じっそういんもんぜき|単立(もと天台宗寺門派)|岩倉山
実相院門跡京都府 岩倉駅
9:00〜17:00
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楽しみ方
地下鉄烏丸線「国際会館駅」より「岩倉実相院前」終点下車すぐ。
天台宗寺院。ご本尊は不動明王です。
1229年、静基僧正により開基。市内洛中にありましたが、応仁の乱を逃れるために現在地へ移転されました。
今回の最大の目標である大雲寺のご開帳を済ませ、バスの時間まで少し猶予があったので訪れました。
「床モミジ」はここから作られます。
池泉式の庭園です。
梅雨時にはモリアオガエルの産卵を見ることができるそうです。
比叡山を借景にした石庭です。

こちらの実相院さんのHPを見てください。リフレクションが美しいです。
いつも長い文章になってしまうので 1行目にこだわってみました。
京都市左京区にある門跡寺院です。
京都市の中心部からだいぶ北上した岩倉地区にあります。
近くに岩倉具視幽棲旧宅があったので 岩倉具視からこの岩倉という地域の名がついたのかな?と想像したのですが 逆でした。
お寺のすぐ前がバスのロータリーになっていて すぐ目の前までバスで来ることができます。
実相院は建物の中の撮影ができません。
お庭の美しさを感じて時間をゆっくり過ごすのがいちばんです。
「滝の間」というお部屋の床には黒漆が塗られており この部屋は照明を落としていますので お庭の景色がリフレクション(反射して映る)のがとても美しいです。
写真を撮れないので 絵葉書を購入しました。
リフレクションが美しい寺院はいくつか見てきましたが こちらもほんと見事です。
HPで見ることができますよ。ぜひぜひ。
枯山水のお庭や 池泉回遊式のお庭も美しいので 客殿に座ってのんびり時間を過ごすのがいいです。
多動な私も10分は座っていました。
ネット情報です。
山号は岩倉山 宗旨宗派は天台宗単立 ご本尊は不動明王 創建年は寛喜元年(1229年) 開山は静基です。
鎌倉時代の寛喜元年(1229年) 静基僧正により開基された。
当初は現在の京都市北区紫野にあったが 上京区今出川小川(現・実相院町)に移転する。
その後応仁の乱を逃れるため文明6年(1474年) 園城寺の別院・大雲寺に隣接する塔頭成金剛院の跡地である現在地に移転する。
しかし室町時代末期までに多くの堂舎が戦火で焼失した。
江戸時代初期に室町幕府将軍であった足利義昭の子義尋と古市胤子との子である義尊が入寺し門主となっている。
なお 弟の常尊は円満院門主であり また母の胤子は義尋没後に後陽成天皇の後宮となって子をもうけ 後に聖護院門主道晃法親王となったので天台宗寺門派(天台寺門宗)三門跡はすべてこの兄弟が門主に就任し 統括している。
皇室との関係は深く また江戸幕府将軍徳川家光より援助を受けて義尊は実相院を再建していった。
以後当院の代々の住職は皇室と繋がりのある人物が務めた。
本堂は東山天皇の中宮 承秋門院の女院御所を移築したもので 四脚門・車寄せも御所より移築されたものである。
幕末には岩倉具視も一時ここに住んでおり 当時の密談の記録などが残されている。
明治時代になると古市胤子が北岩倉に創建した日蓮宗の證光寺を合併している。
1952年(昭和27年) 天台寺門宗から独立する。
四脚門
寺号標
派手ではないですが立派な門です
京都市の由緒書
拝観入口は庫裡か?
古い石仏
拝観受付
撮っていいのはお庭だけ
枯山水庭園
供養塔なのかな
池泉回遊式の庭
つくばい
苔がすごいの
火消のポンプ
寛喜元(1229)年、近衛基通の孫・静基権僧正を開基とし、紫野に創建された。いちど五辻通小川に移転したが、応仁の乱が激しくなると、当時管理していた岩倉に移った。その後しばらく厳しい時代が続いたが、江戸時代初期、足利義昭の孫・義尊の時代、母(三位の局)が後陽成天皇に仕えて道晃法親王(聖護院門跡)を儲けたことから、天皇家とゆかりは深まり後水尾天皇や東福門院たちが岩倉にしばしば御幸に訪れるなど華やかな時代を迎えた。その後皇孫の入室が続き、享保5(1720)年には東山天皇中宮・承秋門院の大宮御所の建物を賜った。今日まで伝わる四脚門・車寄せ・客殿は、女院のお住まいとしての王朝建築美のなかにも風格あるたたずまいをみせる。上段の間など各室には江戸時代中期に活躍した狩野永敬はじめ狩野派の襖絵がめぐらされ、現存する数少ない女院御所である。
歴史をもっと見る|| 名称 | 実相院門跡 |
|---|---|
| 読み方 | じっそういんもんぜき |
| 参拝時間 | 9:00〜17:00 |
| 参拝料 | 大人500円、小・中学生250円 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-781-5464 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.jissoin.com |
| SNS |
| 京都洛北森と水の会 第5番 |
|---|
| ご本尊 | 不動明王 |
|---|---|
| 山号 | 岩倉山 |
| 院号 | 実相院 |
| 宗旨・宗派 | 単立(もと天台宗寺門派) |
| 創建時代 | 1229年(寛喜元年) |
| 開山・開基 | 静基僧正 |
| ご由緒 | 寛喜元(1229)年、近衛基通の孫・静基権僧正を開基とし、紫野に創建された。いちど五辻通小川に移転したが、応仁の乱が激しくなると、当時管理していた岩倉に移った。その後しばらく厳しい時代が続いたが、江戸時代初期、足利義昭の孫・義尊の時代、母(三位の局)が後陽成天皇に仕えて道晃法親王(聖護院門跡)を儲けたことから、天皇家とゆかりは深まり後水尾天皇や東福門院たちが岩倉にしばしば御幸に訪れるなど華やかな時代を迎えた。その後皇孫の入室が続き、享保5(1720)年には東山天皇中宮・承秋門院の大宮御所の建物を賜った。今日まで伝わる四脚門・車寄せ・客殿は、女院のお住まいとしての王朝建築美のなかにも風格あるたたずまいをみせる。上段の間など各室には江戸時代中期に活躍した狩野永敬はじめ狩野派の襖絵がめぐらされ、現存する数少ない女院御所である。 |
| 体験 | 御朱印お守り花の名所 |
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