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たけみずわけじんじゃ

武水別神社
長野県 姨捨駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり95台

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惣一郎
2022年07月28日(木)
1269投稿

【信濃國 式内社巡り】

武水別神社(たけみずわけ~)は、長野県千曲市八幡にある神社。式内論社(名神大)で、信濃国四之宮。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は武水別大神、相殿神は誉田別命、息長足比売命、比咩大神。別名は「八幡宮」。

社殿によると、第8代孝元天皇の御代の創建。国史の初見は平安時代の866年で、無位から一躍して従二位の神階奉授を受けている。927年に編纂さ入れた『延喜式神名帳』に記載のある「信濃國 更級郡 武水別神社 名神大」の論社となっており、他の論社としては桶知大神社(長野市大岡丙)がある。当社の周辺一帯は平安時代末期より京都・石清水八幡宮の荘園となっており、安和年間(968年~970年)に八幡神が勧請されたと伝わる。以後、広く武門の崇敬を受け、木曾義仲が祈願したと伝わるほか、川中島の戦いの時の上杉謙信の勧請文も残されている。江戸時代に入ると、江戸幕府から朱印地200石を与えられた。明治に入り、社号を「八幡宮」から「武水別神社」に復称し、近代社格制度の下、はじめ郷社に列し、のちに県社に昇格した。

当社は、JR篠ノ井線・姥捨駅の北北東3km弱の千曲川西岸の平地にある。当社西側は古くからの門前町のようで、市街地になっている。南北に長い境内は広く、旧県社にも納得。そこに社殿などの立派な建物を加えると、別表神社であることも納得。長野県の天然記念物となっている社叢を中心に、緑豊かで神聖な空気感は、往古からの大社であることを感じさせてくれる。

今回は、信濃國の式内(名神大)論社、長野県の旧県社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、天気の良い週末ということもあるが、自分たち以外にも普通の参拝者が訪れていたほか、何組もの家族連れがおめかしをして祈祷を受けに訪れていた。

武水別神社の鳥居

県道77号線(長野上田線)の上に立つ<大鳥居>。

武水別神社(長野県)

境内に入ると、すぐに<太鼓橋>が架かる。このあと参道は社殿まで、真っ直ぐ数百m続く。
左奥には<社号標>がある。

武水別神社(長野県)

社号標の後ろ、参道左側にある<祠三社>。左から順に、<秋葉社(荒魂)>、<鹿島社>、<秋葉社(和魂)>。

武水別神社の建物その他

祠三社の右隣にある<神輿休処>。

武水別神社(長野県)

神輿休み処の右隣にある、摂社<高良社>。室町時代後期、16世紀ごろの建築と推定されていて、当社境内で最も古い建物とのこと。

武水別神社(長野県)

高良社の右隣にある茶店<うづらや>。

武水別神社の食事

「元祖・名物 登録商標」の台詞に負けて入店し、「名物うづらもち」と「アイスあまざけ(アルコール無)」を注文。うづらもちは上品な甘さでお茶との相性も抜群。冷やしあまざけもなかなかイケる。(o^―^o)

武水別神社の建物その他

参道右側には社叢が続くが、長野県の天然記念物に指定されている。かつて神仏習合の時代までは、仏塔などがあったとのこと。

武水別神社の自然

参道左側の見事な古木。幹は一度切れているようにも見えるが、上の葉の茂り方は非常に盛ん。

武水別神社(長野県)

参道左側の<手水舎>。

武水別神社の建物その他

手水舎後ろにある、<川中島の戦い 初戦の地・八幡>と書かれた石碑。

武水別神社の建物その他

参道の右側にある<総代会館>。

武水別神社(長野県)

いよいよ、神域の入口になる<中鳥居>。

武水別神社(長野県)

中鳥居の左側にある<狛犬>。

武水別神社(長野県)

中鳥居の右側にある<狛犬>。

武水別神社(長野県)

中鳥居をくぐると、参道の両側は駐車場になっている。その左側にある境内社群。左から順に<疱瘡社>、<神武天皇社>、<酒造祖社>。

武水別神社の建物その他

境内社群の右後ろにある<宝蔵>。この右手が駐車場入口。

武水別神社(長野県)

参道の右手にある<額殿>。

武水別神社の建物その他

額殿の手前にある<勅使殿>。

武水別神社の本殿

勅使殿の後ろにある<拝殿(祈祷殿)>。社殿周りの多くの建物は、江戸時代後期1842年の火災の後の、1856年建立。166年の歴史がある。

武水別神社(長野県)

<拝殿>正面。正統派の構え。当日は拝殿内で祈祷が行われていた。

武水別神社(長野県)

<拝殿>全景。後ろの屋根が見える大きな建物は<本殿>、左側の低い屋根は<祭儀所>。

武水別神社の建物その他

参道の左側にある<社務所>。その奥は<御供所>。

武水別神社の建物その他

こちらは<献納滝壺の石>。平安時代後期、木曾義仲が当社に使者を送って戦勝祈願した際に、使者がこの石にたまった水で具足を洗い、神前に額づいたと伝わっているとのこと。

武水別神社(長野県)

