ぶたいはちまんじんじゃ
舞台八幡神社宮城県 長町駅
午前8時30分~午後5時
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方
仙台の市街地より南側の地域を地下鉄と徒歩で神社巡り🚇🚶仙台市太白区長町に鎮座致します『舞台八幡神社』に参拝に上がりました👏
元々この地は『蛸薬師堂』が祀られていたそうですが、現在は社地がきれいに二分されていて向かって右側に『蛸薬師如来堂』左側に『舞台八幡神社』の社殿が建立されています。
『蛸薬師』はイボ取り薬師ともいわれており、『舞台八幡神社』は舞台成功の祈願成就に御利益があるといわれています。
【御祭神】
足仲彦尊、気長足姫尊、誉田別尊、武内宿禰
【境内社】比良岐大明神
舞台八幡神社の鳥居
手水舎
拝殿
境内社『比良岐大明神』
社地がきれいに二分されています。向かって左側が『舞台八幡神社』
右側が『蛸薬師如来』
蛸薬師如来
石灯籠には『蛸』さんが描かれています🐙
御朱印
境内社『比良岐大明神』の御朱印

所在地:宮城県仙台市太白区長町4-2-12
主祭神:仲哀天皇、応神天皇
社 格:
創 建:1057(年(天喜4年)
由 緒
後冷泉天皇の時代、天喜4年(1057年)8月陸奥の土豪安部頼時が乱を起こし、征討すべく陸奥守鎮守府将軍源頼義勅命をうけて奥州に出発の際、河内の国河内郡平岡八幡宮に祈り神幣を勧請して奥州名取郡舞台の地に八幡大神を奉りその所在地を比良平岡村と称し、ここを本営として武運長久のため誓願し、その成就するに至り、本社を造営し平岡村舞台八幡宮として尊崇した。その後紆余曲折を経て永禄年中(1560~1569)に、北目城主粟野氏が再興し、明治5年村社となる。その後二度の火災に遭い、その荒廃した姿さえなく、灰燼に帰してしまった。その為明治27年(1892年)頃に長町字西浦の蛸薬師堂境内に再建されたが、往年の面影無く氏子有志等復興を願いし折りに昭和14年仙台市片平町実業家青山秀次郎氏が稲荷神社の社殿並びに石灯籠御手洗等を寄進下されたるにより、氏子総代他役員大いに力を得て有志諸氏のご寄進を仰ぎこの境内に本殿を奉遷し両神社を合祀し拝殿の御造営を成就し、現在に至っている。永きに渡り使用して来た社務所も老朽化が進み、管理運営に支障をきたすため平成15年実行委員会を組織し、改築する事となり、平成16年3月末日を以って竣工となる。
1057年、陸奥に乱が起こり、陸奥守鎮守将軍源頼義が勅令をうけ出発の際、河内の国、河内郡平岡八幡宮に祈り、神幣を勧請して奥州名取郡舞台の地に八幡大神を奉り、その所在を平岡村と称し、ここ本宮として武運長久を請願し、その成就するに至り、本社を造営し平岡舞台八幡神社と尊崇した。
歴史をもっと見る|| 名称 | 舞台八幡神社 |
|---|---|
| 読み方 | ぶたいはちまんじんじゃ |
| 参拝時間 | 午前8時30分~午後5時 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 022-746-1768 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ご祭神 | 足仲彦尊(仲哀天皇) 気長足姫尊(神功皇后) 誉田別尊(應神天皇) 蛸薬師瑠璃光如来 |
|---|---|
| ご由緒 | 1057年、陸奥に乱が起こり、陸奥守鎮守将軍源頼義が勅令をうけ出発の際、河内の国、河内郡平岡八幡宮に祈り、神幣を勧請して奥州名取郡舞台の地に八幡大神を奉り、その所在を平岡村と称し、ここ本宮として武運長久を請願し、その成就するに至り、本社を造営し平岡舞台八幡神社と尊崇した。 |
| 体験 | おみくじ絵馬御朱印伝説 |
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