こうげんじ|浄土真宗本願寺派|太子山
向原寺のお参りの記録一覧
甘樫丘(あまかしのおか)の北西麓の豊浦にあり向原寺とも広厳寺ともいわれ、県の史跡になっています。
また、このあたりは推古天皇の豊浦宮や小墾田宮のあった所とも伝えられていて現在は、江戸時代に建立された向原寺(浄土真宗本願寺派)があります。
門前や境内に多くの礎石がみられ、寺跡であることを裏づけて 1957年、1970年の発掘調査でも塔、金堂、講堂などが検出され、1993年には金堂が南北15メートル、東西17メートルの規模であることが判明した。また南方では広場状に10メートル近くの石敷遺構が確認されていますが、全容の解明は今後に残されているようです。
豊浦寺跡の歴史
山門
本堂
薬師堂
推古天皇豊浦宮跡 豊浦寺跡の説明板
難波池の由来
向原寺(こうげんじ)。
欽明天皇13年(552年)、百済の聖明王から仏像が献上されます。欽明天皇は、蘇我稲目と物部尾輿に意見を聞きます。蘇我稲目は、仏教を取り入れることに賛成派。一方物部尾輿は、日本には神さまがおられるので、新しい"教え"を取り入れると神さまがお怒りになるだろうと反対派。
蘇我稲目は欽明天皇から仏像を賜り、向原(むくはら)の家を浄めその仏像を祀ります。
その向原寺にどうしても行ってみたくなり、二年前にお参りしてきました。
山号:太子山
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
開基:蘇我稲目
地図片手に、汗拭いながら歩きました。少々分かりづらく、やっと歩いている方発見。🙌「今お参りしてきたところです。」と親切に道を教えていただきました。
いただいた御朱印です。
"日本仏教伝来最初のお寺さん"にお参りできました。😊
《聖徳太子ご霊跡巡り その12》
飛鳥寺の興奮冷めやらぬまま、次の霊場へ。
「豊浦寺址」に建つ向原寺です。
案内板の解説によれば、552年に百済より献上された日本初渡来の仏像を蘇我稲目がたまわり、向原の家を浄めて寺としたのが始まりとされます。つまり、日本で初の寺が豊浦寺だとか。
その後に発生した疫病の流行は仏教崇拝によるとして、対立する物部氏によって仏像は難波に捨てられ、寺は焼却されたそうです。
その13へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtr/Hmgtrtm/Dmmgt/13543/174878/
その11へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtr/Hmgtrtm/Dkgrg/14492/174871/
《ご朱印》
第12番「佛法根源精舎」
《豊浦寺址》
《本堂》
聖徳太子を巡るシリーズ その12
近鉄電車「橿原神宮前駅」下車タクシーで10分。
浄土真宗寺院。ご本尊は阿弥陀如来です。
552年、百済の聖明王から献上された日本初渡来の仏像を蘇我稲目が小墾田の寺に安置し、その後向原の家浄め捨(から)ひて寺としたことが最初と云われています。
その仏像は国内で疫病が流行し、排仏派によって難波の堀江捨て、伽藍は焼失されてしまいます。
7世紀ごろに推古天皇が即位し、厩戸皇子(聖徳太子)が摂政として政務を摂った豊浦宮となりました。
その遺跡は、予約すれば見学も可能です。
お寺の少し先にある小さな祠。
豊浦寺。
蘇我馬子が日本初の尼寺として建てられた場所と言われています。
山門です。この向かいが豊浦宮の遺跡があります。
薬師堂です。
本堂です。
御朱印を待っている間の一コマ。
MBSの「ミント」(よんちゃんニュースの前番組)も取材に来ていた様です。
いただいた御朱印。
聖徳太子御遺跡第12番札所です。
「仏法根源精舎」は、百済から贈られた仏像を安置したことから始まります。
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