
人形浄瑠璃「壺坂霊験記」の舞台になっており、眼病封じの観音様霊験があるといわれる。
盲目の沢市は、妻のお里が明け方になると出掛けていくのに気付き、男ができたのではと疑い妻を問い詰める。お里はこの三年間、沢市の目が治るようにと壷阪寺の観音様に願掛けに行っていたと打ち明ける。邪推を恥じた沢市は、お里とともに観音詣りを始めるが、目の見えない自分がいては将来お里の足手まといになると考え、満願の日にお里に隠れて滝壺に身を投げる。夫の死を知り悲しんだお里も、夫のあとを追って身を投げてしまう。二人の夫婦愛を聞き届けた観音の霊験により奇跡が起こり、二人は助かり、沢市の目も再び見えるようになる。
というようなあらすじの話。
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