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楽しみ方飛鳥坐神社のお参りの記録一覧

飛鳥坐神社へ。きれいに整備された境内で社殿なども全体的に新しめな感じ。定期的に手入れはされているのでしょうね😊摂末社も多く、全部お参りしてたら30分ぐらいはかかりました😅2月に奇祭・おんだ祭りがあるようなので休み取れれば行ってみたいですね😊

社号標

参道入り口

手水舎

素敵なつくり

由緒

鳥居。扁額には「飛鳥社」

井戸。飛鳥井。

参集殿。再建工事中。

年内には出来るのかな?

祓戸社。瀬織津比賣神・速開都比賣神・氣吹戸主神・速佐須良比賣神。

参道

四社殿

記念之碑

神楽殿・西良殿

拝殿前

扁額

むすびの神石

五社殿

白髭神社

八十萬神社

八幡社

歌碑

何だろう・・・?

歌碑

お社。「万世」と彫られた石がある。

八阪神社・金比羅神社

小祠の跡っぽい・・・

奥の社

天照皇大神と豊受大神

奥の大石。後皇産霊神

静かで良き境内

飛鳥山口神社。大山都見乃神・久久乃知乃神・猿田彦乃神。

神饌所

飛鳥寺から徒歩で飛鳥坐神社さまに^ ^
駐車場もあったので車でもよかったのですが、ぶらり散歩もかねて^ ^
鳥居をくぐって石段を上がれば古から続く厳かな空気に包まれて気持ちが引き締まります^ ^
以下、御由緒より
国のまほろば大和の国に鎮まります当社の創建は定かではありませんが、「日本書紀」において、大国主神の第一子である当社の御祭神事代主神は、国譲りの際に、八十万の神々を天の高市(現在の飛鳥)に合めて天に昇られ、「首渠」いわゆる統率神として称えられています。
同書、天武天皇元年(六七三年)七月の条には「吾は高市社に居る、名は事代主神」との記載が見られ、更に朱鳥元年(六八六年)七月の条では「幣を紀伊国に居す国懸神、飛鳥四社、住吉大社に奉る」とあり、天武天皇の病気平癒祈願がなされた際に、朝廷より当社に奉幣があったことが記されています。
また出雲国造が新任された際に朝廷に参向し、天皇に奏上する祝調「出雲国造神賀詞」(八世紀)の中で「事代主命の御魂を宇奈提に坐せ、賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備に坐せて皇御孫命の近き守神と貢り置きて」とあり、皇室の近き守り神として賀夜奈流美命の御霊が飛鳥の神奈備に奉斎されたことが分かります。
平安時代初期、淳和天皇天長六年(八二九年)三月十日神託により、高市郡賀美郷の神奈備山より同郡同郷にある現在の地(鳥形山)に遷座されたことが「日本紀略」に記されています。またこの鳥形山は、天照皇大神が伊勢の地に鎮座されるまでに一時祀られたということから「元伊勢」と呼ばれ、境内の摂社(奥の社)に天照皇大神をお祀りしております。
「延喜式」(九二七年)では「飛鳥坐神社四座並名神大月次相嘗新嘗」の記載が見られます。延喜式でいう相嘗祭とは、朝廷が特別に尊崇された大社に新米を捧げるお祭りであり、その対象となる神社は、全国の式内社三千百三十二座のうちわずか七十一座で、更にそのうちの四座に当社が指定されており、古くから国・民を守る神社として重要な役割を担っていたことが分かります。
当社には氏子がなく、初代神主太宗直比古命が崇神朝より「大神朝臣飛鳥直」の氏姓を賜って以来、「飛鳥」姓で現在に至り、創始以来代々神社をお守りして参りました。初代は天事代主命から数えて七世に当たることが、「新撰姓氏録」(八一五年)や「世系図」に記され、現在の宮司は八十七代目に当たります。
当社は、鳥居をくぐり石段を登ると、二上山、畝傍山、甘樫丘を望む景勝の地にあり、参道の至る所に陽石が立ち並び、古の趣をそのままに感じることができます。










大和国高市郡の名神大社「飛鳥坐神社 四座」であり、豊鍬入姫命さまが天照大神さま(八咫鏡)を連れて笠縫邑の中で鎮座地を探している際に鎮まったとされる元伊勢の一つです。明日香村の地名を冠する神社であり、御祭神の四座にはいろいろな諸説があるようですが、出雲の神々を祀っていたり、天武天皇さまの御代には病気平癒祈願の奉幣があったりと朝廷からかなり重用されていた歴史を持ちます。

《鳥居と社号碑》
表参道の石畳が綺麗に舗装されています。

《手水舎》
水は流れています。

《由緒書き》
氏子さんを持たないんですね。広島にある賀羅加波神社も同じように氏子さんを持たない神社で、式内社にはたびたび見られるようです。

《祓戸社》

《末社群①》

《舞殿?》

《拝殿》
👁チェックポイント‼️
現在御祭神とされている四柱の神様はそれぞれが出雲の神話出身の方々で構成されており、
八重事代主命=大国主尊(大己貴命)の第一子
高照光姫命=大国主尊の娘
建御名方命=大国主尊の第二子
そして賀夜奈流美命さまは出雲国造が信任になると朝廷に赴き天皇に奏上する『出雲国造神賀詞』に出てくる神様で、文中にて飛鳥の神奈備に鎮まって皇孫を守護すると書かれているため、当社は遠い地の出雲の神々が朝廷を近くで守護するために建てられたお宮であると考えられているようです。

《拝殿内部》🙏
ご祈祷ができる設えになっています。ちなみに現在の本殿は丹生川上神社上社の旧本殿を譲り受けて再建されています。

《末社群②》
本殿は流造ですが末社たちは春日造ですね。

《稲荷神社》
いつもお世話になっておりまs(🤛

《八幡神社》

《中の社》
八坂神社と金刀比羅神社、間に陰陽石があります。

《飛鳥山口神社》
大和国高市郡の式内社です。大和国の式内社には「○○山口坐神社」がいくつか存在し、その殆どは皇室の御領地の鎮守社として建てられています。当社も飛鳥山の鎮守社として飛鳥坐神社とともに鎮座していたと思われます。

《奥の社》
天照大神さまと豊受大神さまとなっているのでこちらが元伊勢の跡地として建てられたお社のようです。

《社務所》
普段の授与所を兼ねており、引き戸を開けると授与品が置いてあります。
余談ですが現在表参道と社務所の間に参集殿を建設中で、無事完成すると当社に所蔵されている日本最大の青銅鏡「繍の鏡」を安置してお披露目するそうです。ただし参集殿は大工さん親子2人で強いこだわりを持って建ててるらしいので時間はそれなりにかかるとのこと…楽しみに待ちましょう!

Googleマップの案内に泣かされましたが、無事に鳥居に辿り着きました。
山の中の静かな神社でした。


Googleマップの案内では、ここの崖を登るようにと。。。。





飛鳥寺から徒歩で5分程度の距離に鎮座されています。
飛鳥寺を訪問したら、飛鳥坐神社にも是非訪問しようと決めていたので、
予定通り行ってきました。
社殿へ行く途中、力石(写真4枚目)なるものがあり、男性は左手で持ち上げられれば、
幸せになれるとありましたので、早速やってみました。
甘く見ていたので結構な重量に驚きましたが、手が大きい私は本気を出してやってみたら
意外とあっさりと。これで幸せに成れるのか・・・
バカ力の人はみな幸せなのか・・・、後で自問自答してしまいました。
蛇足ですが、社務所が改装中で御朱印は神社から30mくらい離れた民家で発行してました。





力石です。やってみました。



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