かもわけいかずちじんじゃ(かみがもじんじゃ)
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楽しみ方賀茂別雷神社(上賀茂神社)のお参りの記録一覧
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3月の連休を利用して久しぶりに京都へ訪れました。 朝からどんよりとしてすっきりとしない空模様でしたが、予て参拝したかった賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)に向かいます。 賀茂別雷神社~通称は「上賀茂神社」、「上社」とも呼ばれる山城国一宮です。 京都最古の歴史を有する一社でもありユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の一つとして登録されています。 特別参拝の申し込みをし、暫し境内を散策します。 二の鳥居をくぐると現れる細殿前の円錐形に砂が盛られた「立砂」は、御神体である神山(神体山)を象ったもので神が降臨する場所と謂われています。 細殿に向かって右側の砂山が「陰」で二本の松葉、左側の砂山が「陽」で三本の松葉が頂に立てられており、これは陰陽思想において奇数と偶数が合わさることで神の出現を願う意がある為とのことです。 その他、朱が映えてとても綺麗な楼門や「ならの小川」をまたいでかかる舞殿(橋殿)、土屋など重文の建物を拝見し通常参拝を終えると、申し込んだ特別参拝の時間となりました。 多くの神社では実際に神様をお祀りしている場所~本殿はとても神聖な場所であるが故、特別な場合や一部の神職の方を除いて立ち入りが禁じられていることが多いのですが、ここ賀茂別雷神社では受付にて初穂料500円を納めれば国宝である本殿と権殿をまじかに見られる特別参拝に参加することができます。(…意外とリーズナブルだと思いました。) 渡された浄掛(きよかけ)を首から掛けてまずは待合室(直会殿)に通されます。 直会殿の鴨居には賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)の母である賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)の物語が描かれた数枚の絵が飾られており、その絵物語に沿って神職の方から賀茂神社の由緒についての説明を頂きます。 ~太古の昔山城国鴨川の地(現在の京都北山)に移り住んだ賀茂一族の姫・賀茂玉依比売命はある時、賀茂川で禊を行っていたときに雷鳴とともに川上から流れてきた赤い矢を拾われます。 丹塗矢(にぬりのや)と呼ばれるこの矢を持ち帰り、床に祀り休まれた賀茂玉依比売命は御霊神の力を享け御子を授かります。 御子が元服となった時、祖父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は多くの神々を招き祝宴を催します。 その席で賀茂建角身命は、「汝の父と思う神にこの盃を捧げよ」と申され盃を渡したところ御子は、すっくと立ち上がり天を仰ぎ見て「我が父は天津神(あまつかみ)なり」と答えて盃を天上に向けて投げ、甍(いらか)を破って雷鳴とともにそのまま天に昇られました。 この御子こそが賀茂別雷大神(かもわけみかづちのおおかみ)だったのです。 残された賀茂建角身命と賀茂玉依比売命が御子に再び会いたいと願っていると、ある夜、賀茂玉依比売命は御子からの神託を授かります。 それは「吾れに逢はんとには、馬に鈴を掛けて走らせ、葵楓の蘰を造り、厳しく飾りて吾れを待たば来む」というもので、その言葉に従い神迎の祭をしたところ賀茂別雷大神が天より神山(現在の賀茂別雷神社の北方)の頂上にある磐座に降臨されたと伝えられています。例祭である賀茂祭(葵祭)と前儀の賀茂競馬(かもくらべうま)はやはりこの神迎の祭と関係があるのでしょうか? 興味深いお話でした。
さて、由緒について説明を受けた後、神前に出るため不浄を落とすお祓いを受け、いよいよ内庭と称される中門より内側(拝殿の向こう側)に案内して頂きます。 式年遷宮の形式を執る賀茂別雷神社の権殿の前にて、檜皮葺の流造の神社建築の形式や金銀色の狛犬、所謂「影狛」と謂われる本殿・権殿の扉の脇に描かれた狛犬の絵についての説明を受け、主祭神である賀茂別雷大神をお詣りいたします。 最後に高倉殿なる宝物館で当社に伝わる御神宝などを拝見し、特別拝観は終了となります。
帰りには、朝姿の見えなかった神馬「神山(こうやま)号」も神馬舎に出社しており、人参を振舞うことができました。
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