くまのほんぐうしゃ
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楽しみ方熊野本宮社のお参りの記録一覧

月曜日に熊野那智神社にお参りしたので今日は3社巡りを完成させようと思い、まずは熊野本宮社にお参りしました。
社務所は無人で書き置きの御朱印が袋に入っておりそこから1枚頂戴してお金は別袋に入れるようです。
菅生神社と同じシステムのようです。
歴史ある静かなお宮です。

熊野神社(熊野新宮社)の次に熊野本宮社を参拝しました。
ホテルのチェックイン時間が迫っているのでこの神社参拝後に松島へ向かう事にする。
熊野本宮社の由緒(観光情報来たHUBより抜粋)
・熊野本宮社は、平安時代の保安年間(1120年〜1124年)に、名取老女によって勧請されたと伝えられています。 熊野本宮社は、元は現在地から500mほど離れた小館という山上に鎮座していましたが、万治元年(1658年)に現在の地に遷座しました。 熊野本宮社は、伊達政宗公の崇敬を受け仙台藩から毎年玄米3石5斗を拝領していました。
熊野本宮社の鳥居
手水舎
狛犬と熊野本宮社
拝殿前左側の狛犬
拝殿前右側の狛犬
拝殿内
熊野本宮社の本殿
神輿殿
熊野本宮社の社務所
社務所にこの様な形で御朱印があります。
(事前調べでは御朱印対応は、社務所又は宮司様宅となっていましたが今日は、書置きでした)
熊野本宮社の御朱印

名取熊野三社参り、こちらで本日の予定は終了。別名、本宮十二神とも称され、熊野櫛御家津御子大神(素盞嗚尊)・熊野牟須美大神(伊弉冉尊)・熊野速玉之男大神(伊弉諾尊)を祀る。
その他に、十一柱の神々を祀っています。現在地より500m程南西の小館という小高い丘より万治元年(1658年)に遷座。
社号標
皇大神宮
左、山神・右、念仏供養塔(享和元年)
神橋
大正七年(1918)建立の鳥居
参道
手水舎
手水鉢
神橋
平成十年(1998)奉納の燈籠
由緒書
狛犬
昭和九年(1934)建造の拝殿
元禄六年(1693)建て替えられた本殿
本殿横の境内社
奥が二の御殿(左座)速玉男之命 (第二殿・中御前)
(右座)事解男之命 (第一殿・西御前)、手前が若殿(左座)國常立命 (名取熊野本宮社独自の祭祀)
(右座)天照皇大神 (第四殿・若宮)
今回写真に収めませんでしたが、本殿右横にも三社の境内社があります
末の社:(左座・右側)天之忍穂耳命 (第五殿・禅児宮)
(左座・左側)瓊瓊杵命 (第六殿・聖宮)
(右座・右側)彦火火出見命 (第七殿・児宮)
(右座・左側)鵜葺草葺不合命 (第八殿・子守宮)
中の社:稚産霊命 (第十二殿・勧請十五所宮)
下の社:(左座・右側)軻遇突命 (第九殿・一万十万宮)
(左座・左側)埴山姫命 (第十殿・米持金剛宮)
(右座)罔象女命 (第十一殿・飛行夜叉宮)
宝暦四年奉納の狛犬
神輿庫
旧神輿庫
拝殿より振り返る
神楽殿

🟣🐦⬛熊野三社を巡る①🐦⬛🟢
一社目は⭐️✨熊野本宮社✨⭐️
熊野信仰の本拠地は、紀伊国(和歌山県)の熊野三社です。熊野神は皆さんもご存知のサッカー日本代表のエンブレムでもあり、守り神となっている『八咫烏(やたがらす)』ですよね☺️ 私もいつか和歌山を尋ねてみたいのですが、実は宮城県名取市には全国で唯一この三社を勧請した神社があり、紀州熊野三社の世界を名取市内で再現してるんです😄
名取熊野三社は、仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に見立て、熊野本宮社・速玉大社・那智大社の三社をそれぞれ別に勧請しています。また、紀伊熊野三山と地理的・方角的に同じく勧請しているのは全国でもここだけなんだそうです。
そんな三社を巡ってきたので、全3投稿①〜③でご紹介しますね。
皆さまも機会があれば、東北の熊野信仰の中心地を巡ってみて下さい😊
熊野本宮社の『牛王法印(ごおうほういん)』
八咫烏の姿を組み合わせた神字の護符
御朱印(熊野本宮社)

熊野本宮社(くまのほんぐうしゃ)]
鎮座地
宮城県名取市高舘熊野堂字五反田34
主祭神
熊野櫛家都御子大神(素盞嗚尊)熊野牟須美大神(伊弉冉尊)熊野速玉之男大神(伊弉諾尊)
例祭日
春季例大祭旧3月8日(神賑行事、4月第2日曜日)秋季献膳祭旧8月19日(神賑行事、10月体育の日)
連絡先
022-386-2353
由緒
熊野本宮社は紀州(和歌山県)の熊野本宮大社の大神様の御霊が分けいただいてお祀りした神社です。名取老女が紀州の熊野三社の御霊を名取の里に勧請したと言い伝えられる名取の熊野三社(熊野本宮社・熊野新宮社・熊野那智神社)の一社でありまして、勧請された年代は詳らかではないが、初め、名取郡長岡三色吉(現、岩沼市)に小祠を建てお祀りしていたが、平安時代の天仁年間(1108)神託によって、熊野坐大神の鎮り処に応しい場所を探し求め、霊烏の道案内で、熊野堂の地に辿り着き、名取川を紀州熊野の熊野川に見立て、地形も似ている現社地の南西200メートル程の小館(オダテ)という処に最終的に勧請されたのは、平安時代の保安元年(1120)4月8日伝えられています。小館の境内地で538年間奉祀され、武家諸公の崇拝を受け多くの崇敬者の参詣で栄え、時に室町時代の永禄6年(1563)には、伊達晴宗公より、神輿・神馬・馬具等の寄進を受けている。明治維新までは、伊達家より寄進、警護を受けて、北釜浜迄、神輿渡御を行っていた。江戸時代の万治元年(1658)に現在の境内地に遷宮された。現在の本殿建物は、江戸時代の元禄6年(1693)に建て替えられたもので、拝殿等は昭和9年に建てたものです。本殿、摂社を合せて、14柱の神様を奉祀し、本宮(ホングウ)さん、或は十二神様と親しんで呼ばれている神社であります。
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