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楽しみ方多度大社のお参りの記録一覧
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【多度大社 1】
伊勢国最北端に位置し、古来、神が坐します神体山と仰ぐ多度山の麓に御鎮座になる多度大社は、後創祀は定かではないが、山中に遺された数多の磐座・御神石から推して、神代の古に遡ることが出来る。社伝によれば、五世紀後半、雄略天皇の御代には社殿が造営された。
江戸時代に入ると、桑名藩主本多忠勝公により莫大な寄進を受け慶長10年に本宮御社殿が再興された。「お伊勢参らば お多度もかけよ お多度かけねば 方参り」と謡われる程の復興を遂げた。
~多度大社パンフレットより抜粋
5月4日、5日に行われる御例祭は、一般的には多度祭りと称され、上げ馬神事、流鏑馬神事はその中の神賑行事で、毎年数十万人の参詣者が訪れる。
お昼時に参拝しましたが、時節柄、七五三で賑わっていましたね😄
写真が多くなりますので、数回に分けて投稿致します。
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【伊勢国 式内社巡り】
多度大社(たど~)は、三重県桑名市多度町にある神社。式内社(名神大)で、伊勢国二之宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は天津彦根命(あまつひこね;天照大神の第3子)。伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われ、「北伊勢大神宮」、「多度大神宮」とも称された。
社伝によると、創建は雄略天皇の御代とされ、社殿背後の多度山を神体山としていた。奈良時代の763年に僧・万願により神宮寺が創建され、平安時代の863年に神階が正二位に昇格した。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「伊勢國 桑名郡 多度神社 名神大」に比定されている。その後、伊勢国二之宮としても崇敬され、神宮寺は伊勢国の准国分寺とされた。
中世には国司・北畠氏に保護されたが、戦国時代の1571年、織田信長の長島一向一揆平定の際に、命を受けた大垣城主・氏家卜全により当社本宮、摂末社、神宝、古記録、神宮寺の伽藍が全て焼き払われた。のち1605年に桑名藩主・本多忠勝により再建された。明治時代に入り、県社に列格、のちに国幣大社に昇格した。
当社は、養老鉄道・養老駅の西方2kmの多度川の北岸、多度山の麓にある。車だと県道26号線から逸れ北上して境内南端に到着するが、鳥居や社号標の建ち方からすると東方からの参詣路をたどるのが正式みたい。鳥居をくぐって広い階段を上ると、中央が広場となっている社務所や参集殿等大きな建物が立ち並ぶ場所に出るが、その後、やや細めの参道を100mほど緩やかに登って行くと最奥の多度両宮、別宮に到着する。後半部分は大社といっても大きな建物などはなく、むしろ簡素な建物で古式を継承しているようにも思われる。
今回は、式内社、伊勢國二之宮、旧国幣大社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の午前中で、まだ1月上旬と言うこともあり、初詣客を含め割と多くの人が参拝に訪れていた。
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伊勢国(三重県)北部、古来、神が坐します神体山と仰ぐ多度山(標高四〇三メートル)の麓に御鎮座する当大社は、御創祀は定かではないが、山中に遺された数多の磐座・御神石から推して、神代の古に遡ることが出来る。
社伝によれば、雄略天皇の御宇に社殿が造営され、天平宝字七年、満願禅師によって神宮寺が創建、その後『多度神宮寺伽藍縁起並資財帳』が牒上されるに至り、伊勢国の准国分寺と目される程の壮麗な伽藍が造営された。
皇室の御敬神の思召しは並々ならず、国史には延暦元年十月に従五位下に叙せられたとの記述(『続日本紀』)に初見され、以降正二位にまで累進し、『延喜式神名帳』では、霊験著しい神に、朝廷が臨時に祈願を捧げる名神祭を受ける「名神大社」に列し、以降累々幣帛が奉られた。
