しおがまじんじゃ
鹽竃神社宮城県 仙台駅
参拝可能時間:24時間
※御朱印は拝殿前の参拝証を持参の上、榴岡天満宮へ。
江戸時代の延宝年間(1673年 - 1681年)に、仙台藩第4代藩主、伊達綱村が原田宗輔を修造奉行に、三分一所典膳を副奉行に任命して塩竈の鹽竈神社を修造させたが、その修造期間中、鹽竈神社の神体(御幣)および勅額を仙台城下町の東六番丁にあった高福院[1]境内に設けられた仮宮に安置し、延宝8年(1680年)に修造が終わって神体を塩竈に戻すに際して、仮宮を廃せずに塩土老翁神を分祠して「塩竈大明神」と称したのが創祀
名称 | 鹽竃神社 |
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読み方 | しおがまじんじゃ |
通称 | 塩釜様、名掛丁塩釜神社 |
参拝時間 | 参拝可能時間:24時間
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参拝にかかる時間 | 5分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
ご祭神 | 《主》塩土老翁神(しおつちおじのかみ) |
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創建時代 | 1680年(延宝8年) |
創始者 | 仙台藩4代藩主 伊達綱村 |
本殿 | 神明造 |
ご由緒 | 江戸時代の延宝年間(1673年 - 1681年)に、仙台藩第4代藩主、伊達綱村が原田宗輔を修造奉行に、三分一所典膳を副奉行に任命して塩竈の鹽竈神社を修造させたが、その修造期間中、鹽竈神社の神体(御幣)および勅額を仙台城下町の東六番丁にあった高福院[1]境内に設けられた仮宮に安置し、延宝8年(1680年)に修造が終わって神体を塩竈に戻すに際して、仮宮を廃せずに塩土老翁神を分祠して「塩竈大明神」と称したのが創祀 |
概要 | 鹽竈神社(しおがまじんじゃ)は、宮城県仙台市宮城野区のJR仙台駅東口の初恋通沿いにある神社。「名掛丁塩釜神社」とも呼ばれる。当社は、同県塩竈市にある鹽竈神社の仮宮を端緒とし、現在は島崎藤村が下宿していた三浦屋の跡地に建つ。 |
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歴史 | 歴史[編集] 江戸時代の延宝年間(1673年 - 1681年)に、仙台藩第4代藩主、伊達綱村が原田宗輔を修造奉行に、三分一所典膳を副奉行に任命して塩竈の鹽竈神社を修造させたが、その修造期間中、鹽竈神社の神体(御幣)および勅額を仙台城の城下町の東六番丁にあった高福院[1]境内に設けられた仮宮に安置し、延宝8年(1680年)に修造が終わって神体を塩竈に戻すに際して、仮宮を廃せずに塩土老翁神を分祠して「塩竈大明神」と称したのが創祀であり、以後、地元の氏子らの信仰を集めた[2] 明治元年(1868年)の神仏判然令を受けて塩竈大明神は「鹽竃神社」と改称して独立することとなり[3]、名掛丁(現在の仙...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「鹽竈神社 (仙台市宮城野区)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%B9%BD%E7%AB%88%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%B8%82%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E9%87%8E%E5%8C%BA%29&oldid=99483239 |
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