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だいとくじ|臨済宗大徳寺派大本山龍寶山

大徳寺
京都府 北大路駅

大徳寺について

戦国武将の塔頭が立ち並ぶ大伽藍

おすすめの投稿

よしくん(ホトカミ運営代表)
よしくん(ホトカミ運営代表)
2025年05月10日(土) 23時23分48秒
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お茶会の後、ご一緒した8名で大徳寺塔頭ツアーが自然と開催されました。

全員それぞれの視点からお寺や歴史に造詣が深いので、一緒にお参りして楽しかったです!

大徳寺(京都府)

こちらは例の、豊臣秀吉さん千利休さんへブチ切れ切腹案件のきっかけになった門。

大徳寺(京都府)

みなさん身近に仏師さんがいるので、御本尊にも着目して、お釈迦様だねー、でも脇侍(両サイドの仏像)がないね〜なんて、会話が自然と起こっていて楽しかった

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年01月20日(土) 21時24分14秒
3004投稿

京都市北区にあるお寺です。
「京の冬の旅」で 法堂と仏殿が特別公開されるのでお参りしました。
大徳寺は駐車場もあり お参りしやすいですし 塔頭もたくさんあって見どころ満載でもあります。
山号は龍寶山 宗旨宗派は臨済宗大徳寺派 寺格は大本山 (もと京都五山) ご本尊は釈迦如来です。
普通にお参りした時には 仏殿も法堂も外観を見ることしかできず 中は全く見ることができませんでしたので 今回の特別公開はとても楽しみでした。
写真撮影は禁止ですので 撮ることはできませんでしたが とても歴史ある天井画を見ることができました。
仏殿の 狩野元信筆の「天人散華図」は色がだいぶ落ちてしまっていて いつまでもつのか不安でした。
法堂の 狩野探幽筆の「雲龍図」は見事な睨みをきかせていました。
鳴き龍としても有名で 手をたたくと共鳴音が響きました。

大徳寺の歴史は書くのが長すぎるので 乱暴ですが 一部だけをまとめました。
大徳寺は 座禅修行に専心する厳しい禅風を特色としている林下(幕府の庇護を受けない)の寺院として 五山の気風を快く思わない禅僧たちが集う場だったそうです。
妙心寺もその一派です。
大徳寺は 貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え 室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出しました。
享徳2年(1453年)の火災 そして応仁の乱による被害で当初の伽藍を焼失しましたが 一休宗純が堺の豪商・尾和宗臨らの協力を得て復興しました。
また 各地の守護大名によって塔頭が建立されたりもしています。
天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変で 織田信長が自害した後の同年10月15日には 羽柴秀吉によって信長の葬儀が当寺で盛大に執り行われています。
翌年には秀吉によって信長の菩提寺として 塔頭・総見院が創建されています。
日本各地に織田信長の墓所がありますが 総見院はその中で別格の寺院とも言えます。

大徳寺(京都府)

総門

大徳寺(京都府)

冬の今日の旅 看板

大徳寺(京都府)

勅使門

大徳寺(京都府)

勅使門内側から

大徳寺(京都府)

法堂

大徳寺(京都府)
大徳寺(京都府)

中は撮れないので

大徳寺(京都府)

法堂から仏殿への道

大徳寺(京都府)

法堂を外から 少し内側が映ってしまったか

大徳寺(京都府)

仏殿裏側

大徳寺(京都府)

仏殿から法堂を見て

大徳寺(京都府)

勅使門からの仏殿(ほぼ見えないか)

大徳寺(京都府)

山内図

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歴史

 臨済宗大徳寺派の大本山で龍寶山と号する。
鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。
勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備する。山門は、二階部分が、千利休居士によって増築され、金毛閣と称し、利休居士の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休居士自決の原因となった話は有名。本坊の方丈庭園(特別名勝・史跡)は江戸時代初期を代表する枯山水。方丈の正面に聚楽第から移築した唐門(国宝)がある。方丈内の襖絵八十余面(重文)はすべて狩野探幽筆である。什宝には牧谿筆観音猿鶴図(国宝)、絹本着色大燈国師頂相(国宝)他墨跡多数が残されている。(10月第二日曜日公開)現在境内には、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が甍を連ね、それぞれに貴重な、建築、庭園、美術工芸品が多数残されている。

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大徳寺の基本情報

住所

京都府京都市北区紫野大徳寺町53

行き方

京都市バス「大徳寺前」下車徒歩すぐ。

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名称

大徳寺

読み方

だいとくじ

参拝料

本坊は通常非公開

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号075-491-0019
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.rinnou.net/cont_03/07daitoku/

詳細情報

ご本尊釈迦如来
山号

龍寶山

宗旨・宗派臨済宗大徳寺派大本山
創建時代

1315年(正和4年)

開山・開基

大燈国師宗峰妙超

ご由緒

 臨済宗大徳寺派の大本山で龍寶山と号する。
鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。
勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備する。山門は、二階部分が、千利休居士によって増築され、金毛閣と称し、利休居士の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休居士自決の原因となった話は有名。本坊の方丈庭園(特別名勝・史跡)は江戸時代初期を代表する枯山水。方丈の正面に聚楽第から移築した唐門(国宝)がある。方丈内の襖絵八十余面(重文)はすべて狩野探幽筆である。什宝には牧谿筆観音猿鶴図(国宝)、絹本着色大燈国師頂相(国宝)他墨跡多数が残されている。(10月第二日曜日公開)現在境内には、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が甍を連ね、それぞれに貴重な、建築、庭園、美術工芸品が多数残されている。

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