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たいまでら|高野山真言宗

當麻寺のお参りの記録一覧
奈良県 当麻寺駅

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nomuten
nomuten
2022年07月24日(日)1489投稿

奈良県の寺院巡りの7寺目は、6寺目の北葛城郡広陵町から南西の葛城市に在る當麻寺(たいまでら)です。今回の最後となります。
真言宗と浄土宗で、本尊は当麻曼荼羅。
約2年前に参拝していますが、国宝の東塔と西塔の両塔の初層開帳が行われるため訪れました。(7/16~8/28の土日祝のみ、無料)

聖徳太子の弟の麻呂子親王が612年に創建した禅林寺を、681年に当地に遷したと伝わります。白鳳時代から天平時代に掛けて伽藍を完成させたと考えられています。弘法大師が参籠し真言宗となり、南北朝時代に浄土宗も入り、両宗を奉じています。

広い境内ですが本坊は無く、塔頭として中将姫伝説で有名な中之坊、護念院、西南院、奥院、等あります。
前回は中之坊と奥院を参拝しましたが(それぞれ拝観料が必要)、今回はパスして本堂、講堂、金堂、西塔、東塔を拝観しました。(本堂内陣+講堂+金堂の拝観料は500円)
まあ、それにしても国宝、重文の宝庫です。

當麻寺には駐車場がありませんので、東側を南北に走る国道沿いにある市営駐車場に停めて向かいました。参道はほぼ平坦路で、仁王門前の石段も少なく割と楽に行けます。仁王門の阿形は不在で吽形のみ、仁王門をくぐると境内。先ずは初層開帳の東塔と西塔へ。創建当時の東西両塔が現存しているのは国内でここのみ、東塔は奈良時代の建立で西塔は平安時代の建立、東塔は法隆寺、法起寺、薬師寺についで4番目に古い。初層内部は壁か柱に仏画とか描かれているのかなと思いきや、特に無しで正直ちょっと期待外れ。(きっと私が見方、楽しみ方をわかっていないのでしょうね。)
さあ、それでは本堂と講堂と金堂の仏像を観に行きます。本堂へ行って拝観料を支払って、併せて御朱印をお願いしました。
本堂内陣に入ると一般的には仏像がある所に曼荼羅、そう曼荼羅が本尊なんです。弘法大師や役行者像の他に、織姫観音と云われる十一面観音立像(重文)が安置してあります。曼荼羅厨子の背面の「裏板曼荼羅」(板貼りした曼荼羅を剥がした際に、板に剥がれた曼荼羅の跡が残ったもの)も特別開帳されていました。(暗くて余り良くわからなかった。)御朱印を受け取り、次に講堂へ。中尊は阿弥陀如来坐像、右側手前に妙幢菩薩立像と阿弥陀如来坐像、奥に不動明王立像と多聞天立像、左側手前に千手観音立像と不動明王立像、奥に地蔵菩薩立像の8躯が安置してあります。内4躯が重文であり壮観です。講堂を出て金堂へ。中尊は弥勒菩薩坐像。高さ2.2m、国内最古の塑像(簡単に云えば粘土)で国宝、当寺創建時の7世紀末頃の作とみられています。四方に四天王像。重文、国内最古の乾漆像。異国人の顔付きです。(多聞天のみ鎌倉時代に木造に変更)
最後に前回見逃した薬師堂(重文)へ。境内を出て直ぐの所に在ります。残念ながら内部は観れず外観のみでした。
尚、先に行った百済寺の御朱印は、こちらの塔頭の西南院で頂けるそうてすが、御朱印だけのために伺うのはやめ、また次の機会にしました。

當麻寺の御朱印

御朱印(ご詠歌)

當麻寺(奈良県)

仁王門

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四季
四季
2022年05月09日(月)578投稿

當麻寺 ① / 5

~西方極楽浄土「当麻曼荼羅」信仰~

山号  二上山
宗派  真言宗
    浄土宗
御本尊 当麻曼荼羅
創建年 推古天皇20年(612年)
開基  麻呂古王

札所等
新西国三十三箇所第11番
関西花の寺二十五霊場第21番(西南院)
仏塔古寺十八尊第8番(西南院)
大和十三仏霊場第6番(中之坊)
大和七福八宝めぐり(中之坊)
法然上人二十五霊場第9番(奥院)
西山国師遺跡霊場第14番(奥院)
神仏霊場巡拝の道第32番(奈良第19番)

