そうけんいん|臨済宗大徳寺派
総見院(大徳寺塔頭)京都府 北大路駅
通常非公開 特別拝観のみ開聞
織田信長の菩提を弔うため、羽柴秀吉が創建。
木造織田信長公坐像や信長を始めとした、織田一族の墓所が公開中。
この信長公の坐像を拝観したくて、やっとこれました。木造なのに迫力あります。威厳を感じます。
京都市北区にあるお寺です。
宗旨宗派は臨済宗大徳寺派
寺格は大徳寺塔頭
ご本尊は織田信長坐像(重要文化財)
です。
夏にお参りした際には公開されていなかったのですが、秋の特別公開でお参りできました。
特別公開はガイドさんが説明してくださるので楽しいです。
織田信長の墓は全国にたくさんあるそうですが、豊臣秀吉が葬儀を行うのにふさわしい寺として大徳寺を選び、祀る寺として総見院を建立したと聞きました。
「こちらが正真正銘の本物です。」
なるほど。そのようです。
一族のお墓もありました。
加藤清正が奉納したとされる掘り抜き井戸は、今もなおきれいな水を蓄えていました。
懐中電灯で照らすと、写真のように透き通った底が見えます。
廃仏毀釈の影響は大徳寺の塔頭にも及び、僧侶は重要な仏具などを大徳寺に隠し置いて難を逃れたそうです。
ただ、塔頭が荒廃してしまったことなどから、重要な品が塔頭に戻ってきていないこともあるそうです。
明治政府からすれば仏教がやっかいな存在だということは理解できるのですが、寺社愛好家からすればひどい話です。
総見院の土塀は「親子塀」と呼ばれます。
塀の内側にもう一つ塀を設けており、いざという時に隠れられるようにしていたそうです。
大徳寺の塔頭は、石田氏や前田氏など戦国武将がこぞって建立したそうなのですが、なるほど工夫されていたのですね。
羽柴(後の豊臣)秀吉が、本能寺の変に倒れた織田信長の追善菩提のために建立した、大徳寺総見院。信長亡き後の政権争いの中、秀吉がその主導権を握るための建立した、歴史的に大変重要な寺院が公開されます。
本堂には秀吉が奉納した木造織田信長公坐像(重要文化財)が安置されていますが、その大きさは高さ三尺八寸(約115cm)の等身大で、慶派の仏師、康清によって作られました。2体彫られたうちの1体は、葬儀の際に荼毘にふされますが、香木によって作られたその木像の薫りは洛中一帯に広がったと言われます。
名称 | 総見院(大徳寺塔頭) |
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読み方 | そうけんいん |
参拝時間 | 通常非公開 特別拝観のみ開聞 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 075-492-2630 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご本尊 | 織田信長坐像 |
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宗旨・宗派 | 臨済宗大徳寺派 |
ご由緒 | 羽柴(後の豊臣)秀吉が、本能寺の変に倒れた織田信長の追善菩提のために建立した、大徳寺総見院。信長亡き後の政権争いの中、秀吉がその主導権を握るための建立した、歴史的に大変重要な寺院が公開されます。
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体験 | 武将・サムライ有名人のお墓 |
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