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式内社で、善光寺三鎮守(善光寺三社)・善光寺七社の一社。御祭神は八坂刀売命相殿神として建御名方命 ・彦神別命 を祀っています。伝承では、建御雷神と争って敗れた建御名方神は出雲から海沿いに逃れて北上。千曲川を遡って横山(善光寺付近)に辿り着いたところで追撃する建御雷神に迫られて応戦した。この際に后神は裾花川上流のこの地に戦火を逃れて隠れひそんだことから、この名称となったという。なお、この時に建御名方神は再び敗れて負傷し、上田の生島足島神社に逃れて養生をしてから諏訪に至ったのだとも伝えられています。付近は長野市随一の高級住宅地で、表通りは官庁街になっています。社殿は段丘を利用して建てられていて、本殿を望むのはなかなか難しい。こちらも弥栄神社の兼務社で、先に御朱印を戴いていました。事前に確認して境内に駐車させていただきました。
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【善光寺七社巡り(5/7)】/ 【信濃國 式内社巡り】
妻科神社(つましま~)、長野県長野市南長野にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は八坂刀売命(建御名方神の妃神)、相殿神は建御名方命、彦神別命。善光寺七社の1社で、善光寺三鎮守の1社。諏訪大社と同じ建御名方神を祀り、同じ祭神を祀る周辺の4社(当社、湯福神社、武井神社、健御名方富命彦神別神社(城山県社水内大社))の持ち回りで寅年、申年に御柱祭を行っている。
創建は不詳。当社は信濃國水内郡一の大社・健御名方富命彦神別神社の后神の社と伝わり、その両社で『日本書紀』持統天皇5年(691年)条にある「水内神」とする説もある。国史の初見は『日本三代実録』860年条に神階奉授、863年条に神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「信濃國 水内郡 妻科神社 小」に比定されている。江戸時代には松代藩から社領2石が寄進された。明治に入り、近代社格制度の下、郷社に列し、のちに県社に昇格した。
当社は、長野線・権堂駅の西方1.2kmの平地、住宅街の中にある(当社南側の住宅地は長野県一の高級住宅街で、地価公示価格関連のニュースで出てくるとのこと)。境内は東西に長く、南向きに立つ社殿周りはかなり小高くなっている。それなりに広い境内だが、旧県社格としては小さい方か。当社も立派な古木があって、それが古社らしい雰囲気を醸し出している。
今回は、善光寺七社の1社、信濃國の式内社、長野県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の夕方で、自分たち以外に参拝者はいなかった。
※当社は弥栄神社(長野市上西之門町)が兼務しているため、御朱印は弥栄神社で拝受できる。

境内南端入口の<鳥居>と<社号標>。木製の両部鳥居が古社らしく良い。

鳥居の左側にある<狛犬>。吠える仔獅子がかわいい。
台座には「大正十年(1921年)」とあるが、狛犬もそうなのかな? きれいなので百年物には見えない。



#妻科神社
パンフによればご祭神はヤサカトメの命。
ウィキペディアなどいくつかのサイトに、ヤサカトメの命は主祭神で、相殿神にタケミナカタの命とヒコカミワケの命とある。が、公式のソースでは未確認。
#八坂刀売命
妻科神社は善光寺七社の1社で、その中でも特に善光寺三鎮守と呼ばれる3か所にも含まれる。
ヤサカトメの神やタケミナカタの神にとっての総本宮は、諏訪大社(長野県諏訪市など)。長野県のほぼ中央に位置する諏訪湖を囲むように、4か所の拠点を持つ。これに対し、妻科神社の鎮座する長野市は、長野県の中でもかなり北にある。しかしパンフによれば、長野市は諏訪大社とことのほか関係が深く、諏訪大社の分社が他の市町村よりも有意に多いだけでなく、市内に諏訪や新諏訪といった地名を残すと。
また僕はこの日、善光寺七社のうち柳原神社、湯福神社、加茂神社へも参拝したが、この中で柳原神社のご祭神はタケミナカタの命、湯福神社のご祭神はその荒御魂だ。
そう考えると、善光寺の周りを固めるかのように点在する七社が、善光寺の御柱みたいに見えなくもない。
#彦神別命
全国善光寺会HPに、ヤサカトメの命とタケミナカタの命の御子神で、水内郡を開発・経営した神様とある。妻科神社のページに記載があるが、神社のご祭神とは書いていない。なお水内郡とは、信濃の国のうち現在の長野市などを含む地域。
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