曹洞宗天苗山
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楽しみ方秀麓斎のお参りの記録一覧

今熊野神社の次に秀麓斎(しゅうろくさい)を参拝しました。 秀麓斎に奥州三十三観音霊場の専用御朱印帳があるので今回ここで購入しました。 ゆっくりと気ままに巡って行きたいなと思っています。
今回は、奥州三十三観音と仙台7観音の御朱印を頂きました。
秀麓斎(しゅうろくさい)
山 号・・天苗山
寺 号・・秀麓斎
宗 派・・曹洞宗
本 尊・・聖観世音菩薩(利勝観音)
開 基・・坂上田村麻呂
創建年・・延暦17年(798年)
札 所・・奥州三十三観音(2番)➖️事務局
奥の細道みちのく路三十三観音
(15番)
名取三十三観音(3番)
仙台7観音(2番)

秀麓斎の寺号標と参道

秀麓斎の山門

手水舎

参道脇に七福神

秀麓斎の本堂

本堂の扁額

本尊の説明板


本堂内



奥州三十三観音霊場の専用御朱印帳
(書置きの所もあるので黄色の綴じ紐を変え外しやすい紐に交換した)

奥州三十三観音(2番)の御朱印

仙台七観音(2番)の御朱印

山号は天苗山、寺号は秀麓斎(しゅうろくさい)宗派は曹洞宗、本尊は聖観世音菩薩、奥の細道 みちのく路三十三ヶ所霊場 第十五番札所、奥州三十三観音霊場 第二番札所、事務局も務める、奥州三十三観音の御朱印帳も在ります。秀麓齋の寺号「齋」というのは全国でも珍しく、日本三齋の一つといわれ、開創は延暦十七年(798年)征夷大将軍 坂上田村麻呂が奥州に蝦夷平定の軍を進めるにあたり戦勝と天下泰平を祈願するため、信仰する西国清水寺の観世音をこの地に勧請したことに始まる、大同二年(807年)比叡山伝教大師の法子 義 法師を開祖とし、天台宗に属し、大阪、四天王寺の末寺となった。十二世紀奥州平泉の藤原氏隆昌の頃には、その庇護をうけ末寺数十ヵ寺を有し最も栄えたが、藤原氏滅亡後は天台宗自体が衰退していった。
室町期文明年間(1469~1486)大本山總持寺直末、越後国岩般郡村上の霊樹山耕雲寺四世 瑚海仲珊大和尚を勧請開祖とし天台宗を曹洞宗に改宗した。近年、別院として「みんなの寺小屋」を開設、広く坐禅会や仏像彫刻、ヨガ教室などに活用されている







宮城県 名取市に在る、曹洞宗 秀麓斎に参拝致しました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は天苗山、寺号は秀麓斎(しゅうろくさい)宗派は曹洞宗、本尊は聖観世音菩薩、奥の細道みちのく路三十三ヶ所霊場、第十五番札所、奥州三十三観音霊場第二番札所、事務局も務める、奥州三十三観音の御朱印帳も在ります。秀麓齋の寺号「齋」というのは全国でも珍しく、日本三齋の一つといわれ、開創は延暦十七年(798年)征夷大将軍 坂上田村麻呂が奥州に蝦夷平定の軍を進めるにあたり戦勝と天下泰平を祈願するため、信仰する西国清水寺の観世音をこの地に勧請したことに始まる、大同二年(807年)比叡山伝教大師の法子 義 法師を開祖とし、天台宗に属し、大阪、四天王寺の末寺となった。十二世紀奥州平泉の藤原氏隆昌の頃には、その庇護をうけ末寺数十ヵ寺を有し最も栄えたが、藤原氏滅亡後は天台宗自体が衰退していった。
室町期文明年間(1469~1486)大本山總持寺直末、越後国岩般郡村上の霊樹山耕雲寺四世 瑚海仲珊大和尚を勧請開祖とし天台宗を曹洞宗に改宗した。近年、別院として「みんなの寺小屋」を開設、広く坐禅会や仏像彫刻、ヨガ教室などに活用されている。歴史的建造物、仏閣、神社巡り、パワースポット、癒し処、絶景、景色撮影、宮城県 仙台市観光、奥の細道みちのく路三十三ヶ所霊場巡り、奥州三十三観音巡り、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。


