しょうぼうじ|真言宗東寺派|法寿山
正法寺のお参りの記録一覧
京都市西京区にあるお寺です。
大原野神社から徒歩で3分ほどの所にあります。
この日は拝観料が無料でした。
本堂と宝生殿に上がらせていただきました。
本堂では ご本尊を間近で拝顔することができます。ありがたやありがたや。
山号は法寿山(ほうじゅざん) 宗旨宗派は真言宗東寺派 寺格は別格本山 ご本尊は三面千手観音(重要文化財) 創建年は天平勝宝年間(749年 - 757年) 開山は智威大徳です。
西国薬師四十九霊場第41番札所でもあります。
通称「石の寺」とも呼ばれます。境内には全国各地から集められた合計約200トンにも及ぶという様々な巨岩が並べられているからです。
こちらは庭園「宝生苑」が素敵なお寺で HPでも美しさが分かりますが 桜の時期だと大勢の参拝者で混雑します。
手前が池泉鑑賞式庭園で奥が枯山水庭園となっています。
庭に置かれている庭石の形が15種類もの動物の形に似ているため 庭の別名を「鳥獣の石庭」とも言います。
ネット情報です。
当寺は 鑑真和上の高弟で唐から日本へ渡来した智威大徳が 天平勝宝年間(749年 - 757年)に隠棲した春日禅房に始まるとされる。
その後 延暦年間(782年 - 806年)に最澄が大原寺として寺院化させたと伝えられ 弘仁年間(810年 - 824年)に空海が入寺して本尊の三面千手観音を彫り上げたとされている。
応仁の乱の戦火によって焼失したが 元和元年(1615年)に恵雲と微円の両律師が正法寺と寺名を改めて復興し 大原野の出身で江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院の帰依を得ると 以後徳川家代々の祈願所となった。
境内案内図
山門
寺標
真言宗東寺派宗務所 とあります
本堂前の庭
花手水になるのかな
本堂内陣 撮影禁止ではなかったのですが。。引きの画だけにしました
宝生殿への戸
鴨がいました
宝生苑 南から順に
いちばん北側
本堂前手水
春日稲荷
【法寿山(ほうじゅざん)正法寺(しょうぼうじ)】
本尊:三面千手観音
宗派:真言宗東寺派
開山:智威大徳
正法寺は、京都府京都市西京区大原野に位置します。鑑真和上の高弟、智威大徳が隠世したのがはじまりで、天平勝宝年間(749-757)の創建とされます。後に弘仁年間(810-824)の時、弘法大師が巡錫(じゅんしゃく)され42歳の厄除けのため、聖観音を彫刻したと伝わります。応仁の戦火で焼失しましたが、1615(元和元)年(大阪城落城の年)、正法寺として再興され、江戸時代に桂昌院(5代将軍徳川綱吉の母)の帰依を受けて、徳川家代々の祈願所となっています。西山のお大師さまとして古くから親しまれています。
【山門】
【通用門】
【大手水鉢】
【本堂前庭】
【本堂】
【鳥獣の石庭】
【手水鉢】
【宝生苑】
【宝生殿】
【書院襖絵】
【書院「鶴の立体掛軸」】
【水琴窟】
【遍照塔】
【春日稲荷尊】
【太鼓橋】
【子育水子地蔵尊】
【清め不動尊】
【春日不動堂】
【御朱印】
西山の参拝、最後は正法寺へ。
大原野神社のお向かいです。智威大徳が隠世の地として754年 に創建したそう。受付を済ませ本殿から宝生殿へ。正面に宝松苑、右に千原池の蓮をみながら座っていると、いろんなものが洗い流されていく気がしました。
神楽橋。ここから中へ。
春日不動堂。拝観受付はこの左手。
通用門。
本殿。
本殿前庭。
山門。
宝松苑。遠くは桂でしょうか。
こちらも宝松苑。
千原池。
全景。
書院襖絵。
遍照塔。
天平勝宝年間 (749〜757)の創建。奈良唐招提寺を創建した鑑真和上の高弟、智威大徳 が隠世したのが始まり。
後に、延暦年間(782年 - 806年)に最澄が大原寺として寺院化、弘仁年間(810年 - 824年)に空海が入寺して聖観音を彫刻されました。
応仁の乱の戦火によって焼失したが、元和元年(1615年)に恵雲と長円の両律師によって正法寺と寺名を改めて再興。大原野の出身で江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院の帰依を得ると、以後徳川家代々の祈願所となった。
西国四十九薬師霊場巡りの6箇所目として、第四十一番の正法寺を拝観。
春には枝垂桜や梅、秋には紅葉、他に牡丹や藤、椿など季節ごとの花を鑑賞することができます。
今回は紅葉をメインに鳥獣の石庭や本堂内の雰囲気を感じつつ、ゆったりと落ち着きながら鑑賞させて頂きました。
春日不動院
本堂前庭
鳥獣の石庭
太鼓橋
西国四十九薬師霊場 第四十一番 宝印
(西国四十九薬師41番札所)
(京都洛西三十三観音番外札所)
大原野神社とすぐ近くにあります。が、逆から行ってしまったので、それに気づかず。
782年に最澄によって“大原寺”として創建されたといいます。
“石の寺”とも呼ばれ、境内には遠く東山連峰をのぞむ借景式山水庭園“宝生苑”があります。
最澄により寺院に改められた後の810年には弘法大師空海が入寺。その際に制作された聖観世音菩薩が寺宝として残り、その他ご本尊の三面千手観世音菩薩立像は国指定重要文化財になっています。
その後応仁の乱により焼失したものの、江戸時代に再建され正法寺と改められました。中でも江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院が大原野の出身で深く帰依されたそう。そのため徳川家の祈願所として徳川家からの文書等も残ります。
あいにくお庭の拝観時間は過ぎていて、見ることができませんでしたが、webで見ると素晴らしいです。見たかったー。
本堂にもそばまでは行けず、外からお参りしました。
御朱印 西国四十九薬師41番
御朱印 京都洛西三十三観音番外
本堂への道
山門
本堂
庭園入口
子安地蔵尊像
不動明王像
不動堂
遍照塔
遍照塔について
稲荷社
七重石塔
京都市西京区の正法寺にて。
西国薬師四十九霊場第四十一番札所。
三面観音様が珍しい。
西国薬師霊場の御朱印。
西国薬師霊場の御詠歌。
洛西観音霊場の御朱印。
御詠歌の御朱印はないそうです。
京都府のおすすめ2選🎍
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