やつるぎじんじゃ
八剣神社のお参りの記録一覧
参拝記念⛩️✨️
八剱神社
長野県諏訪市に鎮座する八剱神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
前回の参拝時は拝殿内で大勢の方が何やら集まっていたため、御朱印を頂かずに帰ってしまったためリベンジに上がらせて頂きました。
この日は境内に法被を来た方たちが数名いて何か談笑をしていました。
あとで宮司さんにお話をお伺いしましたら、神社で育てている『さつまいも』を氏子の人たちがご近所様へ振る舞いに行っているとのことでした。
『こんな事をしている神社は珍しいですよ』とおっしゃっていました(^_^;)
また境内社にもそれぞれ御柱がありお伺いしたら、各境内社にもそれぞれ氏子がいて氏子の方たちが御柱を立てていて神社が立てているわけではないと言っていました。
御柱への思いが素晴らしいです。
八剱神社さまは諏訪湖の御神渡り神事をおこなっているため、境内には御神渡りの写真が展示されています。
御朱印帳も御神渡りが描かれたものになっていました。
御朱印 書入れ
手水舎
小さくて可愛い
苔の様子がたまらなく良い✨️
由緒
拝殿
拝殿内
御神渡りの写真
樫の木
参拝記念⛩️✨️
八剣神社 諏訪大社上社 境外摂社
長野県諏訪市に鎮座する八剣神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
主祭神は八千矛神に、日本武尊と誉田別命を合祀です。
諏訪湖の御渡神事の拝観を努め、有形文化財として御渡帳があります。
諏訪の歴史を感じる神社さまです。
境内社に至るまで御柱が4本立っているのは珍しいです。
参拝に上がった日は拝殿内で何か行われていたため、神職さんは忙しそうな様子でした。
書置きの御朱印が用意されてましたが、せっかくなので書入れで頂きたいので(^_^;)
また参拝に上がらせていただこうと思いました。
社号標
鳥居
歴史
温泉手水舎
手水の彫刻
手水
由緒
境内社
拝殿
長野県神社巡り⑩ 八剱神社参拝⛩
最後は八剱神社に参拝、こちらで足長神社の御朱印も頂けます。
主祭神 八千矛神 日本武尊 誉田別尊
宮司さんからあついのによくお参りですの一言が嬉しいですね😊
社務所では、神社の畑で作ったじゃがいも、神じゃがいもがあります。
どう食べても美味しいそうですが、塩振って皮ごと食べるのが一番美味しいと教えていただきました😅
一袋300円 もっと頂いてくればよかったなぁ🤔
特殊神事として、諏訪湖の御渡神事(みわたりしんじ)がある。「御渡り拝観の神事」として一般に知られているこの神事は、当社の神職によって行われるそうです😁
手水舎
温泉でした♨️硫黄の香りがしました。
拝殿
拝殿内
摂社末社にも御柱
諏訪の神社の普通の光景なんですね
八剱神社も四か所に御柱
神社の畑で作ったじゃがいも
神じゃがいも300円で社務所にあります。
書き入れしていただきました🙏
参拝記録です。
手水舎から温泉♨️でてました。
宮司さん栽培のじゃがいも🥔置いてありました。
こちらで足長神社⛩️の御朱印も頂きました。
🅿️ありです。
温泉でした♨️
はっ…もしかして暑かったから…??
じゃがいもを龍🐉にみたてられてました。
諏訪大社上社の摂社である八劔神社⛩️に参拝してきました。
この神社の神官は、毎年「御神渡り」と言って、諏訪湖上の氷🧊がせり上がって亀裂が盛り上がる状態から、神様が下社から上社に渡り歩いたとされることがあったかを見極める仕事をしてきました。
580年の長きに調査された気象観測のデータは、今後の世界に与える気象変化の推移を科学的に証明するものとして世界から注目されています。(下記参照)
私は諏訪市で15年ほど居住したのですが、その際に常連としてお世話になった「ごちそう処きむら」さんで参拝後昼食をとりました。ご主人は、和食と中華を修行されており、メニューにないものでも注文に応えてくれるので(常連のみ)、メニューにないニンニク🧄炒飯を頂きました。😋
こちらには信州サーモン丼がありますが、味噌汁に信州サーモンのアラが入っていたので出汁が出てとても美味しく頂きました。🤗
この諏訪湖の「御神渡り」は、西暦1443年(室町時代)から約580年にもわたって続けられている、他に類をみない「気象観測」でもあります。
御神渡りはもともと「神事」としてその形状をもとに、農作物の吉凶やその年の動静などが占われてきました。拝観式をとりおこなう諏訪市にある八剱神社は、その結果を「御神渡注進書」として当時の幕府、やがては宮内庁や気象庁へも報告し、それが現在も続いています。
天文現象ならいざしらず、気象現象をこんなに長い期間、連続的に記録している例は世界的にも珍しく、事実、その記録は科学雑誌「ネイチャー」などにも”omiwatari”として取り上げられるほど世界的にも価値のあるものです。
