あしながじんじゃ
足長神社のお参りの記録一覧
参拝記念⛩️✨
足長神社
長野県諏訪市に鎮座する足長神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
近くてなかなか行かずにいたのですが、たまには諏訪市でのんびりしようと思い上がらせて頂きました。
駐車場が無いため、一度神社の前を通過して神社の上にある公園の駐車場に停めて裏参道から上がらせて頂きました。
拝殿の彫刻がとても立派な神社です✨
御朱印は八剱神社さまで書入れして頂きました。
御朱印
八剱神社さまにて書入れ
社号碑
参道
道を挟んで参道の続き
境内の様子
御柱がどっしりとたたずんでいます!
拝殿
舞屋
舞屋の神紋
舞屋の彫刻
拝殿
拝殿の彫刻
拝殿内
境内社
境内社と拝殿
公園側
こちらも御柱がしっかり4本
長野県神社巡り⑧ 足長神社参拝
主祭神 足摩乳命
山道の斜面にあり気をつけないと通り過ぎてしまいそう、駐車場はなく少し上に公園と駐車場がありそちらに停めて歩いていきます。
社務所はなく、御朱印は八劍神社でいただけます。
舞殿
立派な彫刻
立派な御柱がありました。
御柱
拝殿の彫刻が立派
拝殿内には龍🐉の、彫物
太鼓で見えない😅
祠
祠にも御柱
足長神社からの諏訪湖
いい眺めです✨
書き入れしていただけます🙏
八劍神社にて拝受
足長神社に参拝してきました。御朱印は八劔神社で頂けます。国道20号から諏訪湖カントリークラブに抜ける道の山裾に鎮座しています。当神社の上方向には、桑原城跡があります。
足長神社(諏訪市)概要: 足長神社は長野県諏訪市四賀足長山に鎮座している神社です。足長神社の創建は不詳ですが古代から地元神として信仰されていたと思われます。祭神である足摩乳神(足長彦神)は建御名方神(諏訪大明神)の曾祖父(奇稲田姫の父神)にあたり地元でも諏訪大社が勧請される以前から信仰していたとされています。当初は夫婦神とされる手長神社も祭られていましたが、手長神は下桑原郷に遷座したことで足長神社は上桑原郷の産土神、手長神社は下桑原郷の産土神として信仰されてきました。
平安時代初期の大同年間(806~810年)には諏訪神社大祝有員(上社大祝の始祖)が足長神社を崇敬し、広大の社殿を寄進して境内を御曾儀平と称するようになります。諏訪上社の御柱祭には「高島藩家老騎馬行列」が奉納されていましたが、明治4年(1871)に執行された廃藩置県により高島藩(藩庁:高島城)が廃藩になると足長神社に奉納するようになっています。祭神:脚摩乳命。社格:村社。
現在の足長神社本殿は江戸時代中期の延享4年(1747)前後に建てられたもので一間社流造、銅板葺(元こけら葺)彫刻が写実的でないなど当時の建築の特徴をよく残した貴重な遺構で平成6年(1994)に諏訪市指定有形文化財に指定されています。足長神社拝殿は江戸時代後期の天保13年(1842)に建てられたもので木造平屋建て、五棟造(切妻、正面千鳥破風、正面軒唐破風)、平入、桁行1間、梁間2間、細部には唐獅子や龍、鷹、鶴、麒麟、鳳凰などの繊細な彫刻が施され、棟梁は大隅流の矢崎専司、江戸時代後期の社殿建築の遺構として貴重な事から昭和63年(1988)に諏訪市指定有形文化財に指定されています。足長神社舞屋は江戸時代後期の文久2年(1862)に建てられたもので木造平屋建て、入母屋、銅板葺、桁行5.7間、梁間3.5間、棟梁は石田房吉、昭和63年(1988)に諏訪市指定有形文化財に指定されています。
桑原城跡
桑原城は築城時期等については不明ですが、桑原氏によって築かれたと伝わっています。1542年(天文11年)、武田信玄が諏訪へ侵攻し、上原城の諏訪頼重を攻めると、頼重は上原城を焼き払って桑原城へ退却し籠城しました。しかしその後、頼重は降伏し甲斐へ連行され、切腹することとなり諏訪氏は滅亡しました。桑原城はまもなく廃城となったと思われます。城址は整備されており、土塁や空堀などの遺構が残っています。
道路下が⛩️で参道は道路をまたぎます。
拝殿
拝殿彫刻
拝殿彫刻
拝殿彫刻
拝殿彫刻
本殿
本殿
境内と御柱
神楽殿
神楽殿彫刻
神楽殿彫刻
神楽殿彫刻
境内社
1542年甲斐守護の武田晴信(信玄)から侵攻された信濃諏訪領主諏訪頼重が、上原城を自ら焼き払い、支城である桑原城に籠城してから降伏した桑原城址のふもとに位置する。
祭神は足摩乳(あしなづち)神で、上桑原村の産土神(うぶすな)として崇敬されてきた。
拝殿は1842年大隈流の大工矢崎専司らによって建造された。
五棟造で三方に切目縁をまわし、擬宝珠高欄をつける。木鼻に唐獅子、欄間に竜・鷹・鶴、脇障子に麒麟・鳳凰、内部扉両脇羽目に竜、その他各所にみごとな彫刻がついている。
舞屋(神楽殿)は1862年石田房吉らによって建造された。本殿同様に、竜、獏、獅子などの彫刻がされている。
