げんぶじんじゃ
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駐車場 | なし |
玄武神社について
4月の第2日曜日に行われるやすらい祭(玄武やすらい祭)です。やすらい祭では赤毛・黒毛の鬼が太鼓・鉦・笛によるお囃子に合わせて、長い髪を振り乱しながら「やすらい花や」の掛け声とともにやすらい踊りを踊り、疫神を囃して生花で飾られた赤い花傘に惹き寄せ、無病息災(疫病退散)を祈願します。
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京都市北区にある神社です。
建勲神社や大徳寺の近くにあります。
金閣寺もまあまあ近くにあります。
住宅地の中にあり マンションの隣にあります。
この辺りも寺社が多く 巡っていると1日経ちます。
御祭神は 第五十五代文徳天皇の第一皇子 惟喬(これたか)親王です。
さほど広くない境内ですが 社殿はとても立派で 摂社(末社)もあります。
玄武やすらい祭はとても有名で やすらい祭と云えば 京都の今宮神社のそれを連想する方がほとんどでしょうが 発祥は玄武神社です。
由緒についてはHPに
第五十七代陽成天皇の元慶年間(八七七~八八四)に 親王の母方の末裔 雲林院村に居住していた星野市正紀茂光が 悲運な生涯であった親王の御霊をおなぐさめし また王城北面の鎮護とこの地守護神として 紀名虎の蔵していた御剣を親王が御寵愛されていたので 之を御霊代として奉祀したと伝えられており その子孫が代々この地の郷士であり且つ神職として明治中期まで奉仕されたとされております。
社号「玄武」とは 王城の守護四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)の一つで 北面の鎮護神を意味しています。
その図柄は亀に蛇が絡むもので 配色は黒です。
とありました。
正面鳥居
社殿
三輪明神
玄武稲荷大明神
歴史
惟喬社(これたかのやしろ)は元慶年間(877年~884年)に第55代・文徳天皇の第1皇子・惟喬親王(これたかしんのう)の母方の末裔・星野市正茂光(ほしのいちのかみしげみつ)が惟喬親王の霊を慰め、王城の鎮護とこの地守護神として、惟喬親王寵愛で、惟喬親王の外祖父・紀名虎(きのなとら)所有の剣を祀ったのが起源と言われています。玄武神社の名称は平安京の北にあり、北面の守護神・玄武に因んで名付けられました。その後966年(康保3年)に勅命により、鎮花祭(ちんかさい)が行われました。1963年(昭和38年)には現在の社殿が再建されました。なお惟喬親王は文徳天皇の第1皇子だったが、摂政・藤原良房の娘・明子が第4皇子・惟仁親王(第56代・清和天皇)を生むと皇太子争いに敗れ、大宰帥などを歴任した後に出家し、洛北に隠棲しました。
名称 | 玄武神社 |
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読み方 | げんぶじんじゃ |
通称 | 亀之宮 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 075-451-4680 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://yasurai.org |
絵馬 | あり |
詳細情報
ご祭神 | 《主》惟喬親王 |
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ご由緒 | 惟喬社(これたかのやしろ)は元慶年間(877年~884年)に第55代・文徳天皇の第1皇子・惟喬親王(これたかしんのう)の母方の末裔・星野市正茂光(ほしのいちのかみしげみつ)が惟喬親王の霊を慰め、王城の鎮護とこの地守護神として、惟喬親王寵愛で、惟喬親王の外祖父・紀名虎(きのなとら)所有の剣を祀ったのが起源と言われています。玄武神社の名称は平安京の北にあり、北面の守護神・玄武に因んで名付けられました。その後966年(康保3年)に勅命により、鎮花祭(ちんかさい)が行われました。1963年(昭和38年)には現在の社殿が再建されました。なお惟喬親王は文徳天皇の第1皇子だったが、摂政・藤原良房の娘・明子が第4皇子・惟仁親王(第56代・清和天皇)を生むと皇太子争いに敗れ、大宰帥などを歴任した後に出家し、洛北に隠棲しました。 |
体験 | 御朱印お守り祭り |
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