とがくしじんじゃおくしゃ
戸隠神社奥社のお参りの記録一覧(2ページ目)
中社から奥社まで歩いていきます。
GW真っ只中。だんだん参拝者も増えてきまして、奥社拝殿最後の石段の手前から大渋滞。
お参りして御朱印を頂くまで、約1時間かかりました。
神秘的なパワースポット、を感じることは残念ながらできず、、、
でも、汗をかき、歩いた努力はどうか認めて欲しい。
次回があれば、朝6時から歩き出したい(๑>◡<๑)
中社からこちらを歩きます。約1時間。
途中にある、女人堂跡
昔は女人禁制で女性はここまで。
比丘尼石
稚児の塔
穂高の山かな?
凄く綺麗、山を眺めて休憩
水芭蕉
カタクリ
やっと入り口まで来ました。
鳥居は人がいっぱいで撮影はなし!
随身門です。
杉の木立の中の参道
高ーい
トトロがいる!との声で、飛びついた
いる?いないよ〰︎
石仏群
滝
やっとここまで来たのに、大渋滞です。
ここから先の撮影は挫折。
五社巡りはしません。
ありがたく、奥社と九龍社を頂きます。
ついに来ました最強戸隠!⛩️
この機会逃したらダメと思って思い切って来てよかった!✨
宝光社→火之御子社→戸隠神社中社→九頭龍社→→戸隠神社奥社の五社巡り!⛩️
鞍馬寺に続いて体力詰んだ😱😱😱
どこも良かったですが、とにかく奥社までの道のりがもうスゴイ✨😭
奥社大鳥居からの長い雪道を進むと、、、徐々に大きい杉並木に突入してからの、、、隋神門キマシタ⛩️✨😭
もうとにかくスゴかった😢✨
言葉よりも写真で!!
では!!笑
奥社の大鳥居⛩️から!
雪道❄
見た目以上にぬかるみ!
見えてきた⛩️✨
見えてきた見えてきた⛩️✨✨
ドーン!✨
裏ドーン!✨✨
隋神門を抜けて神域へ、、、✨✨✨
杉並木がスゴイ、きれい❤
やっと奥社!!
バテすぎて途中から写真ムリなった😱
前回善光寺参拝した時に戸隠神社3社巡りしましたが奥社と九頭龍社が参拝出来なかったので紅葉の時期に参拝。素晴らしい所でした。また参拝したいです。
戸隠神社奥社御朱印
奥社参道入口鳥居
戸隠神社奥社名称
戸隠神社奥社中門
戸隠神社奥社
朝早くに出発。片道3時間半、以前より参拝したいと考えていてタイミング悪くのびのびになっていましたが、ようやく実現!午前9時半に到着、気温は7℃。歩くには丁度良いが手は冷たい。鳥居より片道30分、2キロの道のり。最後の石段はラスボスみたいに心が折れる。途中、小鳥のさえずりが聞こえてくる。時々立ち止まり深呼吸して神々しい空気を体に取り入れた。到着すると達成感は半端ない!参拝者も並ぶほどではありませんでした。こちらが本来の戸隠神社の本社で、参拝困難なことから中社に移ったらしい。御朱印は現在は書き置きのみで九頭竜社も合わせて戴きました。
社号標
さぁ!歩くぞ!
