こうげんじ|浄土真宗本願寺派|太子山
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向原寺の御朱印・御朱印帳
限定 | - | ||
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御朱印帳 | - | ||
電話番号 | 0744-54-2521 |
奈良県のおすすめ2選🎍
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聖徳太子を巡るシリーズ その12
近鉄電車「橿原神宮前駅」下車タクシーで10分。
浄土真宗寺院。ご本尊は阿弥陀如来です。
552年、百済の聖明王から献上された日本初渡来の仏像を蘇我稲目が小墾田の寺に安置し、その後向原の家浄め捨(から)ひて寺としたことが最初と云われています。
その仏像は国内で疫病が流行し、排仏派によって難波の堀江捨て、伽藍は焼失されてしまいます。
7世紀ごろに推古天皇が即位し、厩戸皇子(聖徳太子)が摂政として政務を摂った豊浦宮となりました。
その遺跡は、予約すれば見学も可能です。
お寺の少し先にある小さな祠。
豊浦寺。
蘇我馬子が日本初の尼寺として建てられた場所と言われています。
山門です。この向かいが豊浦宮の遺跡があります。
薬師堂です。
本堂です。
御朱印を待っている間の一コマ。
MBSの「ミント」(よんちゃんニュースの前番組)も取材に来ていた様です。
いただいた御朱印。
聖徳太子御遺跡第12番札所です。
「仏法根源精舎」は、百済から贈られた仏像を安置したことから始まります。
《聖徳太子ご霊跡巡り その12》
飛鳥寺の興奮冷めやらぬまま、次の霊場へ。
「豊浦寺址」に建つ向原寺です。
案内板の解説によれば、552年に百済より献上された日本初渡来の仏像を蘇我稲目がたまわり、向原の家を浄めて寺としたのが始まりとされます。つまり、日本で初の寺が豊浦寺だとか。
その後に発生した疫病の流行は仏教崇拝によるとして、対立する物部氏によって仏像は難波に捨てられ、寺は焼却されたそうです。
その13へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtr/Hmgtrtm/Dmmgt/13543/174878/
その11へ
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《ご朱印》
第12番「佛法根源精舎」
《豊浦寺址》
《本堂》
向原寺の御朱印・御朱印帳の写真一覧(7枚)
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