山中の閑静な場所に建っており、舞屋からは急な石段を登り本殿へとあがります。
本殿西側から
本殿東側から
本殿
御朱印はハ劍神社で頂けます。
甲斐、諏訪神社巡り①本日最初の神社です。甲府に早く着いたため、予定を変更し先に諏訪地区を廻ることにしました。桑原城址山腹に鎮座する諏訪大社上社の境外摂社です。社務所は無く、現在は八剱神社さんにて管理されています。神社石段を通り過ぎ坂の途中足長丘公園の駐車場に停めて参拝。私が上った石段は参道途中だったようで、ずっと下にも参道があり鳥居があったようです。(事前に調べていたのに忘れていました)午前十時過ぎ、誰もまだ参拝者はいなかったようで、時々蜘蛛の巣に引っ掛かりながら気持ちよく、又最近、高田崇史の歴史推理小説を読んでいてこの諏訪の神々についての面白い記述があったので、よりいっそう興味深く参拝出来ました。御朱印はこの後参拝する八剱神社にて拝受いたしました。
この石段を上って境内へ
文久二年(1862)建造の舞屋
足長大明神の扁額
暗くてわかりづらいですが諏訪大社と同じ社紋
更に石段を上って拝殿へ
水盤 利用できそうにないほっど汚れていました
灯籠
本殿説明板
拝殿・舞屋説明板
天保十三年(1842)建造の拝殿
18世紀の建造と考えられる本殿
灯籠
石祠群
本殿脇まで登り、山道を歩くと先程の足長丘公園に出ました。そちらに岩の上に祠がありましたが詳細は不明
諏訪大社の境外末社の一つで、上諏訪の手長神社とは御祭神が夫婦の関係になる神社です。大昔は同じ社殿で祀られていましたが、奉斎していた住民たちの住む場所が二つに分かれたときに別々の神社になったと言われています。
…きっと喧嘩による別居ではないことを祈りたい。
《一の鳥居と社号碑》
神社がの鎮座地が足長山にあり、参道はかなり急になっています。何より階段一つ一つがデカい!
《途中参道》
途中で山道の道路が横切り、この道沿いに公園があって車を停められます。
《神楽殿?》
ちなみに御朱印がありますが、兼務しているのは手長神社ではなく八剣神社ですのでご注意を!
《御柱》
手長神社が今回の御柱祭に対応して建て替えられますが、こちらも同義でしょうか?
《手水舎》
柄杓はなく、水は流れていませんでした。
《本殿について》
拝殿には多くの彫物が装飾されており、400年前の文化を残している貴重なものです。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
手長神社に比べると些か小さな社殿ではありますが、先程の説明書きにもあったような彫物がかなり細かく、そして建物の広い範囲に彩られています。むしろ重要文化財とかになってないのが不思議ですね…
《末社群》
簡易な祠の形ですね。
《裏参道》
拝殿左手から自然公園に続きます。
《公園にある末社》
こちらにも末社がいくつかあり、大きな岩がゴロゴロしています。特に言及されていませんが、こちらにもなにか歴史がありそうですね。しかもこの写真のお社、隣の岩と綱で繋がっています。まるで夫婦岩のようですね。
諏訪大社上社の摂社で、本宮の北東2K程にある。
桑原郷は、上下に分かれており、上桑原に当社・足長神社、下桑原に手長神社が祀られている。
祭神の脚摩乳神は、奇稲田姫神の父神で、足名椎命とも書かれ、手摩乳神と夫婦神である。八俣大蛇による、娘(奇稲田姫神)の危機を素盞嗚尊に救われた。素盞嗚尊の子(あるいは子孫)が、大己貴命であり、上社祭神、建御名方命の祖にあたる。
社記によれば、当初、ここに足長・手長両神が祀られていたが、手長神は、下桑原へ分祭され、荻で屋根を葺いていたので、「荻の宮」と呼ばれていたという。
足長の社名により、旅の安全を守る神。当社にも御柱があり、御柱祭では、引き上げ競争が行われる。
手長神社で祀られている手摩乳命の夫神である脚摩乳命を祀る、対になる神社です。もう少し手長神社から近いのかと思っていましたが、意外と離れた山にお祭りされています。
駐車場はありませんが、神社前の道路は片側1車線のそこそこ余裕のある道路であり、参道入り口が少し広くなっているので1台くらいなら邪魔にならず停められます。ただ、拝殿側は下りのカーブの終わりに位置するので、駐車位置には多少注意が必要です。
参道の階段を上っていくと、左側に立派な舞屋があり、さらに上ると拝殿と本殿がありました。
こちらの神社には神職さんは常駐されておらず、現在は八剱神社で御朱印を頂けます。
拝殿
舞屋
【過去参拝】諏訪大社詣での旅行
足長神社を参拝しました。
鳥居が無く一度見逃してしましました。
鳥居は無く、杉に注連縄がかけられていた
拝殿にて参拝
拝殿に施された彫刻
長野県のおすすめ2選🎌
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
6
0