由緒
主祭神
八千矛神 日本武尊 誉田別尊
当社は元々、諏訪湖中にある高島の里に鎮座し、諏訪湖の造船銭で造営されてきた。豊臣秀吉の高島城築城に際し、現在地に遷座した。江戸時代には高島藩諏訪家が居城鎮護の神として崇敬し、明治以降は小和田村の産土神として庶民からの信仰を集め現在に至る。
当社の特殊神事として、御渡神事(みわたりしんじ)がある。「御渡り拝観の神事」として一般に知られているこの神事は、当社の神職によって行われる。(御神渡も参照のこと)
諏訪湖で御渡が観測されると、当社では臨時の総代会を開き、拝観式の日を決める。その後、宮司以下神職、および氏子総代は、自宅の門戸に注連縄を張り、精進潔斎に入る。拝観式当日は、まず社殿で修祓を行い、諏訪湖へ向かう。現地では湖周を周り、一之御渡・二之御渡・佐久之御渡を拝観して下座と上座の湖岸地点の検分を行なう。そして、社殿へ戻り、御渡の状況を祭神へ報告する「奉告祭」が行われる。引き続き、その状況により当年の農作物の作柄、世の中の吉凶、気候等の年占が行われる。御渡の状況と年占の結果は「注進状」に纏められ、後日、宮司と氏子総代が諏訪大社上社へ出向いて「御渡注進式」を行い、神前に捧げられる。これを受けて諏訪大社は、この内容を宮内庁と気象庁へ報告する恒例となっている。
直近では2013年にこの神事が行われ、1月22日御渡を観測・臨時総代会、1月25日拝観式、2月17日注進式の日程で行われた。なお、「奉告祭」と「注進式」は御渡の観測されない年でも行われ、「御渡は無かった」旨の報告がなされる。特に、御渡の無かった年の諏訪湖は「明けの海」と呼ばれる。
鳥居前の手水は温泉♨️の湯
手水舎は普通の水
西側⛩️前の手水
拝殿
拝殿
境内社(大国主神、菅原神、事代主神)
本殿
神楽殿と社務所
神楽殿
社務所
ごちそう処きむら 🧄炒飯
八劔神社は八千矛神(やちほこのかみ 大国主命)日本武尊(やまとたけるのみこと)応神天皇(おうじんてんのう)の三柱を合わせ、八劔大神(やつるぎおおかみ)と申し上げてお祭りしております。
八千矛神は父神の素戔嗚命(すさのおのみこと)や兄神達から与えられた様々な試練をのり越え、福徳・医療・開発の神として、また、和平の心を以て国を譲り、国造りに尽力されました。
日本武尊は精神力溢れる武勇の神で、草薙の劔をはじめ神器を携え、東奔西走されて荒波や試練を乗り越え、国土開発にあたられました。
応神天皇は武勇に秀で海上守護、日本の共同体の守り神、また、大陸の文化や技術を取り入れるなど、格式の高い神として仰がれています。
八劔さまは、この三柱の神のご神徳をいただく力の強い神様で、荒波や困難をのり越えていく知恵と勇気と力、幸を与えてくださる和平の神さまです。
諏訪湖の御渡り拝観役を高島村民が務めておりました。その記録は1683年以降神社に伝わる「御渡帳」に書き継がれています。それ以前の1443年以降の記録が大祝諏方家に「当社神幸記」として残されており、これらの文書は地球の気候変動を知る上で、世界にも稀なる資料として注目されています。この御渡りの役は、現在八劔神社の宮司に引き継がれて、宮司が諏訪湖の「御神渡り」(諏訪湖の氷が競り上がって神が渡られた証とされる現象)の判断を担われています。
拝殿
甲斐、諏訪神社巡り②足長神社より麓の方に下り、街中に鎮座する諏訪大社上社の境外摂社です。元々は現在の高島城址に鎮座していましたが、豊臣秀吉が高島錠を築城するにあたって現在地に遷座したものです。こちらの神社では御渡神事という特殊神事が行われ、諏訪湖に御渡りを観測布告記録をしています。鳥居前の温泉手水も嬉しかったですが、なかなか見どころの多い神社でけ、境内社の一つに諏訪地方に多くみられる御社宮司社という先住神を祀っていることに興味を惹かれました。社務所で宮司様より大変興味深いお話も伺え、先の足長神社と合わせて御朱印を書き入れていただきました。
社号標
鳥居
温泉手水 流石に温泉地、本日はこちらで我慢
形だけの神橋
手水舎
舞屋(神楽殿)
扁額「八剱宮」
拝殿側から見た舞屋
社務所
舞屋前の狛犬
由緒書
脇鳥居
常夜燈
境内社 厳島大神
境内社 左から事代主神、大国主神、菅原神
境内社 稲荷社
境内社 穂見神社
境内社 新海神社
境内社 山乃神社 山乃神社、厳島社
境内社 御社宮司社(みしゃぐじしゃ)
諏訪大明神建御名方命入諏以前からの土着の神らしい(自分調べ)
御社宮司社 御柱
この他の境内社にも御柱が建っていました。細いながらもプライドを持って建てるのだそうです
境内社 神明社
御嶽山大権現
境内社 多分稲荷社
御神燈
拝殿
扁額
本殿
神輿庫でしょうか?