灯籠
大鳥居
最初は砂利道に落ち葉が落ちています
杉並木の参道
狛犬
灯籠
随神門
随神様
随神門裏
狛犬
手水舎
鳥居
拝殿
扁額
由緒書
40年ずっと念願だった戸隠神社奥社。
神様に導かれやっと叶いました。
戸隠神社奥社訪問時の映像です。よろしければご覧下さい。同じ神社仏閣を歩かれてる皆様からのコメント等頂けますと励みになりますのでお気軽にお越しください。
戸隠鏡池からの空撮映像です。タイトルは『奉納 天叢雲龍神ヶ山絵巻』
戸隠のお山の神気の凄さに圧倒されました。間違いなくこの地には神様がおられます。
何故ここに存在するのかずっと思ってましたが行けばその理由が解ります。
荘厳なる神界への回廊って言葉しか出てきません。
戸隠神社巡り〜 続いて奥社へ🐾
参道の一本道が神聖な空気で背筋が伸びます✨宝光社から頑張って歩いた甲斐がありました☺️
苔むした門が神聖です✨
スッと伸びた杉の参道。空気が変わります😳
戸隠山を修行場とした戸隠修験の総本山、その一社です。五社の中で一番高地にあり、この場所に天岩戸伝説でこじ開けた岩戸の扉が飛んできたとされています。奥社になると一気に人が増えます。
《鳥居》
道中ほとんど木に囲まれているので直射日光が少なく涼しくてありがたかったです。
《表参道①》
木一本一本のレベルがおかしい!!太っとい!
《随身門》
屋根までもっさもさに…
《奥社院坊跡》
明治までは随身門を越えたところに僧職の方たちの住居があり、神仏分離後に中社、宝光社に移動しました。ちなみに現在も宿坊として続いています。
《境内》
宝光社から奥社までは約2時間の散歩道(散歩のレベルじゃない)でした。なんか知り合いからは「徒歩とか正気じゃない」とか言われましたけどそんなことはなかったです。ぜひみなさんも歩いてここまで来てください。
《末社・飯綱大明神》
戸隠山の隣にある飯綱山ですが、実は開祖の「学問」という方は飯綱山に登ってこの奥社の場所を見つけて開山したそうです。
なので飯綱修験は戸隠修験より古いとされています。
《手水舎》
岩の隙間から滴っていました。そして冷たくて美味い!!
《境内》
さぁ、やっとゴールが見えて来ました。
《奥社》
👁チェックポイント‼️
奥社の内部は元々から岩窟の祭祀場になっており、戸隠神社にはこういったものが33あるそうです。ちなみに中は非公開だそうでどうなっているかは分からないんだとか。
…岩戸の扉が飛んできたと思ってましたが、岩戸が丸ごと飛んできたんですかね?
《奉納殿?》
奥社拝殿の横にあるのですが、酒樽とか御幣が置いてあります。絵馬堂的なものでしょうか?
令和4年6月 戸隠神社
南條旅館で朝ごはんを頂き、別所温泉から戸隠神社へ向かう。
朝ごはんは、薬膳粥や豆腐のたいたん等、実に滋養深い。また、七久里煮という「蕗、干瓢、芋殻、貝べり、干し椎茸、桜えび」と、山の幸をじっくり煮込んだ佃煮風の名物も、白いごはんに合う。
別所温泉は七苦離の温泉と言われるので、七久里という当て字が使われているのだろう。ちなみに、この七苦とは、仏教用語で、生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦を意味する。
この異常な暑さから離脱したい(笑)。
別所温泉駅8時28分発、上田駅56分着の上田電鉄に乗り、上田で9時1分発長野13分着の新幹線あさまに乗り換えたいが、わずか5分しか乗り換え時間がない。ギリギリ間に合う。
アルピコ交通の周遊チケットを購入し、9時40発のバスに乗り戸隠神社へ向かう。
年季の入った旧型の戸隠キャンプ場行きのバスに、約50人ほど乗車すると、上りでの時速は20〜30km/hほどしか出ない。
戸隠神社の五社全てをお参りするなら、奥社入口12時27分発のバスに乗りたいが、到着時間が約20分ほど遅れてしまったから厳しいかもしれない。
まずは、奥社と九頭龍神社を目指して参道を進む。木々のおかげか、思いのほか清々しい。平日なのに、ご参拝する方がとても多い。
九頭龍神社の手前の小さな滝音が心地よい。帰りの参道で「サンダルでここまで来たの?」と声をかけられる。
「たいていサンダルなんです(笑)」
五社全部まわりたいけど、バスの時間が厳しいことを話すと、中社まで車で送って頂けることになった。
ありがたい。
おかげ様で、時間を気にすることなく、参道口付近の川に足をつけて涼むことも出来た。
中社、13時着。
神道と呼ばれる古道を歩き、火之御子社へ。神道を少し戻り、宝光社へ。
宝光社14時38発注のバスに乗って長野駅へ。
長野18時11分発の新幹線はくたかに乗り、19時37分金沢着。金沢で乗り換え、金沢19時47分発のサンダーバードに乗り、22時31分大阪着。
かなりハードな行程だと思う。
戸隠神社五社参拝 一社目!
