いちよういん|黄檗宗|白毫山
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浄心院さんでお話を伺ったので一様院さんへ。GoogleMapだと距離は100mぐらいなのですが裏口は閉まっていたのでぐるっと回らなけらばならず歩きだと5分ぐらいかかるかも・・・😅参道に来てあ、やっぱり前来てるわ🤣と思いながらも御縁と思ってお参りに。本堂前でお詣りしてから散策していると庫裏らしき建物にインターホンがあったので迷わず😅。ご住職が居られたので御朱印をお伺いすると「5分ぐらいお時間いただければ」とのことでしたのでもちろんお願いいたしました😊
創建以来近衛家の香華所となっており、今も年に2回ほど近衛家の使者の方がお参りに来られるそうです。ちなみに菩提寺ではないとのこと(近衛家菩提寺は大徳寺)。
御本尊の薬師如来は秘仏とのことでご住職もあまり見たことはないとのこと。重文クラスの仏像とのことで鑑定されたらしいのだが修復箇所がおおく文化財指定はならなかったらしい。平安時代後期の作とも言われたそうで伝教大師作でもなさそうです😅

参道の階段と寺号標

緑もまた良き

地蔵菩薩

山門・薬医門

山門真正面に本堂・薬師堂

書院かな?

庫裏。御朱印いただけました😊

観音菩薩の頭部。

寺号標なんだけど一様庵の下に文字が続いてる・・・

前回は紅葉シーズンでしたが

青もみじも良いです🤗

京都市北区にあるお寺です。
西方寺から少し南に下りてきました。
寺号の石柱から先 山門まで石段を上がります。
山門には 進入禁止の竹が掛けられていたのですが すぐ横の戸が開いていましたので 境内に入らせていただきました。
本当ならお墓参りの方のためなのかもしれません。
山門の先には お堂(おそらく本堂)がありますが 中の様子は伺えませんでした。
ぐるっとまわると 庫裡だと思う建物がありました。
こちらにも門があったのですが こちらも進入禁止でした。
元に戻って お庭には 井戸らしきものが見えました。
桜の古木があったのですが 苔(?)がびっしりついて 大変なことになっていました。
お話は伺えなかったのですが 静かにお参りできました。
ネット情報です。
山号を白毫山と号する黄檗宗の寺院。
本尊は薬師如来。
1711年~1716年(正徳年間)近衛基熙公が開基となり 隠巌禅尼を迎えて開山とする。
伝教大師・最澄(767-822)が開山したという説もあり 薬師山に草堂を結び 瑠璃光如来を安置したという。後に尼寺になる。
その後30余人の尼僧の道場として塔頭10余ヶ寺があった。
明治にはいると塔頭5ヶ寺となり 現在は1ヶ寺となっている。
歴代住職は尼僧であったが 13代住職が初めて男僧として入山した。

山門まで石段を上がります

山門から先へ入れない と思ったら隣の戸が開いていました

寺号標

本堂

庫裡だと思います

桜の古木

井戸のようです
境内・文化財
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| 名称 | 一様院 |
|---|---|
| 読み方 | いちよういん |
| 通称 | 一様庵 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-491-7571 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 薬師瑠璃光如来 |
|---|---|
| 山号 | 白毫山 |
| 院号 | 一様院 |
| 宗旨・宗派 | 黄檗宗 |
| 創建時代 | 正徳年間(1711~1716) |
| 開山・開基 | 開山:隠巌禅尼 開基:近衛基熙公 |
| ご由緒 | 山号を白毫山と号する黄檗宗の寺院。本尊は薬師如来。1711年~1716年(正徳年間)公家の中枢として皇室と江戸幕府の関係改善に尽力した近衛基熙公が開基となり、尼僧・隠巌禅尼を迎えて開山とする。その後30余人の尼僧の道場として塔頭10余ヶ寺があった。明治にはいると塔頭5ヶ寺となり、現在は1ヶ寺となっている。歴代住職は尼僧であったが、前住職が初めて男僧として入山し、現在14代を継いでいる。
|
| 体験 | 仏像御朱印 |
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