達筆な字で御渡りの説明文が社務所にありました
諏訪湖御渡りの写真が社務所に飾られていました
諏訪大社上社の境外末社の中で上・中・下に十三社ずつ分かれた三十九所の一社であり、下十三所の第一社に数えられる神社です。世間では冬の諏訪湖で起きる御神渡りを監査、認定する神社として有名ですね。
《鳥居と社号碑》
明治の近代社格制度では県社に列格しています。明治になって当社を始め手長神社や諏訪大社前宮など諏訪大社の摂末社だった神社がいくつか独立しているようですね。
《手水舎》
温泉が湧き出ています。そして硫黄の香りがします。温泉街らしいですね。
《表参道》
目の前には外拝殿、その横に大きな参集殿があります。参拝当時に近所の子たちが野球をやってました。
ガラス割るなよー。
《由緒書き》
かつては諏訪大社の神職が務めていたようですね。そして御神渡りの記録が約300年近く記録として残っているそうです。最近なかなか起きないですからね。結構書き加えの期間が空いてそうです。
《拝殿》🙏
地酒なのか御神渡りとこの神社に関連した品名の樽が奉納されています。
《末社群》
隣の甲立寺と境界を隔てるように立ち並んでいます。ある意味では神仏習合によって勧請された神様もおられますから、信仰においても中間の立ち位置なんでしょうね。
《絵馬》
👁チェックポイント‼️
拝殿裏の参集殿入り口を入ると授与所があり、足長神社の御朱印と合わせて受けたのですが、この絵馬を一目惚れして受けてきました。すると宮司さんが「手書きで申し訳ないですが…」と仰られて連れと共にビックリ!!
とんでもないとてもお上手です。毎回手書きだとするなら、元のデザインはあっても少しずつ違う絵になっているのかもしれませんね!
由緒によると、主祭神に八千矛神を、配祀神に日本武尊と誉田別尊を祀る小和田の氏神様でしたが、1590年高島城築城に際し、城地にあった八剱神社と高島村は現在地に移りました。その後初代高島藩主諏訪頼水が城の鎮護神社として以来、歴代藩主は産土神として尊崇してきました。また諏訪大社に準じる神事を行うと共に、諏訪の七不思議の第一に上げられる諏訪湖の御神渡拝観という特殊神事も司ってきた神社です。御神渡とは現象的に云うと全面氷結した諏訪湖の氷が南北に幅50-60㎝ほどの亀裂を造り、割れた氷の破片が氷脈となって盛り上がり、蛇行しつつ湖面を貫くもので、この現象が上社の健御名方神が下社の八坂刀売神のもとに通われた道筋であろうと平安のころからすでに伝承されてきました。中世以降、氷脈の方向等で吉兆(農作物や気候等)を占うようになり、諏訪大社を通じて幕府に報告されてきました。この拝観記録は現在も八剣神社によって続けられており、上社に報告されています。上記のように大事な役割を担ってきた神社ですが平素は殆ど参拝に訪れる人もいないようで静けさに満ちた境内でした。案内には市指定文化財の木製狛犬が二対も居ると書いてありましたが拝観出来ないのが返す返すも残念でした。
日帰り出張で諏訪に。せっかくなので、どこかに参拝しようと徒歩で八剣神社にお参りしました。
諏訪湖の御神渡り神事で有名。諏訪湖にできた氷脈を観測して、その吉兆を占い、諏訪大社に報告するのがこの神社の役目。
元は高島城の場所にあったのが遷座し、城地に先んじて鎮座していたことから藩主の崇敬篤く、諏訪大社に次ぐ高さ、先端を三角に尖らせる特別仕様の御柱が許されています。
明治〜戦後における社格制度における県社。文化財でいうところの、「県指定重要文化財」に相当するので社格の高い神社で、重要視されていたことがわかります。
正面の一の鳥居。かつての表参道はこちらではなく、脇の古い石鳥居がある方でした。
手水。硫黄の臭い・味がするぬるい温泉でした。口をすすぐのは避けたほうがよいかもしれません。
神楽殿のようです。
狛犬
狛犬
拝殿
末社の猿田彦大神
末社の菅原神、大国主神、事代主神
拝殿
拝殿脇の末社
神紋は諏訪梶
八剱神社の御柱。諏訪大社に次ぐ高さ、先端を三角に尖らせることを許されている特別仕様。
長野県のおすすめ2選🍁
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