広大な神域の最上部に御本社の奥社があります。山の中の神々しい随神門に感動!背後に戸隠山の荒々しい岩肌が迫っており、山岳大霊場のパワーを感じます!!いつか登ってみたいなあ😄
鳥居。
参道はしばらくなだらかです。
道の脇に沢が流れています。森林浴が気持ちいいです♪
朱色の随神門が見えてきました。
神々しい随神門
後ろから見ると緑がこんもりしています。
随神門を過ぎると道の傾斜が増してきます。
道の途中に古い杉の御神木があります。
山つつじが咲いています。
手水舎
岩肌がむき出しです。
奥社の鳥居
奥社の社殿
奥社の御朱印帳。御朱印帳を授与すると二社(奥社と九頭龍社)の直書き御朱印をいただけます。
勝守りも授与しました。
【信濃國 古社巡り】
戸隠神社・奥社は、は、長野県長野市戸隠にある、戸隠神社(※詳細は下記)を構成する5社のうちの1社。また戸隠三社というときの1社。祭神は手力男命。
創建は孝元天皇の御代、紀元前210年。祭神は神代の昔、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって岩戸を開いた神。平安時代の849年に、学門(学問)行者が道場として開いた伽藍が起源とされる。
当社は、戸隠神社を構成する5社の中で最も高い場所にあって、戸隠道(県道36号線)上の入口(中社から1km)から2kmの参道を進んだところにある。境内(社叢)の広さは51ヘクタールで、東京ドーム11個分と広大。参道途中に隋神門があり、参道両側には17世紀に植樹された杉並木が続く。神仏混淆の時代には、参道両側に子坊が並び、聖観音菩薩(現在は長野県千曲市の長泉寺本尊)を祀っていた。本殿内部に戸隠三十三窟の「本窟」と「宝窟」があると言われるが非公開。
今回は、旧国幣小社である戸隠神社5社のうちの1社ということで参拝することに。参拝時は休日の午前で、天気が良いこともあり、ハイキングに来ている人を含め。かなり多くの人々が参拝に訪れていた。
※御朱印は、奥社・九頭龍社共通の授与所で拝受できる。
(※)戸隠神社(とがくし~)は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺の、奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社の5社からなる神社。旧社格は国幣小社。祭神は、奥社が天手力雄命(あめのたちからお)、中社が天八意思兼命(あめのやごころおもいかね)、宝光社が天表春命(あめのうわはる;中社祭神の御子神)、九頭龍社が地主神の九頭龍大神、 火之御子社が天鈿女命(あめのうずめ)。別称は「戸隠権現」、「戸隠三社」。
説によると、奥宮の創建は孝元天皇5年(紀元前210年)と言われ、九頭龍社はそれよりも古いとしている。戸隠山は、天照大神が籠っていた「天の岩戸」を天手力雄命が投げ飛ばした際の破片が飛んできて山となったと言われ、地主神である九頭龍大神が天手力男命を迎え入れたのが始まりとされる。『日本書紀』に記されている「水内の神」が戸隠神社であるとする説もある。平安時代の849年に僧・学問が奥社の地で初めて修験を始めたとされ、その後、天台密教、真言密教、神道とが習合した神仏混淆の戸隠山勧修院顕光寺として発展し、修験道場・戸隠十三谷三千坊として比叡山延暦寺、高野山金剛峰寺とともに「三千坊三山」の1つとして全国に知られるようになった。