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日吉神社へ到着。境内は広く、さすが近江坂本に本拠を置く明智光秀公の領地だけあるなぁと思ったら丹波攻めで焼失してた・・・😅摂末社も多くかつては賑やかだったんだろうなぁと想像できます。大絵馬の蛇が立派なんだけど怖すぎます😱なかなかこのタッチは絵馬ではお見掛けしないです🤣日曜でしたが人影なし・・・車ないと来にくいし、情報少ないからなかなか参拝来にくいよねぇ・・・😔
延命寺裏手近くの由緒。なぜこんな人目のつかないところに・・・
大将軍社
三社殿。左から天満宮社、香具土社(愛宕社)、稲荷社
参道入り口
由緒
社号標
鈴ノ宮社
鳥居
境内案内図
大絵馬。夜中には見たくない🤣
手水舎
御神木
たぶんケヤキ
神輿庫
太鼓舎とあるが・・・
社務所
拝殿
江川七ツ石
本殿
阿
吽。社殿の広さ大きさの割には控え目なサイズ
御祭神
末社。左から熊野神社、天照大神社
春日神社、八幡神社
稲荷神社。春日神社だけ屋根の向きが違う謎?
権殿?
境内

大井神社からの流れで 遠くから鳥居が見えたのでお参りしました。
遠くから鳥居が見えるということで 期待していたのですが 期待以上でした。
ご祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)です。
本殿周りには 末社・摂社どちらか分かりませんが たくさんあります。
鳥居横にスペースがあり 車も停められます。
境内はとても広く 拝殿に続く道には白壁があります。
また 地域の方が手入れしている花壇もあり 憩いの場にもなっています。
ちょうど 若い男女がベンチに座って語らっていました。
由緒については
当社は明治以前は山王大権現と呼ばれ 室町年間嘉吉3年(1443)江州坂本から山王権現を勧請したと伝えられ 室町時代にはすでに宮座(長桟)を組織した記録も残っている。
天正年間(1573~1591)明智光秀の丹波攻めの際 社殿や宝物は焼失し その後数度改築が行われ 文化11年(1814)造営されたのが現在の社殿とみられ 二間社流造の立派な建築物である。
境内入口の石鳥居は寛延3年(1750)に建てかえられたもので そこにかかる「日吉社」の額は宝暦2年(1752)時の領主武田氏の寄進のよるものである。
境内の欅の木は当社創建以来のものとみられ御神木として神猿を形取っている。
春の例祭は4月14日に行われ 桜花の献花、氏子有志による生花が多数供えられる。
また10月21日の秋祭には大正7年(1918)組織された敬神組によって神輿が巡行される。
境内由緒書きより
由緒書
拝殿に続く参道
拝殿はまだ新しいかも
江川の七つ石
本殿
本殿
稲荷神社
八幡神社
春日神社
天照大神社
熊野神社
社務所
絵馬舎
鳥居右手に 鈴ノ宮社
鳥居左手に 稲荷社・香具土社(愛宕社)・天満宮社
大将軍社
境内・文化財
名称 | 日吉神社 |
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読み方 | ひよしじんじゃ |
電話番号 | 0771-23-9875 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 大山咋神 |
---|---|
創建時代 | 1443年(嘉吉3年) |
本殿 | 二間社流造 |
ご由緒 | 嘉吉三年(1443)に江州(近江国)坂本の山王権現を勧請して創建(再勧請との記録も)と伝わり、明治以前は山王大権現と称していました。天正年間に明智光秀の丹波攻めによって社殿、宝物等は消失してしまい、その後数度の改築が行われ、現在の社殿は文化十一年(1814)に造営されたものと考えられています。本殿は二間社流造。境内社は多く、社頭の鳥居を挟んで稲荷社、鈴ノ宮社、軻遇突社と天満宮があり、本殿裏側に熊野社、天照大神社、春日社、八幡神社、稲荷社が祀られています。いつも境内は美しく清掃され、地域内で大切に護持されていることが伝わってきます。
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