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楽しみ方飛鳥坐神社のお参りの記録一覧
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いま、ふたたびの奈良へ🦌 ②
正月は、出雲旅行のはずが、悪天候のため飛行機が欠航。急遽、行き先を変更して奈良へ。
橿原のホテルに宿泊したため、近くの明日香村に足をのばし、石舞台古墳からの飛鳥坐神社へ。
創建は不明なほど歴史が古く、神託により829年に現在の地に遷座されたそうです。陽石信仰など、古来の信仰が色濃く残る神社です。
御祭神 本社
八重事代主命、下照姫命(飛鳥神奈備三日女神)、建御名方命
中社
大物主神、素戔嗚尊
奥社
高皇産霊神、天照皇大神
ここにも、出雲の神様が。
摂社末社も見どころが多く、鳥居をくぐってすぐにある祓戸神社は御祭神が瀬織津比賣神(!)・速開都比賣神・氣吹戸主神・速佐須良比賣神。最初からワクワクさせてくれます。
また、境内には沢山の石が並べられ、男女一対の陰陽石も。おおらかな太古の信仰の姿を知ることができました。
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飛鳥寺から徒歩で飛鳥坐神社さまに^ ^
駐車場もあったので車でもよかったのですが、ぶらり散歩もかねて^ ^
鳥居をくぐって石段を上がれば古から続く厳かな空気に包まれて気持ちが引き締まります^ ^
以下、御由緒より
国のまほろば大和の国に鎮まります当社の創建は定かではありませんが、「日本書紀」において、大国主神の第一子である当社の御祭神事代主神は、国譲りの際に、八十万の神々を天の高市(現在の飛鳥)に合めて天に昇られ、「首渠」いわゆる統率神として称えられています。
同書、天武天皇元年(六七三年)七月の条には「吾は高市社に居る、名は事代主神」との記載が見られ、更に朱鳥元年(六八六年)七月の条では「幣を紀伊国に居す国懸神、飛鳥四社、住吉大社に奉る」とあり、天武天皇の病気平癒祈願がなされた際に、朝廷より当社に奉幣があったことが記されています。
また出雲国造が新任された際に朝廷に参向し、天皇に奏上する祝調「出雲国造神賀詞」(八世紀)の中で「事代主命の御魂を宇奈提に坐せ、賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備に坐せて皇御孫命の近き守神と貢り置きて」とあり、皇室の近き守り神として賀夜奈流美命の御霊が飛鳥の神奈備に奉斎されたことが分かります。
平安時代初期、淳和天皇天長六年(八二九年)三月十日神託により、高市郡賀美郷の神奈備山より同郡同郷にある現在の地(鳥形山)に遷座されたことが「日本紀略」に記されています。またこの鳥形山は、天照皇大神が伊勢の地に鎮座されるまでに一時祀られたということから「元伊勢」と呼ばれ、境内の摂社(奥の社)に天照皇大神をお祀りしております。
「延喜式」(九二七年)では「飛鳥坐神社四座並名神大月次相嘗新嘗」の記載が見られます。延喜式でいう相嘗祭とは、朝廷が特別に尊崇された大社に新米を捧げるお祭りであり、その対象となる神社は、全国の式内社三千百三十二座のうちわずか七十一座で、更にそのうちの四座に当社が指定されており、古くから国・民を守る神社として重要な役割を担っていたことが分かります。
当社には氏子がなく、初代神主太宗直比古命が崇神朝より「大神朝臣飛鳥直」の氏姓を賜って以来、「飛鳥」姓で現在に至り、創始以来代々神社をお守りして参りました。初代は天事代主命から数えて七世に当たることが、「新撰姓氏録」(八一五年)や「世系図」に記され、現在の宮司は八十七代目に当たります。
当社は、鳥居をくぐり石段を登ると、二上山、畝傍山、甘樫丘を望む景勝の地にあり、参道の至る所に陽石が立ち並び、古の趣をそのままに感じることができます。




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