おおもりかもじんじゃ
大森賀茂神社京都府 貴船口駅
参拝自由
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楽しみ方
京都市北区にある神社です。
大森地域でお参りした神社の中では最も立派な神社でした。
メインストリートに 山がせり出すようになっていて そのせり出した部分が鎮守の杜になっています。
境内は杉の木で包まれるような感じになっています。
こういう境内は気持ちいいですね。
境内はうっすら暗いが境外は明るい。涼しい風が吹く。鳥のさえずりが聞こえる。
すぅっと汗が引きました。
参道には石畳が敷かれていて 氏子さんがしっかり整備していることが分かります。
手水舎の水盤(?)は 大きな石(岩じゃない?)をくり抜いたもの。
拝殿は少し素朴な感じがするものの 傷んでいる様子はない。
本殿は覆屋の中にあり おそらく積雪を考慮して作られた覆屋は 拝所の屋根がかなり厚く造られています。
内陣の本殿は 格子に隠されているので分からないのですが さらに守られている感じです。
境内に堕川御上神社と書かれた石柱がありました。
境内社?遥拝所?分かりませんでした。
本殿から右手に進むと 境内社の貴船神社があります。
こちらも覆屋の中に本殿があります。
気持ちよくお参りできますが 足元が滑るのだけ気を付けてほしいです。
ネット情報です。
当神社の創建年代は不詳乍ら 平安時代前期には已に祀られており かつてこの地に勢力があった小野氏が 五穀豊穣を祈願し 水神を祀ったことを始まりにするという(社伝)。
堕川御上神社といわれたという。
堕川御上神社は延喜式内社であったといわれ 清滝川と西野川の合流点落合付近(現在の境内の東方薬師峠の麓付近)に祀られていた。
御祭神として弥都波能売神 瀬織津比咩神 賀茂皇大神の三神を祀る。
摂社には 闇淤加美神の貴船神社 惟喬親王の惟喬神社の二社を祀る。
貞観一七年(八七五年)に賀茂皇大神の合祀と共に現在地へ遷座され 寛仁二年(一〇一八年)には大森賀茂神社と改称された。
鎌倉~室町時代 大森一帯が賀茂社神領になる。
祭神を賀茂別雷神としたことにより 「大森賀茂(加茂)神社」に改めたという。
この大森の里は清滝川の上流に位置し 平安京遷都に当たっては主要な調木地の一つに選ばれた。
又 文徳天皇第一皇子惟喬親王の閑居の地であり 例祭である十月第二日曜日の秋祭は惟喬神社で斎行される。
大森にある賀茂神社
清滝川に沿って主要道路がある集落。
集落に着くまではちょっと道狭いけどガードレールがちゃんとあり、集落の東側。
道路の東側の下った鎮守の森の中に神社、西側に小学校跡でグラウンドの横に駐車できるスペースがある。鎮守の森の前は広く、神社の方へ車で降りれそうだけど途中田んぼ道になる。
鳥居をくぐり、左手に御手水があったであろう名残。
石畳の参道を進み、舞台、朱色の屋根の拝殿。
拝殿右手にも石畳の参道が続き、倉庫?、堕川御上神社の遥拝所、末社・惟喬神社が並ぶ。
背の高い細い木で覆われた境内。前は畑。無人。
平安時代には既に祀られていた歴史ある神社。
雲ヶ畑同様ここも惟喬親王の閑居の地とされてるけど、大森で惟喬親王関係はここぐらいしかない。

御祭神は、弥都波能売神、瀬織津比咩神、賀茂皇大神の三神を祀る。
摂社には、闇淤加美神の貴船神社、惟喬親王の惟喬神社の二社を祀る。
当神社の創建年代は不乍ら平安時代前期には巳に祀られており、元の堕川御上神社は延喜式内社であったといわれ、清滝川と西野川の合流点、落合付近(現在の境内の東方、薬師峠の麓付近)に祀られていたことに因むといわれている。
貞観十七年(875)に賀茂皇大神の合祀と共に現在地へ遷座され、寛仁二年(1018)には大森賀茂神社に改称された。
この大森の里は清滝川の上流に位置し、平安京遷都に当たっては主要な調木地の一つに選ばれた。又、文徳天皇第一皇子惟喬親王の閑居の地であり、例祭である十月第二日曜日の秋祭は惟喬神社で斎行される。
また一月二日には歳旦祭が行われる。
| 名称 | 大森賀茂神社 |
|---|---|
| 読み方 | おおもりかもじんじゃ |
| 参拝時間 | 参拝自由 |
| 参拝料 | なし |
| ご祭神 | 《主》賀茂皇大神,弥都波能売神,瀬織津比咩神 |
|---|---|
| 創建時代 | 伝・平安時代前期 |
| ご由緒 | 御祭神は、弥都波能売神、瀬織津比咩神、賀茂皇大神の三神を祀る。
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