くしだじんじゃ
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櫛田川下流の西岸近くに鎮座されています。理容美容業者の信仰を集め、境内に接した場所には三重県美容業生活衛生同業組合らによって建立された「櫛の碑」がありました。
伊勢国多気郡の式内社です。櫛田神社っていうと、博多おくんちや博多どんたくで有名な福岡の櫛田神社ですが、天平宝字元年(757年)に当社を勧請して創建したとされています。
《鳥居》
《社号碑》
《手水舎》
後ろの蛇口を捻ると水が出ます。
《拝殿》
《扁額》
実はこの櫛田神社、明治の神社合祀の政策の対象となり、神山神社に合祀されます。
その後、昭和に入って氏子の希望によって分祀し、再建されました。
伊勢国の式内社は特に明治の神社合祀の対象にされてしまった例が多いです。なんの恨みが…
《御木曳初式の模型》
もともと当社の創建は、天照大御神さまの鎮座地を探していた倭姫命さまを案内した大若子命さまを祀ったとされており、神宮の創建に間接的に関わっています。
《御神木?》
《末社?》
神社のようにも見えますし、神明造のせいで倉庫にも見えます。
《平和の礎》
《櫛の碑》
👁チェックポイント‼️
実は社名に関連して、理容美容業者の信仰を集めており、三重県美容業生活衛生同業組合方によって建立されました。
住宅街から奥に入っていったところに鎮座されています。
地元の方しか通らない細い道で、少々わかりづらいです。
以前この櫛田神社は、近くの神山神社に合祀されて、その後また櫛田神社としてこちらに鎮座されたそうです。
先日、神山神社にお参りしたばかりなので、ご縁を感じます。
手水は、そばを流れる櫛田川の伏流水
境内の奥には御神木。
縁結びの御神木とは…?
こんな風に、寄り添って生えていました。
伊勢神宮の遥拝所
櫛の碑の隣には、大きな銀杏の木。
秋に訪れたらきれいでしょうね。
歴史
人皇第11代垂仁天皇の御代22年(紀元前8年)皇女倭姫命が 天照大神 を奉戴され、ご鎮座の地を探し求めて行幸された時、津あたりから伊勢志摩方面までを当地に在りし大若子命が道案内をされ、伊勢にご鎮座されるまで倭姫命の手となり足となって働かれました。同25年(紀元前5年)倭姫命は飯野高宮に居られましたが、ある時、田の中に櫛を落され、大若子命が拾ってさし上げました。倭姫命はその地を櫛田と名付けられ、櫛田の社を定められました。その後も大若子命は武人として数々の功績を残され、倭姫命は大若子命を櫛田神社のご祭神としてお祀りするようご命じになりました。大若子命は後に大幡主命と改名されております。 当社は皇大神宮所管で、宮七院・社十二の内巻頭第三位の格式を持ち、当時は櫛田大社と呼ばれておりました。時代が移り明治41年12月、時の政府の一村一社制の司令により、飯野高宮神山神社に統合されましたが、敬神の念厚き氏子の運動により、昭和8年2月3日現在の地に再建されました。
名称 | 櫛田神社 |
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読み方 | くしだじんじゃ |
詳細情報
ご祭神 | 大若子命、市杵島姫命、櫛玉命 |
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創建時代 | 垂仁天皇二十二年(再建は昭和八年) |
創始者 | 倭姫命 |
本殿 | 神明造 |
ご由緒 | 人皇第11代垂仁天皇の御代22年(紀元前8年)皇女倭姫命が 天照大神 を奉戴され、ご鎮座の地を探し求めて行幸された時、津あたりから伊勢志摩方面までを当地に在りし大若子命が道案内をされ、伊勢にご鎮座されるまで倭姫命の手となり足となって働かれました。同25年(紀元前5年)倭姫命は飯野高宮に居られましたが、ある時、田の中に櫛を落され、大若子命が拾ってさし上げました。倭姫命はその地を櫛田と名付けられ、櫛田の社を定められました。その後も大若子命は武人として数々の功績を残され、倭姫命は大若子命を櫛田神社のご祭神としてお祀りするようご命じになりました。大若子命は後に大幡主命と改名されております。 当社は皇大神宮所管で、宮七院・社十二の内巻頭第三位の格式を持ち、当時は櫛田大社と呼ばれておりました。時代が移り明治41年12月、時の政府の一村一社制の司令により、飯野高宮神山神社に統合されましたが、敬神の念厚き氏子の運動により、昭和8年2月3日現在の地に再建されました。 |
体験 | 祈祷絵馬七五三祭り伝説 |
Wikipediaからの引用
概要 | 櫛田神社(くしだじんじゃ)は、三重県松阪市櫛田町にある神社。式内社で、旧社格は村社。 櫛田川下流の西岸近くに立地する。理容美容業者の信仰を集め、境内に接した場所には三重県美容業生活衛生同業組合らによって建立された「櫛の碑」がある。7月の博多祇園山笠や10月の博多おくんちなどで知られる福岡県福岡市博多区の櫛田神社は、757年(天平宝字元年)に当社を勧請して創建したと伝えられる。 |
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歴史 | 歴史[編集] 社伝では垂仁天皇22年(紀元前8年)に倭姫命が天照大神を祀る場所を探す旅の途中でこの地を案内した大若子命を祀るために創建されたとされる。江戸時代の明暦頃に社殿も失われ中絶となったが、享保年間に再興された。 1907年(明治40年)2月27日、合祀とともに字室垣内に移転、大櫛田神社と改称し、翌1908年(明治41年)2月11日に山添町の神山神社に合祀。その後氏子が分祀を希望し、1933年(昭和8年)2月1日に現社地に分祠された。 2006年(平成18年)9月4日(櫛の日)に三重県美容業生活衛生同業組合らによって「櫛の碑」が建立された。当時の厚生労働大臣川崎二郎の筆によるもの。...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「櫛田神社 (松阪市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%AB%9B%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E6%9D%BE%E9%98%AA%E5%B8%82%29&oldid=101095760 |
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