くしふるじんじゃ
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駐車場 | 鳥居前に無料駐車場あり |
その他の巡礼の情報
槵觸神社について
天孫 瓊々杵命(ににぎのみこと)が天降られた聖地
槵触峰そのものをご神体とする高千穂八十八社の一つ。現在は天津日子番邇々杵命(あまつひこほのににぎのみこと)を主祭神として祀っています。
周辺には見所たくさん
天孫降臨の際、この地には水が無かったため、天村雲命が高天原に戻り、天真名井から汲んできた水を移したとされる天真名井(あまのまない) 、八百万の神々が集まり高天原を遥拝した場所と伝えられる高天原遥拝所をはじめとし、夜泣き石や四皇子峰など、日本神話にまつわる史跡が徒歩圏内にたくさん点在しています。
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【日向國 古社巡り】
槵觸神社(くしふる~)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井にある神社。式外社(国史見在社)論社で、旧社格は県社。祭神は天津彦彦火瓊瓊杵尊、天児屋根命。神体は槵觸山。
創祀は不詳。槵觸山の中腹に鎮座し、同山を神体山とするため、長く本殿を持たなかったとされる。槵觸山は、日本神話の天孫降臨の聖跡と言われ、『日本書紀』に記載のある「高千穂の槵觸之峯(くじふるのたけ)」、「槵日高千穂之峯(くしひのたかちほのたけ)」、『古事記』に記載のある「筑紫の日向の高千穂之久士布流多気(きじふるたけ)」に比定され、古来霧島山とともに天孫降臨の有力な比定地とされ、霧島神社と並び称された。また当社を国史に見える「高智保神(高智保皇神)」とする説があり、「高智保神」は『続日本紀』には843年に神階奉授、『日本三代実録』には858年に神階昇叙の記載がある。ただし、927年に編纂された『延喜式神名帳』には記載がない。
社伝によると、江戸時代中期の1694年に高千穂神社宮司が延岡藩主・三浦明敬の援助を仰ぎ、高千穂18郷の郷民の協力の下、初めて社殿が建立された。のち延岡藩主・内藤氏も例祭に代参を派遣して神事料を奉納するなどしている。明治時代に入り、国史見在社に比定されたため、県社に列格した。
当社は、JR日豊本線・延岡駅の西北道のり43kmほどの街の外れ、小山の森を切り拓いた道沿いにある。境内入口の鳥居をくぐると、あとはすべて森の中で、緩やかに登る参道を進むと、社殿前にほど良い階段がある。相当な樹齢の巨木に囲まれた社殿は大きくかなり立派。かなり森が深く、夕方の遅い時間だったので、よほどの神社好きでない限り参拝者は来ないだろうと思っていたが、地元民と思われる夫婦が参拝に訪れびっくりした。さすが天孫降臨比定地の神社。
今回は、日向国の式外社、宮崎県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は夕方遅めの時間であったが、上述の通り、自分たち以外にも参拝者が一組いた。
境内南西端入口の<鳥居>。社号標はない。
扁額には難しい漢字で「槵觸神社」と書いてあるが普通の人は読めないのでは?(^_^;)
鳥居をくぐって参道を進む。参道は両側を紐と紙垂で仕切られている。
さすが天孫降臨の比定地だけあって、ほど良い暗さとしっとりとした空気感が良い(マイナスイオンが飛びまくっているイメージ)。
やがて参道左側に現れる<社務所>。
さらに進むと参道左側に<手水舎>。
手水舎後方の樹木群が太くて高く、古社らしい抜群の雰囲気。
いよいよ階段を登る。
階段を1セクション登り切ったところの右手にある<相撲場>。
2セクション目の階段を登る。
いよいよ<拝殿>が見えてくる。そう言えば、当社には狛犬がいない。
<拝殿>正面。注連縄に赤と緑の紙垂が付けられているのが珍しい。
<拝殿>内部。ちゃんと灯りが点くようになっている。
拝殿から振り返って境内全景。
拝殿に向かって左手にある建物。表札等はないが祭器庫かな。
拝殿後ろの<本殿>。
拝殿と本殿のバランスはこんな感じ。間にあるのは雪下ろし用のすべり台?(。´・ω・)?
見たところ非常にきれいで、近年改築されたみたい。
最後に<拝殿>全景。誰も来ないだろうと思っていたところに、後から夫婦連れがやって来てビックリした。
(^▽^)/
名称 | 槵觸神社 |
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読み方 | くしふるじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0982-72-2413(高千穂神社) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 《主祭神》 天津彦彦火瓊瓊杵尊 《配祀神》 天児屋根命 天太玉命 経津主命 武甕槌命 |
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ご神体 | 槵触峰 |
創建時代 | 神武天皇即位前 |
本殿 | 三間社流造 |
体験 | おみくじ御朱印お守り祭り札所・七福神巡り伝説 |
Wikipediaからの引用
概要 | 槵觸神社(くしふるじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町に鎮座する神社。国史見在社「高智保皇神(高智保神)」の論社で、旧社格は県社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創祀の事情は不詳であるが、槵觸山の中腹に鎮座し同山を神体山とするため、長く本殿を持たなかったという。槵觸山は日本神話の天孫降臨の行われた聖蹟と伝え、『日本書紀』神代巻下の天孫降臨段第1の一書に見える「高千穂の槵觸之峯(くじふるのたけ)」や、第2の一書の「槵日高千穂之峯(くしひのたかちほのたけ)」、『古事記』の「筑紫の日向の高千穂之久士布流多気(くじふるたけ)」、『日向国風土記』逸文(『釈日本紀』所引)の「高千穂の二上の峯」に比定され、古来霧島山とともに天孫降臨の有力な比定地とされ、霧島神社と並び称された。また、当神社が国史に見える「高智保神(高智保皇神)」であるとすれば神階...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 神事[編集] 例祭は10月16日。上述のように高千穂神社の春の祭りに対する秋の感謝祭で、年占の意味を込めた神事相撲が奉納される。かつては九州一円から力士が集まり、高千穂方と来訪方に別れて技を競ったという。 |
引用元情報 | 「槵觸神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%A7%B5%E8%A7%B8%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102014775 |
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