更に、後一条天皇、鳥羽天皇、六条天皇の御即位に際し、御一代一度の大神宝使の御差遣を忝うし、全国有数の神社と仰がれた。
また、後白河法皇が編纂した当時の流行歌謡(今様)を編纂した『梁塵秘抄』にも、関(滋賀県 逢坂の関)以東の軍神の一社として唄われる等、非常に隆盛を極めた。
中世に入ってもその信仰は衰えることなく、弘長元年神階は正一位を極め、平家を始めとする武家の篤い信仰を受けていた。
然しながら元亀二年、織田信長の長島一向一揆平定の際、兵火に罹り、美濃国(現在の岐阜県)赤坂山に御動座になり、御社殿を始め神宮寺など全ての御建物と、歴朝より賜った神位記・御神宝・諸記録の全てが灰燼となり、広大な神領地も烏有に帰した。
近世、江戸時代に入ると、桑名藩主本多忠勝公より莫大な寄進を受け、慶長十年に御社殿が再興され、以降別宮以下摂末社、年中の恒例祭儀も漸次復興され
”お伊勢参らば お多度もかけよ
お多度かけねば 片参り”
と謡われる程の復興を遂げた。
以降歴代桑名藩主の産土神として格別の御崇敬が寄せられ幕末に至った。
近代に入り、明治六年、県社に列格され、大正四年、大正天皇御即位に際し、一躍國幣大社に昇格し、以降御例祭を始め恒例、臨時の幣帛が奉られ、祭祀が執り行われた。
大東亜戦争後、明治以来の社格制度は廃止されたが、現在でも地元を始め全国から厚い崇敬を受け、境内には、本宮、別宮、摂社末社等十二社を数え、年中七十数度の恒例祭儀を斎行申し上げ、皇室の御安泰を始め、遍く氏子崇敬者の日々の平安を祈願申し上げている。
帰りに桑名の菜花の里でイルミネーション見てから帰ってきました。お客さん少なかったです


上げ馬神事で有名な多度大社で御朱印を頂きました。
多度大社の別宮 一目連神社の御朱印もいただきました。書置きです。
多度大社の摂社美御前社の御朱印もいただきました。こちらも書置きです。
多度大社では御朱印帳を頂きました。
白馬伝説がモチーフとなっています。
通常サイズですが青を選びました。
御朱印帳をいただいたので浄書していただきました。
階段の隣の坂で上げ馬神事が行われます。
え、最後にこんなにきつい坂なの???っておもいました。
神馬舎があり、本物の白馬がいます。
白馬はこの神社では人々の願いを神に届ける使者です。
この馬は錦山号(元競走馬で競走馬名はエイシンオンワード号です。)
前にニンジンがおいてあり、食べされることもできます。
私も人参上げました。
錦山号の色紙もあり神馬会のクラウドファンディングみたいのもしています。
白馬舎のほうは神馬の像が安置されています。
於葺門から多度神社の神域へ。
川が流れマイナスイオンを感じます。
途中には多度大社の摂社美御前社が鎮座し
ご祭神は市杵島姫命です。
鮮やかな朱塗りの社殿です。
本宮のご祭神は天津彦根命、相殿として面足尊、惶根尊になります。
横には別宮一目連神社があり
ご祭神は天目一箇神です。
本宮とは斜め向かいに鎮座します。
摂社 新宮社がありました。
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先日行った多度大社に
トレッキングもあわせて行きました。
1番長いコースを歩く
『親水コース』から『瀬音コース』
で頂上へ。
『瀬音コース』は川の横を通って登って行くコース。
前日雨が降ったからか川の水がたっぷり!
でも濁っておらず、とてもキレイ。
緩やかに登って行くので、おしゃべりしながら楽しく歩ける。
約2時間半。
途中、海の見える展望台では、お天気がよかったのでとてもキレイな展望!
山ノ上公園でお弁当を食べ
帰りは1番短い距離の『健脚コース』で下山。
約20分!健脚コースは急登。
多度大社に登山前にもよったけど、
朝早かったので社務所が開いてなかったので帰りにも寄りました。
因みに、社務所が開くのは9時ちょっと前とのこと。
9月7日、19日限定御朱印
帰りの登山口から多度大社までの道のりで
野生のおさるさん達に会いました。
親子で可愛かった!
三重県のおすすめ🎍
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