文化財 
東塔、西塔、
曼荼羅堂、塑造弥勒仏坐像ほか(国宝)
金堂、乾漆四天王立像、木造阿弥陀如来坐像ほか(重要文化財)
中之坊庭園(史跡・名勝)

【当麻曼荼羅縁起】
絵巻物。二巻。紙本着色。鎌倉時代の作。住吉慶恩画と伝える。当麻寺の当麻曼荼羅が織成される経緯に関する伝説を描いたもので精密な描写と典麗な色彩をもつ。
神奈川県鎌倉市光明寺蔵。
国宝。

當麻寺自体の本坊はなく、境内には高野山真言宗5院、浄土宗8院の子院があります。
當麻寺本堂(曼荼羅堂)は真言宗と浄土宗の兼帯で、金堂、講堂、塔などは真言宗が管理されています。

~・~・~・~

當麻寺は用明天皇第三皇子 麻呂子親王が御兄 聖徳太子の導きにより、推古20年(612年)に創建されました。
国宝「當麻曼陀羅」 當麻寺の御本尊である「當麻曼陀羅(観無量寿経浄土変相図)」は天平宝字7年(西暦763年)に中将姫によって織成されました。この當麻曼陀羅は現存し、「根本曼陀羅」「古曼陀羅」と呼ばれ国宝に指定されています。昭和20年に行われた調査にて綴織で織られていることが判明しており、平成25年の最新の調査でもその事実が再確認されました。 現在當麻寺には天平時代の「根本曼陀羅(国宝)」、室町時代に行われた第二回転写の「文亀本(重文)」、江戸時代に転写された「延宝本(県重文)」と「貞享本(重文)」を蔵しています。現在、曼陀羅堂で文亀本を、奥院宝物館で延宝本を拝観することが可能です。 また、奥院には中将姫が織り上げた「綴織」の技法で再現された「綴織當麻曼陀羅」があり、11月1日~10日に特別に公開されています。

~・~・~・~

當麻寺概要

西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」の信仰と、曼荼羅にまつわる中将姫伝説で知られる古寺です。
毎年4月14日(2019年より、明治期-2018年までは5月14日)に行われる練供養会式(ねりくようえしき)には多くの見物人が集まりますが、この行事も当麻曼荼羅と中将姫にかかわるものであります。
奈良時代-平安時代初期建立の2基の三重塔(東塔・西塔)があり、近世以前建立の東西両塔が残る日本唯一の寺としても知られています。

當麻寺がある奈良県葛城市當麻地区(旧・北葛城郡當麻町)は、奈良盆地の西端、大阪府に接する位置にあり、古代においては交通上・軍事上の要地でした。
二上山は、ラクダのこぶのような2つの頂上(雄岳、雌岳という)をもつ山で、奈良盆地東部の神体山・三輪山(桜井市)と相対する位置にあります。

二上山は、大和国の西に位置し、夕陽が2つの峰の中間に沈むことから、西方極楽浄土の入口、死者の魂がおもむく先であると考えられた特別な山でした。
二上山はまた、古墳の石室や寺院の基壇の材料になる凝灰岩(松香石)や、研磨剤となる柘榴石の産地でもありました。

古代の大和国の東西の幹線路であった横大路は、現在の葛城市長尾付近が西端となり、そこから河内方面へ向かう道は二上山の南を通る竹内(たけのうち)峠越え(竹内街道)と、岩屋峠越え、二上山の北を通る穴虫峠越え(大坂道)に分かれます。この分岐点付近を古代には当麻衢(たいまのちまた)と呼び、弘文天皇元年(672年)の壬申の乱の際には戦場となりました。これらの峠越えは、河内と大和を結ぶ主要な交通路で、古代には中国大陸や朝鮮半島から渡来の文物が難波の港から都へと運ばれるルートでもありました。

平安時代の浄土教僧で『往生要集』の著者である恵心僧都源信はこの地方の出身であります。また、当麻の地は折口信夫(釈迢空)の幻想的な小説『死者の書』の舞台としても知られています。

そして、神功皇后の母方の先祖(アメノヒボコの子孫)、尾張氏、海部氏の系図を見ても頻繁に但馬と当麻あるいは葛城との関係の深い所となります。

當麻寺境内には、東西の三重塔(ともに国宝)、日本最古の梵鐘(国宝)、日本最古の石燈籠(重文)などの見どころがあります。

※ 當麻寺僧院のうち、中之坊、西南院、奥院、護念院の4カ院は當麻寺の護持寺院です。

奈良県葛城市當麻1263

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2021年09月20日(月)11投稿
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