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せいりょうじ|浄土宗五臺山

清凉寺のお参りの記録一覧
京都府 トロッコ嵐山駅

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2026年02月27日(金)3231投稿

清凉寺は京都市右京区にあるお寺です。
この日は妻も一緒に参拝でして 妻はまだこちらに参拝していませんでしたので 私のおススメということで参拝しました。
清凉寺は嵯峨釈迦堂とも呼ばれる古刹です。
二階建て仁王門は それはそれは見事な造りで 250年ほど前の再建だそうです。
ちょうど人が映り込んでいるので 大きさが分かると思います。
この仁王門からまっすぐ南に行くと 嵐山の渡月橋に至ります。
仁王門をくぐると すぐ左手にカフェBhagavanがあります。
こちらの団子がうまいんですよ。
失礼してこちらで喫茶タイム。
お団子と抹茶で心が満たされました。
さてと 境内を歩きましょう。
愛宕権現社・多宝塔・法然上人像・聖徳太子殿と巡り 本堂へ。
本堂で拝観料を払い中へ。
御本尊の釈迦如来立像(国宝)を拝顔して合掌。
本堂裏の戸から出て 回廊を通って大方丈へ。
池泉回遊式庭園を見ながら 弁天堂へ離れていても合掌できました。
弁天堂は外壁に見事な彫刻がありました。
大方丈では小堀遠州の作庭とされる枯山水庭園を見ることができます。
少しイメージしていたのとは違いましたが 苔が美しかったです。
再び本堂に戻り 御朱印をいただいて外に出ました。
鐘楼と狂言堂を見て 最後に一切経蔵を見ました。
あっ 阿弥陀堂を見忘れた!
また参拝しよう。

ネット情報です。
山号は五台山
宗旨は浄土宗
ご本尊は釈迦如来(生身の釈迦、国宝)
創建年は長和5年(1016年)[1][2]
開山は盛算
開基は奝然
別称は嵯峨釈迦堂
札所は京都十三仏霊場第2番です。

この寺の歴史には 阿弥陀三尊を本尊とする棲霞寺(せいかじ)と 釈迦如来を本尊とする清凉寺という2つの寺院が関係している。
この地には もともと嵯峨天皇の皇子で 『源氏物語』の主人公光源氏のモデルとされる左大臣源融の別荘栖霞観(せいかかん)があった。
源融の一周忌に当たる寛平8年(896年) 融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺と号した。
その後天慶8年(945年)に 重明親王妃が新堂を建て 等身大の釈迦像を安置した。
一説では 「釈迦堂」の名の起こりはこの時であるという。
棲霞寺草創から数十年後 宋に渡り 五台山(一名、清凉山)を巡礼した奝然という東大寺出身の僧がいた。
奝然は 宋へ渡航中の寛和元年(985年) 台州の開元寺で現地の仏師に命じて1体の釈迦如来像を謹刻させた。
奝然は 永延元年(987年)日本に帰国後 京都の愛宕山を宋の五台山に見立て 愛宕山麓にこの釈迦如来立像を安置する寺・大清凉寺を建立しようとしたが 様々な障害に阻まれ 一旦京都の船岡山にある蓮台寺に釈迦像を運び込むことになる。

奝然は 三国伝来の釈迦像をこの嵯峨の地に安置することで 南都系の旧仏教の都における中心地としようとしたものと思われる。
都の西北方にそびえる愛宕山麓の地に拠点となる大清凉寺を建立することで 相対する都の東北方に位置する比叡山延暦寺と対抗しようとした という意図が込められていたとされる。
しかし 延暦寺の反対にあい その願いを達しないまま長和5年(1016年) 奝然は没した。
彼の遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が棲霞寺の釈迦堂に「栴檀の瑞像」(前述の三国伝来の釈迦像)を安置すると 釈迦堂は華厳宗の寺・五台山清凉寺と改変された。
その後 華厳宗の他に天台宗 真言宗を兼ねるようになる。
また 愛宕山白雲寺(現・愛宕神社)の山下別当寺ともなった。
享禄3年(1530年)に円誉が当寺に入り 初めて十二時の念仏を勤修してより 本寺は浄土宗の寺となる。
釈迦堂(本堂)は 慶長7年(1602年)に豊臣秀頼によって寄進・造営されたが その後 寛永14年(1637年)に発生した嵯峨大火で類焼し 本堂以下の伽藍が被災した。
徳川綱吉の母である桂昌院の発願で 伽藍の復興が行われた。
三国伝来の釈迦像・生身の釈迦は信仰を集め 清凉寺は「嵯峨の釈迦堂」と呼ばれて栄えた。
しかし 明治時代の神仏分離によって愛宕山白雲寺は愛宕神社になり 山下別当寺であった当寺は愛宕山から分離された。
一方 母体であった棲霞寺は次第に衰微してやがて清凉寺に吸収されたが 今に残る阿弥陀堂や 阿弥陀三尊像(国宝 現在は霊宝館に安置)に その名残をとどめている。

清凉寺(京都府)

立派な二階建ての仁王門

清凉寺(京都府)

人と比べて とても大きいですね

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to_sun
to_sun
2024年08月03日(土)719投稿

【五台山(ごだいさん)清凉寺( せいりょうじ)】
本尊:釈迦如来(生身の釈迦)
宗派:浄土宗
開基:奝然(ちょうねん)
 清涼寺の地は、もともと嵯峨天皇の皇子で、「源氏物語」の主人公光源氏のモデルとされる左大臣源融(みなもとのとおる)の別荘 栖霞観(せいかかん)があったところで、源融の一周忌に当たる896(寛平8)年、融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り、これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺(せいかじ)としました。
 棲霞寺草創から数十年後、宋に渡り、五台山を巡礼した東大寺出身の僧 奝然(938 - 1016)は、台州の開元寺で現地の仏師に命じて古代インドの優填王(うでんおう)が釈迦の在世中に栴檀の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻した1体の釈迦如来像を謹刻させました。その釈迦像は、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」や、釈迦に生き写しとされ、生きているお釈迦様「生身の釈迦」と呼ばれています。奝然は、987(永延元)年、日本に帰国後、京都の愛宕山を宋の五台山に見立て、愛宕山麓にこの釈迦如来立像を安置する寺・大清凉寺を建立しようとしましたが、様々な障害に阻まれます。彼の遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が棲霞寺の釈迦堂に「栴檀の瑞像」(三国伝来の釈迦像)を安置すると、釈迦堂は華厳宗の寺・五台山清凉寺と改変され、その後、華厳宗の他に天台宗、真言宗を兼ねるようになりました。
 1279(弘安2)年以降、大念仏中興上人と呼ばれる円覚が、当寺で融通念仏を勤修しています。その後、大念仏が盛んになり、釈迦堂は融通念仏宗の道場となりました。中世以降、清凉寺は浄土宗の寺となっています。

清凉寺(京都府)

【仁王門】

清凉寺(京都府)

【仁王門 扁額】

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sasaki3
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2024年05月20日(月)2962投稿

清涼寺(嵯峨釈迦堂)

清凉寺の御朱印

清涼寺(嵯峨釈迦堂) 京都十三仏霊場

清凉寺(京都府)

清涼寺(嵯峨釈迦堂)

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