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とけいいなりじんじゃ

斗瑩稲荷神社の御由緒・歴史
公式宮城県 古川駅

ご祭神豊受比売大神、宇迦之御魂大神、武甕槌命
創建時代1182年
創始者源義経
ご由緒

宮城県は古川市荒谷に鎮座する斗瑩稲荷神社(とけいいなりじんじゃ)の御祭神は、宇迦之御魂大神、豊受比売大神、武甕槌命 三柱をお祀りしております。
  御神徳の広大なると共にその御名も種々称し、古くから稲荷信仰の霊山として、又正一位稲荷大明神として崇敬されてきました。

 社伝によりますと、文治3年(1187年)後鳥羽帝の御代、源義経は頼朝の勘気を受け奥州平泉へ下向の際、北陸路を通り鳴子を経て荒谷は斗瑩山に到着しました。 吉野の山によく似た斗瑩山に立ち寄り、静御前遺愛の鼓の調べに聞き入っていた時どこからともなく白狐が現れ”鼓は自分の亡き母の皮でつくったもの。ぜひ返して頂きたい。そうしてくだされば、義経公の守護に当たり、難を救ってあげます。”と、涙ながらに申し出ました。そうしているうちに白狐は斗瑩山の岩穴に入り込んだので義経は弁慶に命じ祭壇を築かせ鼓を捧げ、一向の武運長久を祈願致しました。 この白狐こそが左衛門尉四郎忠信に姿を変じ、義経公東下りの先達を務めた狐忠信であり、「義経千本桜」の歌舞伎で有名です。 
  先年社務所新築の折発見した古い巻物を読んだところ、その内容は「義経千本桜」と同じ内容でありました。村人はこれを伝え聞いて当時の傑僧良雲法師に頼み、一宇を建立して「左衛門四郎稲荷大明神」と崇敬しました。ここ云う静御前の鼓こそ世に云う「初音の鼓」です。(近年発見された当社古巻物との内容との違いを見比べてみてください)

  その後、村人達の手によって崇敬されて来ましたが、応永30年(1423年)大崎左京大夫持栓が社殿を造営し小野城の守護とし、永正13年(1516年)野火により焼失致しました。永禄5年(1562年)光明寺開基である異庵全秀大和尚が伏見の稲荷山より勧誘し再建致しました。寛永年間正一位の称号を賜わり、依頼遠近の信仰を集めています。明治43年3月、鹿島神社を合祀致しました。

  当社は信仰の神社として「とっけさま」の名で知られており、家内安全・商売繁盛・交通安全・海上安全・大漁満足・五穀豊穣・安産祈願・籤(くじ)當の神様として参拝者が絶えません。特に石巻方面の漁業家の信仰が厚く、江戸後期に金華山沖で発見され約400年前の古い錨が奉納されています。

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