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楽しみ方三聖堂のお参りの記録一覧

宮城県松島にあるお寺(?)です。
ホトカミに登録があったので投稿させていただきます。
瑞巌寺から円通院に向かう途中にありました。
由緒書には
天和2年(1682) 瑞巌寺101世鵬雲東搏禅師によって建立されたお堂で 堂内正面に聖観世音菩薩像 左に達磨大師像 右に菅原道真像を安置したことから三聖堂と称されています。
開創当初は北東面向きに建てられていましたが 参拝者の便を図るため 永6年(1709) 104世夢庵如幻禅師が現在の姿に改めました。
方三間の素木造りで屋根は宝形造・茅葺き 正面に一軒の向拝がつく質朴な端正な造りです。
創建以来 向きの変更と葺き替えを除いて大きな改修・修繕が行われた記録はありません。
扁額「三聖堂」は創健社である鵬雲禅師の筆によるもので 創建当時の棟札も残されています。
とありました。

お堂

水盤

由緒

石仏 観音様かな

もう一つ建物がありました

鎌倉時代、北条時頼が家臣・蜂谷美濃守を松島円福寺(瑞巌寺)守護のために派遣。子孫が松島に土着しました。
そして、子孫・蜂谷掃部(かもん)は、子宝に恵まれぬことから、観音さまに祈願したところ、やがて男の子が誕生、名は小太郎と名づけられました。
小太郎は、観音堂に梅の若木を植えてこよなく愛していました。
小太郎が十五歳の春、父が伊勢参りで道連れとなった象潟の商人と親しくなり、小太郎と商人の娘との結婚を約束したのです。
ところが、帰国した父は小太郎が病死したことを知ります。
掃部は泣きながら商人の娘に訳を話しましたが、娘は松島の人となり、掃部夫妻に孝養をつくしたのです。
後に娘は髪をおろして名を紅蓮と改めました。
小太郎が愛した梅の木が軒端の梅で、娘のもとには紅蓮尼と小太郎の碑・比翼塚が建てられています。
蜂谷氏が観音仏を守っていたことから、その後、瑞巌百一鵬雲が観音を本尊とし、左に達磨、右に菅公を配した三聖堂を建立しました。

御堂





周辺に有ります

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