鎌倉時代には当山(延暦寺山門派)の別当であった栗田氏が山麓の善光寺(園城寺山門派)の別当をも世襲したため、両寺は関連を深めた。戦国時代に当北信濃地域は、甲斐國・武田信玄と越後國・上杉謙信との争乱に巻き込まれ、栗田氏は分裂させられ、苦境の時期を過ごした。江戸時代に入ると、徳川家康から朱印地1000石を与えられ「戸隠山領」が成立し、同時に東叡山寛永寺の末寺となった。次第に農業神、水の神の性格が強まり、山中は次第に修験道場から門前町へと変貌していった。明治時代になると、神仏分離令や修験宗廃止令により廃仏毀釈運動が起き、戸隠山顕光寺は寺院を分離して神社となり、宗僧は還俗して神官となった。
戸隠道(県道36号線)から見た<戸隠神社奥社入口>。社号標も立っている。
ここから参道を2km進む。森林浴のスタート。(o^―^o)
入口から坂を下ると右手に<茶屋>があり、進んで<神橋>を渡る。
神橋の先にある<鳥居>。
平坦な参道を数百m進むと、両側に<狛犬>が現れ、<隋神門>が見えてる。
こちらが<隋神門>。真っ赤な躯体に、藁葺屋根の上に生えた雑草が印象的。
<隋神門>は旧仁王門で、現在は「隋神門」の扁額が掛かり、両側には随身像が収められている。
隋神門をくぐったあとの参道。両側のまっすぐで高い巨木が戸隠の歴史を感じさせてくれる。
江戸時代初期に挿し木によって植樹されたスギとのこと。
現在は何もないが、こちらが<奥社院坊跡>とある。平安時代から江戸時代までは、こちらに戸隠権現に奉仕した院坊があったが、宝光社、中社に住居を移したとのこと。
参道途中にあった、杉の根本の空洞。説明書きはなかったが、安産祈願の祠になっているのかな。
途中から、参道は徐々に登り始める。
参道が狭くなっているところでは、一列になって下山者とすれ違う。
明治時代の講社の石碑。昔はここまで参拝に来るのも一大イベントだったのかな。
いよいよ社殿周りに到着。最初に参道左手に見える建物は<授与所>。御朱印はこちら。
参道の突き当りにある<手水舎>。
手水舎の左側にある階段を登って、右方向に進む。
階段左側の<狛犬>。小さい出雲式狛犬。
階段右側の<狛犬>。角はあるが小型愛玩犬みたい。
階段を上がったところにある<九頭龍社>。戸隠神社5社の1つ。
階段は2列あるが、左が奥社社殿に通じる階段。右は祭祀場のような何もない場所に繋がっている。
いよいよ奥社社殿の鳥居をくぐる。
奥社社殿全景。奥に洞窟があるので、こちらは拝殿と呼ぶべきなのかな。
奥社拝殿正面。この内部には祈祷できる広いスペースがあって、この時も祈祷が行われていた。
拝殿に向かって左側にある建物。
外には絵馬掛け、中には奉納物の酒樽や千羽鶴などが置いてある。扁額は「戸隠大神」。
最後にもう一度、見納めに奥社拝殿を眺める。
鳥居を出て階段を下る。さっきより行列が伸びているかな。
ここから帰り道。参道脇の巨岩の脇に並ぶ石仏群。
行きに見逃した<飯綱神社>。
帰り道は目的達成後なので、気分は晴れやか。景色を楽しむ余裕も倍増。(o^―^o)
純粋に森林浴を楽しみながら、らくらくの下りの道を進む。
もう一度<隋神門>をじっくり眺める。
最後に入口の<鳥居>。スタートは11:00、現在12:30なので、1時間半で往復したみたい。
ちょうど気候の良い季節だったので、暑くもなく寒くもなく、軽い運動としても気持ちが良かった~♪ (^▽^)/
長野県のおすすめ2選🌸
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
22
0