ほうりゅうじ ゆめどの
法隆寺 夢殿のお参りの記録一覧
聖徳太子を追慕して創立された法隆寺東院の中心建物で、著名な救世観音を本尊とし、あわせて東院の創立と再興とに尽力した行信・道詮の像を安置する。この地は太子の住居であった斑鳩宮の跡地と伝えられていたが、昭和九年以降の修理工事にともなう発掘調査で、当時の掘立柱建物数棟を発見し、そのことが確認された。また、この調査では東院創立当初の回廊や南門の規模も判明した
その創立を天平一一年(七三九)とする『法隆寺東院縁起』には多少の疑問ももたれるが、天平宝字五年(七六一)の『法隆寺東院資財帳』には夢殿以下各堂宇の記録があるから、少なくともそれ以前の建立であることはまちがいない。
堂は八角形の平面をもち、一般に八角円堂と呼ばれる。建立以来何回かの修理をうけてきたが、なかでも寛喜二年(一二三〇)の修理は大改造をともなったもの
#法隆寺 #夢殿
境内の掲示物によれば、東院伽藍のご本尊に当たるのが夢殿で祀られる救世観音。
HPによると、法隆寺は西院伽藍と東院伽藍に分かれる。先に存在したのは西院だが、東院の方も早くも8世紀ごろから整備されていったようだ。夢殿はその東院の本堂。
#救世観音
三十三観音に通常は数えられないが、日本仏像大全書のみ三十三観音の1尊とする。そもそも観音さまはどんな姿をしていても衆生を救済する活動に余念がないわけで、救世は彼にとって美称以上のものではない気もする。
わざわざ救世を冠する場合、聖徳太子との結び付きが強いようだ。日本仏像大全書によれば、救世観音という名称は聖徳太子とゆかりのある観音像を指した、とも。
また、法隆寺と同じく聖徳太子が創建したと伝わるのが、四天王寺(大阪市天王寺区)。あちらの救世観音はいわゆる半跏思惟像。広隆寺(京都市右京区)のミロク菩薩や、中宮寺(奈良県生駒郡斑鳩町)の如意輪観音と同じポーズだ。これと同様に半跏思惟の観音さまを救世観音と呼ぶ用法もあるそうだ。
一方、法隆寺夢殿の救世観音は直立姿勢。日本仏像大全書によると、像としては聖観音に該当するらしい。
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