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いせじんぐうないくう(こうたいじんぐう)

伊勢神宮内宮(皇大神宮)の御由緒・歴史
三重県 五十鈴川駅

ご祭神《主祭神》
 天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
《相殿神》
 天手力男神(あめのたぢからおのかみ)
 万幡豊秋津姫神(よろづはたとよあきつひめのかみ)
ご神体八咫鏡
創建時代垂仁天皇二十六年
創始者倭姫命
ご由緒

瓊瓊杵尊以来、天照大御神は天皇のお側でお祀りされていましたが、第10代崇神天皇の御代、御殿を共にすることに恐れを抱かれた天皇は、大御神を皇居外のふさわしい場所にお祀りされることを決意され、皇女豊鍬入姫命は大和の笠縫邑に神籬を立てて大御神をお祀りしました。
その後、第11代垂仁天皇の皇女倭姫命は豊鍬入姫命と交代され、新たに永遠に神事を続けることができる場所を求めて、大和国を出発し、伊賀、近江、美濃などの国々を巡り伊勢国に入られました。
『日本書紀』によると、そのとき天照大御神は「この神風の伊勢の国は、遠く常世から波が幾重にもよせては帰る国である。都から離れた傍国ではなるが、美しい国である。この国にいようと思う」と言われ、倭姫命は大御神の教えのままに五十鈴川の川上に宮をお建てしました。
このように天照大御神は永遠の御鎮座地を伊勢に得られたのです。これが二千年前にさかのぼる、皇大神宮御鎮座の歴史です。『皇太神宮儀式帳』には豊鍬入姫命と倭姫命のご巡行地の記載があり、14カ所の比定地があげられています。

歴史
歴史[編集] 『日本書紀』によれば、天照大神は宮中に祀られていたが、崇神天皇6年、笠縫邑に移し豊鍬入姫命に祀らせた。垂仁天皇25年、倭姫命が後を継ぎ、御杖代として天照大御神を祀るための土地を求めて各地を巡った。この経路は『日本書紀』にあまり記述がないが、鎌倉時代初期成立と考えられる『倭姫命世記』には詳述されており、その途中に一時的に鎮座した場所は元伊勢と呼ばれる。垂仁天皇26年、伊勢国にたどり着いたとき、「是の神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の波の重浪(しきなみ)の帰する国なり。傍国の可怜し国(うましくに)なり、この国におらんと欲ふ(この国に留まりたいと思う)」という天照大御神の神託があ...Wikipediaで続きを読む
引用元情報皇大神宮」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%9A%87%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE&oldid=102103192

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