しょうぼうじ|真言宗東寺派|法寿山
正法寺のお参りの記録一覧
西山の参拝、最後は正法寺へ。
大原野神社のお向かいです。智威大徳が隠世の地として754年 に創建したそう。受付を済ませ本殿から宝生殿へ。正面に宝松苑、右に千原池の蓮をみながら座っていると、いろんなものが洗い流されていく気がしました。
神楽橋。ここから中へ。
春日不動堂。拝観受付はこの左手。
通用門。
本殿。
本殿前庭。
山門。
宝松苑。遠くは桂でしょうか。
こちらも宝松苑。
千原池。
全景。
書院襖絵。
遍照塔。
天平勝宝年間 (749〜757)の創建。奈良唐招提寺を創建した鑑真和上の高弟、智威大徳 が隠世したのが始まり。
後に、延暦年間(782年 - 806年)に最澄が大原寺として寺院化、弘仁年間(810年 - 824年)に空海が入寺して聖観音を彫刻されました。
応仁の乱の戦火によって焼失したが、元和元年(1615年)に恵雲と長円の両律師によって正法寺と寺名を改めて再興。大原野の出身で江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院の帰依を得ると、以後徳川家代々の祈願所となった。
西国四十九薬師霊場巡りの6箇所目として、第四十一番の正法寺を拝観。
春には枝垂桜や梅、秋には紅葉、他に牡丹や藤、椿など季節ごとの花を鑑賞することができます。
今回は紅葉をメインに鳥獣の石庭や本堂内の雰囲気を感じつつ、ゆったりと落ち着きながら鑑賞させて頂きました。
春日不動院
本堂前庭
鳥獣の石庭
太鼓橋
西国四十九薬師霊場 第四十一番 宝印
(西国四十九薬師41番札所)
(京都洛西三十三観音番外札所)
大原野神社とすぐ近くにあります。が、逆から行ってしまったので、それに気づかず。
782年に最澄によって“大原寺”として創建されたといいます。
“石の寺”とも呼ばれ、境内には遠く東山連峰をのぞむ借景式山水庭園“宝生苑”があります。
最澄により寺院に改められた後の810年には弘法大師空海が入寺。その際に制作された聖観世音菩薩が寺宝として残り、その他ご本尊の三面千手観世音菩薩立像は国指定重要文化財になっています。
その後応仁の乱により焼失したものの、江戸時代に再建され正法寺と改められました。中でも江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院が大原野の出身で深く帰依されたそう。そのため徳川家の祈願所として徳川家からの文書等も残ります。
あいにくお庭の拝観時間は過ぎていて、見ることができませんでしたが、webで見ると素晴らしいです。見たかったー。
本堂にもそばまでは行けず、外からお参りしました。
御朱印 西国四十九薬師41番
御朱印 京都洛西三十三観音番外
本堂への道
山門
本堂
庭園入口
子安地蔵尊像
不動明王像
不動堂
遍照塔
遍照塔について
稲荷社
七重石塔
京都市西京区の正法寺にて。
西国薬師四十九霊場第四十一番札所。
三面観音様が珍しい。
西国薬師霊場の御朱印。
西国薬師霊場の御詠歌。
洛西観音霊場の御朱印。
御詠歌の御朱印はないそうです。
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