曹洞宗
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楽しみ方輪王寺のお参りの記録一覧

仙台旅行2日目。
この日は松島に行く予定ですが まずは市内の輪王寺にお参りしました。
こちらは回遊式庭園が有名で 今度仙台に来たらお参りしようと決めていました。
が 時期が少し遅かったです。
本当なら山門をくぐって石段を上がるところですが 義母の足を気にして 境内すぐそばの駐車場に車を停めて歩きました。
境内お庭のモミジの一部はまだ色づいたままですが もうベストシーズンではありませんね。
さっそく庭園へ向かいます。
受付で拝観料を払うのではなく ゲートでコインを入れてバーを押す(写真撮れよって)昔のタイプ
の入口でした。
こちらで納経帳を預けておきます。
広い庭園の中央には池があり 渡り切れない石橋や 渡れる飛び石(?)や石橋があり お庭を楽しむ工夫が感じられました。
奥には三重の塔があり そちらでは結婚式の前撮りをされているカップルがいらっしゃいました。
神前結婚式をされるのでしょうね こういうお庭の写真は和服が似合います。
お邪魔にならないように ゆっくりしずかにお庭を楽しませていただきました。
一部菖蒲の植わっていると思う場所がありましたので 初夏に訪れたら美しいだろうなぁと思いました。
これだけ美しいお庭を維持するのはそうとう大変だと思いました。
また来たいと強く思いました。
ネット情報です。
山号は金剛寳山 宗旨は曹洞宗 創建年は1441年(嘉吉元年)です。
伊達氏11代伊達持宗によって嘉吉元年(1441年) 伊達郡梁川(福島県伊達市)に創建され その後 伊達氏に従い 西山・米沢・会津・岩出山と移転し 江戸時代に入り 伊達政宗による仙台開府後の慶長7年(1602年) 現在地に移る。
輪王寺は 伊達家第九世大膳大夫政宗夫人 蘭庭明玉禅尼の所願により 第十一世大膳大夫持宗により嘉吉元年(1441)太菴梵守和尚を開山として 奥州伊達郡梁川に創建。
政宗夫人は 三代将軍足利義満の生母の妹に当たるため 六代将軍義教が後花園天皇に奏請して 宸筆の額「金剛寳山輪王禅寺」を賜った。
その後 伊達家の居城の遷移に従い転々とし 慶長七(1602)年には仙台の現在の地に至り 伊達家の擁護のもと 奥州における曹洞宗の一大叢林として 三百余年間「海東禅窟」の名をほしいままにした。
明治維新後 輪王寺は伊達家の外護を失い さらに明治九年(1876)北山に発した野火のため 仁王門を残し七堂伽藍を全焼再興の策なく荒廃のまま二十数年が経った。
曹洞宗大本山 永平寺と總持寺は 輪王寺の衰微を惜しみ 明治三十六年(1903) 福定無外和尚を輪王寺住職に特選し 復興を図った。
無外和尚は辛苦十余年 寝食を忘れて再建に努力し 大正四年(1915) 現在の本堂と庫裡を完成。
無外和尚は庭園の建設にも意を注ぎ 晩年にはほぼ現在の規模を備えた庭園が出来上がった。
無外和尚以来の伽藍の復興と庭園の整備は 次の五峰和尚に受け継がれ 梵鐘・位牌堂・坐禅堂・開山堂が次々と完成し 七堂伽藍の全てが整い 庭園には茶室「半杓庵」が建設され 東北有数の名園となった。
さらに昭和五十六年(1981)道閑和尚の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され 昔日の偉容を回復するに至った。

少しは紅葉が残っています

由緒書

鐘楼

手水舎

お休み処

本堂立派です

扁額も立派です

観音様

庭園に向かいます




こんな所に狛犬さん

庭園の中央には池 石橋は渡れません

渡れるところもあります


奥には三重の塔



石灯籠の上に石積み

左手は菖蒲かな


岩も美しい

結婚式の前撮りをされていました

これはモミジじゃない


この橋は映えスポットですね


新しいです

蘭庭堂

書院の方には枯山水庭園

こちらも美しい

かわいいね

でも少し寂しそう


本堂横に

本堂横から

奥の丸い屋根はなんやろ


山門に続く石段

仙台の輪王寺にお参りしました。

輪王寺の御朱印を書置きでいただきました

山門になります

緩やかな階段を上がっていきます

本堂です

本堂の裏手には回遊式庭園もあります。涼しい時期にゆっくり回りたい場所です😅

正式名:金剛寳山輪王寺
宮城県仙台市青葉区に所在する曹洞宗の寺院。伊達家11代当主・伊達持宗によって嘉吉元年(1441)、伊達郡梁川(福島県伊達市)に創建された。
その後、伊達家の領地変遷に伴い、西山、米沢、会津、岩出山と移転し、江戸時代に入り、伊達政宗による仙台開府後の慶長7年(1602)、現在地に移り、伊達家の擁護のもと奥州における曹洞宗の一大叢林として、三百余年間「海東禅窟」の名をほしいままにした。
しかし、明治維新後、輪王寺は伊達家の外護を失い、さらに明治9年(1876)、北山に発した野火のため、仁王門を残し七堂伽藍が全焼し、再興の策なく荒廃のまま二十数年が経過した。
曹洞宗大本山である永平寺と總持寺は明治36年(1903)、福定無外和尚を輪王寺住職に特選し、復興を図った。
無外和尚は再建に努力し、大正4年(1915)、現在の本堂と庫裡が完成。また、庭園の建設にも意を注ぎ、晩年にはほぼ現在の規模を備えた庭園が出来上がった。



















































竹駒神社から、さらに歩いて輪王寺へ。輪王寺は、入口が大通りに面していましたが、歩道から見てもその先によい気が満ちているのがわかるようでした。特にその参道は、街の中にありながら、びっくりするくらいに聖域感があって、その先の境内も、奥の庭園(拝観300円)も確かによかったのですが、私は参道が一番好きでした。参道にはさまざまな仏様がおられて、しかも参拝者が見下ろすような低さ、とても距離が近い場所で鎮座しておられます。参拝者を仏様がたが総出で出迎え、見送ってくださる、そんな慈愛に満ちた参道なのです。しかも優しいお顔の仏様ばかりで、(不動明王すらもどこか優しげです)ほんとうに癒されました。境内では、クチナシの花の香りが漂っていて癒されました。

入口の引力がすごいです。惹きつけられます。

参道のゆるやかな階段をのぼっていくと、お堂が見えてきました。ワクワクします。

本堂です。

お墓まいりの人も何組か来ていました。

立派な鐘楼です。

前庭におられた観音様です。

拝観料300円の庭園を、心ゆくまで一人で堪能しました。

庭園の御池におられた仏様です。菩薩さまか如来さまか…。

庭園には東屋がいくつもありました。

あじさいがきれいに咲いていました。結構つぶさにお庭を回りましたが、私がほぼお庭を見尽くした頃合いで、次のカップルが入って来ました。一人きりの時間を与えてくださり、ありがたかったです。

参道におられる一体一体すべての仏様を丁寧に撮りましたが、その間、他の人は誰も参道に来ませんでした。お寺自体にはそこそこ人の往き来があったのに、です。お陰でたっぷり参道にいることができました。ありがたかったです。

参道で迎えてくださる一体目の不動明王です。入口からすぐのこの時点で、魔を祓って下さるのかもしれません。

帰る時も名残惜しむようにこの写真を撮りました。ほんとうに心が洗濯されるような、素晴らしい参道です。今こうして見返しても、たまらなく惹かれます。
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