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えだじんじゃ

江田神社のお参りの記録一覧
宮崎県 宮崎駅

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神祇伯
神祇伯
2025年10月13日(月)1735投稿

日向国宮埼郡の式内社です。記紀神話において黄泉の国から戻ってきた伊弉諾命さまが穢れを落とすために禊祓を行なった地として「筑紫之日向之阿波岐原之小戸」が出てきます。当社の鎮座地がその阿波岐原であるとされており、「御祓発祥の地」とよばれています。

江田神社(宮崎県)

《一の鳥居》
ちなみに江田神社は当社と四日市市にもう1社ありどちらも式内社ですが、四日市市の方は五十功彦命さまを御祭神としています。

江田神社(宮崎県)

《古事記の神系図》
こう見ると瓊瓊杵尊さまが山神様と、彦日々出見尊さまが海の神様と姻戚関係になっており、太陽神(空の神)が海と地の神様と関係をもったことになりますね。

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惣一郎
惣一郎
2023年02月25日(土)1269投稿

【日向國 式内社巡り】

江田神社(えだ~)は、宮崎県宮崎市阿波岐原町字産母にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は伊邪那岐尊、配祀神は伊邪那美尊。かつて「産母(やぼ)二柱大明神」、「産母さま」と称された。また<禊(みそぎ)発祥の地>、<祝詞(のりと)発祥の地>としても知られている。

創建は不詳。『古事記』、『日本書紀』には伊邪那岐尊が黄泉から帰還して禊を行ったとの記載があるが、禊を行った場所について『古事記』では「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」、『日本書紀』では「筑紫日向小戸橘之檍原」と記されているが、この「阿波岐原・檍原(あわきがはら)」が当地であると伝えられている。また祈年祭などの祝詞の口上でも「かけまくもかしこきイザナギノオオカミ、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」と読み上げられ、禊発祥の地であるとともに祝詞発祥の地であるとも言われる。
国史の初見は『続日本後紀』827年条で官社に預かったと記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「日向國 宮埼郡 江田神社 小」に比定されている。なお、境内から10世紀前後の須恵器が出土していることから、創建当初の場所に現在も鎮座していると考えられている。中世は京都の『清滝宮勧進神名帳』や『戒壇院公用神名帳』(1479年)にも記載が見られ、日向國を代表する神社であったとみられている。江戸時代は幕府領伊東氏飫肥藩預地であったが、1662年の外所(とんどころ)地震の大津波により社殿を喪失し衰退した。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。

当社は、JR日豊本線・蓮ヶ池駅の東方2kmちょっとの、阿波岐原森林公園・市民の森の中、平地にある。境内西側には県道11号線が通っていてアクセスが良く、境内の東側すぐのところにフェニックス・シーガイア・リゾートがある。境内の境界は曖昧だが、南北に細長い境内は入口の鳥居から参道までが200mぐらいある。緑豊かな参道と大きな社殿のみでシンプルな造り。

今回は、日向國の式内社、宮崎県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、公園の中だからか、フェニックスリゾートの観光客がいるのか、境内はそんなに大きくないにもかかわらず、多くの参拝者が訪れていた。

江田神社(宮崎県)

境内南端入口の<一の鳥居>と<社号標>(社号標は左灯籠の後ろにある)。

江田神社(宮崎県)

一の鳥居をくぐって進むと、参道左側に現れる謎のモニュメント。「宮崎=太陽」のイメージを具現化したものなのかな?(。´・ω・)?

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のぶさん
のぶさん
2021年07月31日(土)1661投稿

記紀旅で初めて参拝
先日みそぎ御殿の投稿にみそぎ池も一緒に投稿しましたが江田神社と併せた方が良いので同じ写真載せます🙏
宮崎県屈指のパワースポットに早朝に訪れた為、境内には凛とした空気が漂っていて身が引き締まる適度な緊張感の中参拝させていただけました。
駐車場にボランティアのガイドさんがいて、神話の時代のお話等聴かせてくれくれながら境内の案内をしていただけます。
江田神社は、太古の創建で、創立年代は不詳ですが、伊邪那岐尊が禊祓霊跡伝えられ、その縁起の最も深き社です。

神代の昔、伊邪那岐尊は、その妻の伊邪那美尊がお亡くなりになったのを嘆かれ、その後を慕ってお入になった黄泉国から逃げ戻り「筑築の日向の橘の小戸の阿波岐原」に下られて御身の汚を禊祓、清められます。その際、御降誕あらせられたのが天照皇大神、月讀尊、素佐嗚尊と住吉三神などの神々です。

その禊祓の地は、上瀬は瀬速し、下瀬は瀬弱とされ、中瀬で禊祓されたと伝えられています。その中瀬は、江田神社の500mほど北東にある「みそぎ池」とされています。

後、入江を開墾して江田と称して創建されたと考えられています。平安時代中期に作られた「和名類聚抄」の「宮崎郡条」に見える江田郷に鎮座の記録が残っており、「続日本後紀」の承和4年(837)8月1日条くだりでは、「日向國に児湯郡都濃神(都農神社)妻神(都萬神社)宮崎郡の江田神(江田神社)諸縣郡霧嶋岑神(霧島神社)並びて官社を預る」とあり、官社に列したことが記されています。仁寿元年(851)10月に従四位下げを授けられ、貞観元年(859)には従四位上に進められます。その後、天禄元年(970)までに天変地妖兵革等の年毎に叙位8回に及び、神階は最高位の正一位に昇階します。醍醐天皇の御代、延長5年(927)に編纂された「延喜式神名帳」にて「日向国式内社四座」の一社として登載され、祈年・新嘗の奉幣を受けました。寿永2年(1183)正月に伊邪那美尊を配祀し、産母二柱大明神と称し、里人からは産母様として親しまれ、社領30余町を有していました。日向国を代表する神社として社勢しゃせいを誇りました。

江田神社のその他建物

駐車場の片隅には「みそぎの碑」が建てられています。そのそばには宮崎の神話について説明した解説版があります。

江田神社のその他建物
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