しいばいつくしまじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ
今からおよそ800年前、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の落人は、山深い椎葉の地へ逃れてきました。
追討を命じられた源氏の大将・那須大八郎宗久(那須与一宗高の弟)は、落人たちを哀れに思い、平家の氏神・安藝の厳島大明神を勧請しました。以後、厳島神社はこの地の守り神として今でも地元の人たちによって崇敬されています。
投稿をもっと見る|










写真をもっと見る|
100年後に神社お寺を残せる未来へ
椎葉厳島神社について
平家落人の里の鎮守
今からおよそ800年前、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の落人は、山深い椎葉の地へ逃れてきました。
追討を命じられた源氏の大将・那須大八郎宗久(那須与一宗高の弟)は、落人たちを哀れに思い、平家の氏神・安藝の厳島大明神を勧請しました。以後、厳島神社はこの地の守り神として今でも地元の人たちによって崇敬されています。
おすすめの投稿

くるみママ
2023年04月24日(月)419投稿

タンホイザ
2023年04月17日(月)3867投稿
壇ノ浦の戦いで破れた平家一門追討の命を受けた那須大八郎宗久(那須与一の弟)が、椎葉山山中で暮らす平家残党の姿を憐れみ、平家の守護神・厳島神社を勧請して1185年創建した。
宗久は3年間この地を統治し、平清盛の末裔とされる鶴富姫と恋仲となり鶴富姫は子を宿した。
鎌倉幕府からの帰還命令を受けた宗久は椎葉山を後にするが、男子が生まれたら領国の下野に連れて来るように、女子であればこの地で育てよと命じる。
鶴富姫は女児を出産し婿を迎え、那須下野守を名乗り椎葉を支配したと言い伝えられている。
神社の向かいにある那須家住宅(鶴富屋敷)は江戸時代後期の文政年間(1818年~1829年)の建築で重文指定されている。敷地内にある鶴富廟堂には鶴富姫と那須家代々の霊が祀られている。
16件
写真

裏側に着いてしまった😅

狛犬さま

「よこい処しいばや」でランチ
打ち立ての手打ちそば、コシがあり美味しかったです。

鶴富姫の化粧水の下では、蛍の飼育をしているそうです。

しいば土俵

手水

由緒書

拝殿

鶴富廟堂

鶴富廟堂

那須家住宅(鶴富屋敷)

那須家住宅(鶴富屋敷)
46
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ






