はるたじんじゃ
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談山神社様の向かいのお土産屋さんで「鎌足」という
お酒をゲットしご機嫌に飛鳥へ向かいました。
岡寺様へ向かうと途中で⛩️が見えたので
上ってみると治田神社様が鎮座されていました。
御祭神は
応神天皇(オウジンテンノウ)
素戔嗚尊(スサノオノミコト)
大物主命(オオモノヌシノミコト)
をお祀りされています。
創建は平安期以前です。
治田神社様の境内からは岡寺様の礎石などが
出土したりしています。
このことから元は岡寺様の境内社であったと
されています。
境内に上る石段はケッコウ急でした。
上る前はナメていたので勢いよく上り出したのですが
最後は息を切らせてヘロヘロになっていました(^-^;










岡寺(龍蓋寺)のすぐお隣にある神社です。
駐車場から岡寺に向かう途中の道を右に曲がった所です。
こちらは元岡寺があった場所で 寺跡は2005年(平成17年)に「岡寺跡」として国の史跡に指定されています。
山の上ですが 立派な本殿です。
割拝殿や絵馬殿はやや新しいものですが 例祭を行っていることからも 氏子の皆様に大切にされていることが分かります。
御祭神は応神天皇・素戔嗚尊・大物主命です。
岡寺跡地にあることから 岡寺の鎮守神として 境内地に祀られていたと考えられているようです。
ご由緒によりますと 「元々は治田氏の祖神が奉祀され 文安年間(1444~1448年)に一時大国主命の和魂である大物主命を奉祀されたと古書にある。」 となっています。


石柱

遥拝所の石碑

社殿全景

由緒書

絵馬殿

拝所と鳥居

本殿



割拝殿



由緒書

向こうに岡寺

岡寺仁王門を出て進んでいくと「治田神社」の社号標があったのでお詣り。シンプルな感じでしたが岡寺跡の石碑もあり、かつてはその鎮守社であった可能性も示されているが、関係性ははっきりしないらしい。また治田氏(治田連?)の祖神を奉祀されていたとあるので岡寺が現在地に遷ったあとに建てられた(または遷座された)可能性もあるそうです。

社号標

史跡岡寺跡。寛文年間(1661~1672)の絵図に神社付近に金堂や講堂・塔の跡地が描かれているそう。

遥拝所

境内

由緒

拝殿

阿

吽

社務所前由緒。連絡先は飛鳥坐神社とのこと。飛鳥坐神社さんも兼務社多そう・・・

本殿

社務所

二宮金次郎

割拝殿。

正面参道はまあまあの階段

岡寺参道途中に出ました
境内・文化財
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当社の創建年は明らかになっていませんが、『延喜式神名帳』に記載されていることから、平安時代以前の創建であることは確かです。後述しますが、岡寺の礎石等が境内から出土しており、岡寺の鎮守社として創建され、後に治田神社になったと推測されています。
元々は治田氏の祖神が祀られていましたが、文安年間(1444〜1448)に一時「大物主命」を祀ったと古文書に記されています。さらに社名を八幡宮と称して応神天皇を祀り現在に至ります。
| 名称 | 治田神社 |
|---|---|
| 読み方 | はるたじんじゃ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0744-54-2071(飛鳥坐神社) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご祭神 | 品陀別天皇、素盞嗚尊、大物主神 |
|---|---|
| ご由緒 | 当社の創建年は明らかになっていませんが、『延喜式神名帳』に記載されていることから、平安時代以前の創建であることは確かです。後述しますが、岡寺の礎石等が境内から出土しており、岡寺の鎮守社として創建され、後に治田神社になったと推測されています。
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