えだじんじゃ
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江田神社ではいただけません
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江田神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年07月31日(土)
参拝:2021年7月吉日
記紀旅で初めて参拝
先日みそぎ御殿の投稿にみそぎ池も一緒に投稿しましたが江田神社と併せた方が良いので同じ写真載せます🙏
宮崎県屈指のパワースポットに早朝に訪れた為、境内には凛とした空気が漂っていて身が引き締まる適度な緊張感の中参拝させていただけました。
駐車場にボランティアのガイドさんがいて、神話の時代のお話等聴かせてくれくれながら境内の案内をしていただけます。
江田神社は、太古の創建で、創立年代は不詳ですが、伊邪那岐尊が禊祓霊跡伝えられ、その縁起の最も深き社です。
神代の昔、伊邪那岐尊は、その妻の伊邪那美尊がお亡くなりになったのを嘆かれ、その後を慕ってお入になった黄泉国から逃げ戻り「筑築の日向の橘の小戸の阿波岐原」に下られて御身の汚を禊祓、清められます。その際、御降誕あらせられたのが天照皇大神、月讀尊、素佐嗚尊と住吉三神などの神々です。
その禊祓の地は、上瀬は瀬速し、下瀬は瀬弱とされ、中瀬で禊祓されたと伝えられています。その中瀬は、江田神社の500mほど北東にある「みそぎ池」とされています。
後、入江を開墾して江田と称して創建されたと考えられています。平安時代中期に作られた「和名類聚抄」の「宮崎郡条」に見える江田郷に鎮座の記録が残っており、「続日本後紀」の承和4年(837)8月1日条くだりでは、「日向國に児湯郡都濃神(都農神社)妻神(都萬神社)宮崎郡の江田神(江田神社)諸縣郡霧嶋岑神(霧島神社)並びて官社を預る」とあり、官社に列したことが記されています。仁寿元年(851)10月に従四位下げを授けられ、貞観元年(859)には従四位上に進められます。その後、天禄元年(970)までに天変地妖兵革等の年毎に叙位8回に及び、神階は最高位の正一位に昇階します。醍醐天皇の御代、延長5年(927)に編纂された「延喜式神名帳」にて「日向国式内社四座」の一社として登載され、祈年・新嘗の奉幣を受けました。寿永2年(1183)正月に伊邪那美尊を配祀し、産母二柱大明神と称し、里人からは産母様として親しまれ、社領30余町を有していました。日向国を代表する神社として社勢しゃせいを誇りました。
先日みそぎ御殿の投稿にみそぎ池も一緒に投稿しましたが江田神社と併せた方が良いので同じ写真載せます🙏
宮崎県屈指のパワースポットに早朝に訪れた為、境内には凛とした空気が漂っていて身が引き締まる適度な緊張感の中参拝させていただけました。
駐車場にボランティアのガイドさんがいて、神話の時代のお話等聴かせてくれくれながら境内の案内をしていただけます。
江田神社は、太古の創建で、創立年代は不詳ですが、伊邪那岐尊が禊祓霊跡伝えられ、その縁起の最も深き社です。
神代の昔、伊邪那岐尊は、その妻の伊邪那美尊がお亡くなりになったのを嘆かれ、その後を慕ってお入になった黄泉国から逃げ戻り「筑築の日向の橘の小戸の阿波岐原」に下られて御身の汚を禊祓、清められます。その際、御降誕あらせられたのが天照皇大神、月讀尊、素佐嗚尊と住吉三神などの神々です。
その禊祓の地は、上瀬は瀬速し、下瀬は瀬弱とされ、中瀬で禊祓されたと伝えられています。その中瀬は、江田神社の500mほど北東にある「みそぎ池」とされています。
後、入江を開墾して江田と称して創建されたと考えられています。平安時代中期に作られた「和名類聚抄」の「宮崎郡条」に見える江田郷に鎮座の記録が残っており、「続日本後紀」の承和4年(837)8月1日条くだりでは、「日向國に児湯郡都濃神(都農神社)妻神(都萬神社)宮崎郡の江田神(江田神社)諸縣郡霧嶋岑神(霧島神社)並びて官社を預る」とあり、官社に列したことが記されています。仁寿元年(851)10月に従四位下げを授けられ、貞観元年(859)には従四位上に進められます。その後、天禄元年(970)までに天変地妖兵革等の年毎に叙位8回に及び、神階は最高位の正一位に昇階します。醍醐天皇の御代、延長5年(927)に編纂された「延喜式神名帳」にて「日向国式内社四座」の一社として登載され、祈年・新嘗の奉幣を受けました。寿永2年(1183)正月に伊邪那美尊を配祀し、産母二柱大明神と称し、里人からは産母様として親しまれ、社領30余町を有していました。日向国を代表する神社として社勢しゃせいを誇りました。
駐車場の片隅には「みそぎの碑」が建てられています。そのそばには宮崎の神話について説明した解説版があります。
社殿まで続く参道は、一の鳥居から二の鳥居まで両側が真っ直ぐに伸びる樹木に覆われて美しい景観を作っています。参道に生い茂るのは常緑樹の照葉樹で太陽の光に葉が照らされ光り輝き、期待感が増します。
神社駐車場からでは一の鳥居と二の鳥居の間から参道に出てくるようになるので、一の鳥居まで戻り、一の鳥居から参拝しました
神社駐車場からでは一の鳥居と二の鳥居の間から参道に出てくるようになるので、一の鳥居まで戻り、一の鳥居から参拝しました
社殿に向かって参道を歩いていると注連縄が巻かれた大きなクスノキが右手に見えます。江原啓之氏が「とてもパワーがある木」だと言ったことから注目を集め最近になってご神木となりました。
このご神木に触れると大きなパワーが授かると人気で、特に木の下のほうにある大きなコブを撫でると強力なパワーが得られると伝わっています。沢山の参拝者が撫でるため、コブは磨き上げられたようにピカピカに光っていてその人気ぶりがわかります。
以前はこの奥の鳥居を抜けて御池まで行けたようですが今は立ち入り禁止になってるようです。
みそぎ池は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉国で穢れた体の禊を行った場所で「禊発祥に地」とされています。ここで伊邪那岐命が、右目を洗うと天照大神、鼻を洗うと月読尊、左目を洗うと素盞鳴尊が生まれたのです。
池の周囲には御幣が立てられ、神域になっていることが分かります。
池の周囲には御幣が立てられ、神域になっていることが分かります。
すてき
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のぶさん1582投稿
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