奥州三十三観音霊場の事務局、納経帳も在ります。










宮城県 名取市に在る、曹洞宗 秀麓斎に参拝致しました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は天苗山、寺号は秀麓斎(しゅうろくさい)宗派は曹洞宗、本尊は聖観世音菩薩、奥の細道みちのく路三十三ヶ所霊場、第十五番札所、奥州三十三観音霊場第二番札所、事務局も務める、奥州三十三観音の御朱印帳も在ります。秀麓齋の寺号「齋」というのは全国でも珍しく、日本三齋の一つといわれ、開創は延暦十七年(798年)征夷大将軍 坂上田村麻呂が奥州に蝦夷平定の軍を進めるにあたり戦勝と天下泰平を祈願するため、信仰する西国清水寺の観世音をこの地に勧請したことに始まる、大同二年(807年)比叡山伝教大師の法子 義 法師を開祖とし、天台宗に属し、大阪、四天王寺の末寺となった。十二世紀奥州平泉の藤原氏隆昌の頃には、その庇護をうけ末寺数十ヵ寺を有し最も栄えたが、藤原氏滅亡後は天台宗自体が衰退していった。
室町期文明年間(1469~1486)大本山總持寺直末、越後国岩般郡村上の霊樹山耕雲寺四世 瑚海仲珊大和尚を勧請開祖とし天台宗を曹洞宗に改宗した。近年、別院として「みんなの寺小屋」を開設、広く坐禅会や仏像彫刻、ヨガ教室などに活用されている。歴史的建造物、仏閣、神社巡り、パワースポット、癒し処、絶景、景色撮影、宮城県 仙台市観光、奥の細道みちのく路三十三ヶ所霊場巡り、奥州三十三観音巡り、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。

過去分
奥州三十三観音霊場
第二番札所







秀麓齋の寺号「齋」というのは全国でも珍しく、日本三齋の一つといわれ、開創は延暦十七年(798年)征夷大将軍 坂上田村麻呂が奥州に蝦夷平定の軍を進めるにあたり戦勝と天下泰平を祈願するため、信仰する西国清水寺の観世音をこの地に勧請したことに始まる。
大同二年(807年)比叡山伝教大師の法子 義 法師を開祖とし、天台宗に属し、大阪、四天王寺の末寺となった。十二世紀奥州平泉の藤原氏隆昌の頃には、その庇護をうけ末寺数十ヵ寺を有し最も栄えたが、藤原氏滅亡後は天台宗自体が衰退していった。
室町期文明年間(1469~1486)大本山總持寺直末、越後国岩般郡村上の霊樹山耕雲寺四世 瑚海仲珊大和尚を勧請開祖とし天台宗を曹洞宗に改宗した。
御本尊 聖観世音菩薩は別名「利勝観音」と称し、坂上田村麻呂の蝦夷平定の際に戦勝を祈願し、そのご加護により大任を果たし得たという故事に因むものである。
伊達家十三代尚宗 御本尊「利勝観音」に深く帰依し寺の護持にあたり、秀麓寺を秀麓齋とし「開基」となる永正十一年(1514年)5月5日61歳にて没す「護国院殿香山円桂大居士」 伊達家十四代稙宗公、十五代晴宗公、伊達家の家老高舘城主 福田駿河守の位牌が安置されている。
又、伊達家仙台藩祖 政宗公慶長二年より翌春3月迄滞留し、開基尚宗公 稙宗公三十三回忌、晴宗公二十一回忌を営み、供養の為、千体菩薩を奉納する。政宗公慶長六年(1601年)6月6日青葉城に入城。
ご本尊:聖観世音菩薩様(別名:利勝観音様)

天苗山秀麗齊 寺務所にて(直書き御朱印)頂戴致しました

天苗山秀麗齊 3.11観音奉安由来について書かれたしおりです

天苗山秀麗齊 駐車場案内塔、人生において大切な一言書きが書かれた案内板です

天苗山秀麗齊 駐車場の様子です

天苗山秀麗齊 駐車場内にある(交通安全観音様)の様子です

天苗山秀麗齊 曹洞宗秀麗齊号の様子です

天苗山秀麗齊 入口からの(曹洞宗天苗山秀麗齊)寺号、参道の様子です

天苗山秀麗齊 参道右側にある(阿形の狛犬さん)の様子です

天苗山秀麗齊 参道右側にある(吽形の狛犬さん)の様子です

天苗山秀麗齊 参道の様子です

天苗山秀麗齊 階段を登りきると、ここで(合掌)をしてから、進む形となってます


天苗山秀麗齊 参道左側にある(手水舎)の様子です

天苗山秀麗齊 参道左側にある(七福神像)の様子です

天苗山秀麗齊 参道右側にある(七福神像)の様子です

天苗山秀麗齊 境内にある(不動明王彫刻)の様子です

天苗山秀麗齊 境内奥側にある(かぞく地蔵像様)の様子です

天苗山秀麗齊 境内の様子です

天苗山秀麗齊 右側からの講堂の様子です

天苗山秀麗齊 講堂の様子です(ご本尊:聖観世音菩薩様(別名:利勝観音様)

天苗山秀麗齊 帰りの参道の様子です
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