<祭儀所>の手前にある、①さざれ石、②絵馬掛け、③面白い形の木。御朱印と祈祷受付は<祭儀所>にて。

武水別神社の本殿

拝殿の後ろにある<本殿>全景。

武水別神社の本殿

<本殿>正面。こちらも正統派の構え。当日は拝殿内だけでなく、こちら本殿内でも祈祷が行われていた。

武水別神社(長野県)

本殿右側の境内社群。写真手前は<八剱社>。左隣は<宿祢社>、その左隣は<目洗石>。

武水別神社の末社

本殿裏側の境内社群。主な境内社は<子安社>、<天神社>、<荒神社>、<駒形社>、<御嶽社>、<十に神社>。

武水別神社の本殿

本殿を斜め後ろから見たところ。

武水別神社の建物その他

最後に<社殿>全景。お宮参りなどの正装の家族連れが多くいたが、地元で大事にされている感じが伝わって来る大社。(^▽^)/

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歴史

当社の創建に関しては、その年代は明らかではありませんが、社伝によれば、武水別大神は人皇第八代孝元天皇(紀元前二一四~一五六)の御代に御鎮斎と伝えられております。
その後安和年間(九六八~九七〇)に京都の石清水八幡宮より、誉田別命・息長足比売命・比咩大神が勧請され、相殿に奉斎されました。
当社は延喜式(平安初期の年中儀式や制度などを記した書物)に名神大社として記載されており、三代実録(延喜元年に編纂された歴史書)によると貞観二年(八六〇)に従五位下、同八年に従二位の神階を受け、同九年に官社に列したと有り、上古よりの大社であったことを窺い知ることが出来ます。

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武水別神社の基本情報

住所長野県更埴市大字八幡3012
行き方

しなの鉄道『屋代駅』より車で10分 /
市内循環バス(めいげつ号orちくま号)有り
上信越自動車道更埴I.C より10分
篠ノ井線『稲荷山駅』より車で10分

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名称武水別神社
読み方たけみずわけじんじゃ
通称お八幡様
トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号026-272-1144
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://takemizuwake.jp/
おみくじあり

詳細情報

ご祭神《主》武水別大神,《配》誉田別命,息長帯比売命,比咩大神
創建時代人皇第八代孝元天皇(紀元前二一四~一五六)の御代(伝)
札所など

ご神縁めぐり

文化財

長野県宝(有形文化財)
摂社高良社本殿(建造物)
銅製釣燈籠(工芸品)
千曲市指定有形文化財
武水別神社神官松田邸 13棟(建造物)
伎楽面 2面(彫刻) - 金剛面1面、力士面1面の2面。
獅子面 1面(彫刻)
金銅製六角釣燈篭(工芸品)

ご由緒

当社の創建に関しては、その年代は明らかではありませんが、社伝によれば、武水別大神は人皇第八代孝元天皇(紀元前二一四~一五六)の御代に御鎮斎と伝えられております。
その後安和年間(九六八~九七〇)に京都の石清水八幡宮より、誉田別命・息長足比売命・比咩大神が勧請され、相殿に奉斎されました。
当社は延喜式(平安初期の年中儀式や制度などを記した書物)に名神大社として記載されており、三代実録(延喜元年に編纂された歴史書)によると貞観二年(八六〇)に従五位下、同八年に従二位の神階を受け、同九年に官社に列したと有り、上古よりの大社であったことを窺い知ることが出来ます。

体験祈祷絵馬七五三御朱印お守り武将・サムライ

Wikipediaからの引用

概要
武水別神社(たけみずわけじんじゃ)は、長野県千曲市八幡にある神社。式内社(名神大社)で、信濃国四宮。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。 旧称は「八幡宮」。現在も「八幡(やわたまたははちまん)さま」「八幡神社(やわたじんじゃ)」の通称がある。
歴史
歴史[編集] 概史[編集] 創建年代については社伝によると、第8代孝元天皇の時代に鎮祭されたという[1]。 国史での初見は貞観8年(866年)で、無位から一躍して従二位の神階奉授を受けている。また延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では信濃国更級郡に「武水別神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。ただしこれらが当社に比定されるに至る根拠は確かではなく[2]、他の論社として桶知大神社(長野県長野市大岡丙)が挙げられている。 武水別神社一帯は平安時代末期より石清水八幡宮の荘園(小谷荘)となっており、安和年間(968年-970年)に石清水八幡宮から八幡神(相殿の3柱)が勧請された...Wikipediaで続きを読む
行事
祭事[編集] 年間祭事[編集] 武水別神社で行われる祭事は次の通り。特に、祈年祭(3月15日)、例大祭(9月15日)、大頭祭(新嘗祭、12月10日-14日)の3祭は「三大祭」と称される[1]。 年間祭事一覧 太字は三大祭[2]。 毎月 月次祭 (1日、5日、28日) 卯の日祭 (卯の日) 1月 歳旦祭 (1月1日) 御田植祭 (1月5日) 越年祭 (1月15日) 2月 節分祭 (2月節分の日) 紀元節祭(建国記念祭) (2月11日) 3月 祈年祭 (3月15日) 初卯講祭 (旧暦2月初卯の日) 4月 日岐目講社祭 (4月中旬) 春季祭 (4月28日) 6月 大祓式 (6月30...Wikipediaで続きを読む
引用元情報武水別神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%AD%A6%E6%B0%B4%E5%88%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=99652812

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