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だいうんじ|天台證門宗総本山 紫雲山、石座山、岩蔵山

大雲寺(岩倉観音)
京都府 岩倉駅

大雲寺(岩倉観音)について

過去に御朱印はされていましたが、今はしていないとの事です。

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年09月15日(月) 21時59分09秒
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もとは園城寺(三井寺)の有力な別院です。
京都市左京区にあるお寺です。
石座神社の東隣にありました。
もともと石座神社が大雲寺の境内にあったそうなので すぐお隣ということですね。
残念ながらこちらの大雲寺は一般拝観はなさそうでした。
墓所と大きな建物が一つ。
庫裡とか書院とか本堂とか区別されていないのでしょうね。
失礼な言い方になりますが ユースホステルってこんな感じの建物のこと多いですよね。
門に札がかけられていて 「信濃善光寺如来御分身」 と書かれていました。
善光寺の末寺ということかなぁ 帰ってから調べよ!
門の所で合掌して写真を撮らせていただきました。
調べてみたら情報の多いこと多いこと。驚きでした。
今の建物は仮の本堂だということ。
いろいろお寺の派閥争いがあって 建物が焼失したこと。
大人の事情で多額の借金を抱えてしまったこと。
いやぁお寺って 素人の私が思う以上に煩悩の世界で揉まれているんですね。

ネット情報です。(だいぶ減らします)
山号は紫雲山・石座山・岩蔵山 宗旨は天台證門宗 寺格は総本山 ご本尊は十一面観音 (秘仏) 建年は天禄2年 (971年) 開山は真覚です。
縁起によれば 天禄2年(971年)に比叡山延暦寺で法会があり 多くの公卿らが五色の霊雲の立ち昇るのを見た。
中納言日野文範がこれを見て山を下り 霊雲の谷(岩倉)に至った。
そこで老尼(石座明神)と出逢い その地が観音浄土の地と知り 伽藍建立の適地として喜んだ。
このことが時の天皇の耳に達し 文範が真覚上人を開祖として創建したのに始まると伝えられ 園城寺(三井寺)の有力な別院であった。
文範は紫式部の曽祖父(式部の母の祖父)にあたる人物。
真覚は藤原敦忠の子で 俗名を藤原佐理といい 村上天皇に近侍していたが 天皇没後 比叡山で出家した。
大雲寺の本尊十一面観音は聖武天皇の姿を写した行基作の一木作りで また大和国長谷寺の十一面観音と同じ木で作られたものという内裏に伝来した像を 真覚の祖父にあたる藤原時平が下賜されたものという。
園城寺長吏 法性寺座主を務めた僧余慶(智弁)は観音院僧正とも呼ばれ 大雲寺・観音院との関係が深かった。
天元4年(981年) 余慶は一門の僧数百人を連れて大雲寺へ移ったが これは余慶らの園城寺の寺門派と延暦寺の山門派との対立を背景とするものであった。
この頃の大雲寺・観音院は四十九の堂塔伽藍と千人に及ぶ僧を擁した大寺院であったが その後の寺門・山門の抗争により 門派の別院であった大雲寺はたびたび兵火に見舞われ 焼失を繰り返した。
保延2年(1136年)には当時残っていた伽藍が全焼してしまったことが『中右記』同年3月12日条にみえる。
文明6年(1474年) 洛中の今出川小川(現・上京区実相院町)にあった実相院が 応仁の乱の戦火を逃れるため当寺の塔頭であった成金剛院の跡地である現在地に移転してくるが 以後両者は度々対立している。
紫式部の『源氏物語』(若紫の巻)で 光源氏と紫の上が出会った北山の「なにがし寺」は 大雲寺がモデルともいわれる。

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

略縁起

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

記念碑 字は読めません

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

お地蔵様

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

本堂だと思います

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

信濃善光寺如来御分身 とあります

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

寺号標

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

水子地蔵かな?

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大雲寺(岩倉観音)の基本情報

住所

京都府京都市左京区岩倉上蔵町305

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

大雲寺(岩倉観音)

読み方

だいうんじ

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号075-791-8569
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.daiunji.net

詳細情報

ご本尊十一面観音菩薩(行基菩薩作)
山号

紫雲山、石座山、岩蔵山

院号

實幢院

宗旨・宗派天台證門宗総本山
創建時代

971年(天禄2年)

開山・開基

円融天皇勅願/藤原文範・真覚(藤原佐里)

ご由緒

今から千余年前、円融天皇が比叡山に行幸された砌、当山のあたりに紫雲がたなびくのを眺められて聖地なるを感じとられ、ここに堂宇を結ぶことを許された。
行基菩薩作の「十一面観音」を本尊とする観音院をはじめ、四十九の堂塔伽藍と千人に及ぶ僧を擁した洛北屈指の名刹と称された。
大雲寺の観音様の霊験は広く朝野の尊信を集め今日なお、ご利益を求める善男善女の参拝は絶えることない。
 また、紫式部の「源氏物語」「太平記」 井原西鶴の「好色一代女」等文学作品の舞台としても大雲寺は多く登場する。宋に渡った大雲寺5世成尋阿闍梨が著した紀行文「参天台五台山記」並びにその母の句集は、日本と中国の文化史上不朽の名をとどめている。
 平安時代、南北朝、室町時代、戦国時代と再三再四の兵火に焼かれ、都度不死鳥のごとく再興をなし、昭和の法難と称される「大雲寺事件」の後、昭和60年に成尋開基の宝塔院旧地に仮本堂を結んで現在再興途上である。
                                     -大雲寺公式HPより-

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