じぞういん (つばきでら)|浄土宗|昆陽山
地蔵院(椿寺)のお参りの記録一覧

京の冬の旅の特別公開で参拝。特別公開は、十一面観音と冬の旅のパンフレット表紙にもなった五劫思惟阿弥陀如来でしたが、お地蔵様も頭巾姿が珍しいうえに美しくて素敵。そして勿論五劫思惟像のなんて可愛らしいこと。ふくふくのお顔で、見ているだけで幸せな気持ちに。
散り椿でも有名なお寺だが、まだ一輪二輪綻び始めたばかり、見頃に再訪してみたい。

洛陽三十三観音霊場巡礼第三十番札所
京の冬の旅特別公開
今回の旅で一番楽しみだったかも・・ワクワクです。
ご本尊の五劫思惟阿弥陀如来像はパンフレットやガイドブックの表紙を飾ります
20分ほどの解説や案内は大学生のグループの方達でした
聴きやすく解りやすい説明で今回の特別公開のガイドブックや洛陽三十三観音霊場巡礼のガイドブックにも載ってないレアなお話はとても楽しかったです。
もちろんご本尊の五劫思惟阿弥陀如来像は感動的、実物はとてもとても愛らしいお顔立ちです
霊場巡礼していても実際近くでお参り出来たり、お姿拝見出来ることは少ないのですが今回は、洛陽三十三観音霊場巡礼第三十番札所の観音堂の「十一面観世音菩薩立像」と「雨宝童子像」と「春日龍神像」様の特別拝観、お参りができて最高に幸せでした
散椿です

京都市北区にあるお寺です。
「京の冬の旅」の特別拝観でお参りしました。
近くの駐車場に車を停められたので これはラッキーと思ったのですが 甘かった。
テレビでも取り上げられ ホトカミでも何人も投稿されていたのです そりゃ参拝者が多いに決まっています。
警備員がおられて 山門からつづく列の最後尾に並びました。
時々小雨が降り 傘をさしてしばらく並んでいたら
「90分以上は覚悟してください」と言われ 後ろの方には「120分・・・」
本堂では説明が聞けるとのことで そのサイクルが20分おき それが4サイクル以上待つとのことでした。なんと 境内にも50人以上が並んでおられるそうです。
ぶつぶつぶつぶつ・・・待ちましたよ待ちました。
山門まで30分 本堂までさらに40分。少しだけ早かったです。
本堂では学芸員さんと思われる女性が説明をしてくださいました。
この学芸員さん 他のお寺でもお目にかかった気がします。
明るくて気さくな方でした。
主にご本尊の五却思惟阿弥陀如来と十一面観音立像とゆかりのある天野屋利兵衛さんの話でした。
玉の大きなそろばんと 天野屋利兵衛さんの巻物も展示されていました。
ご本尊はテレビで見たのと同じ 頭の大きな阿弥陀如来さんでした。
五却思惟阿弥陀如来が本尊とされるお寺は多くないそうで ほとんどが脇仏だそうです。
「かわいい」という声も聞かれましたが かわいいですか?私はそうは思わなかったのですが。。。
山号は昆陽山 宗派は浄土宗 ご本尊は五却思惟阿弥陀如来 創建年は神亀3年(726年) 開山は伝・行基 別称は椿寺です。
本堂とご本尊は 檀家さん以外では1300年の歴史で初の一般公開だそうです。
そりゃ混むわ。
待ったことで余計に心が満たされました。
ネット情報です。
神亀3年(726年) 行基が聖武天皇の勅願によって摂津国の昆陽池(こやいけ)のほとりに建立したのが始まりと伝わる。
平安時代に衣笠山の南に移されたが 室町時代の明徳2年(1391年)に勃発した明徳の乱で焼失した。
しかし 足利義満が金閣寺建立の余材をもって再建し 地蔵菩薩を奉安した。
天正17年(1589年) 豊臣秀吉の命によって現在地に移された。
当寺はそもそも八宗兼学の寺院であったが 寛文11年(1671年)に善曳和尚によって浄土宗寺院となり 知恩院の末寺となった。
この際に本尊が善導大師作で重源上人が招来したとされる五却思惟阿弥陀如来となっている。
鍬形地蔵や木納屋の地蔵と呼ばれていた元の本尊である地蔵菩薩は地蔵堂に移されている。
かつて書院の前庭には 名な「散り椿」があり これが椿寺という異名の由来になっている。
初代は惜しくも枯死し 現在は樹齢約120年の2世椿が花を咲かせており 京都市の天然記念物に指定されている。
五色八重散椿は 1本の木に濃淡様々な色合いの花が見られ 散り際も花びらが1枚ずつ散り美しいと 秀吉も愛したという名木である。
また 同じく境内にある八重紅枝垂桜と同時に見頃を迎えるため 4月中旬には椿と桜の美しい共演が見られる。
京の冬の旅の看板
山門
鍬形地蔵尊の提灯
由緒書
石柱3柱
散椿の庭
鍬形地蔵尊
六角形の台はなんじゃろ
内陣
観音堂
三社 弁財天 椿大神 鎮守社
本堂
寺務所
参拝者は途切れず

北区で思い出し急遽お詣り。京の冬の旅で本堂と観音堂が公開されています。危うく忘れるとこでした😅山門すぐに仮設の券売所ができており、拝観権を購入。今回の冬の旅のガイドブックもあったのでこちらも購入させていただきましたが、これがなかなかのすぐれもので椿寺の五劫思惟様や十一面観世音はもちろん、清水寺随求堂の随求観音、因幡薬師のお薬師さん。、六角堂の内陣如意輪観音、仁和寺の経蔵など撮影不可の写真がこれでもかと載せられており、お値段以上の代物となっております🤗境内の椿はまだまだだったので地蔵様にお参りしてから本堂へ。本堂では学生さん(仏教系の学生さんかな?)の説明がありました。交代制のようでしたがよく覚えておられていてなかなか良い説明の仕方だと感心しておりまし🤗さてこちらの五劫思惟様は初見。実は善導大師の作と伝わるものだそう😲赤穂義士との縁が深い天野屋利兵衛の墓所でもあることから利兵衛の木造も公開されておりました観音堂には秘仏である十一面観世音が御前立とともに御開帳。こちらは慈覚大師円仁の作だそうです。帰りに授与所でポストカードと公開記念の御朱印、五劫思惟様の御朱印帳を拝受いたしました。
山門
京の冬の旅特別公開看板
地蔵堂
観音堂
五劫思惟阿弥陀如来(ポストカードより)
十一面観世音菩薩。左・雨宝童子、左・春日龍神(ポストカードより)
鍬形地蔵菩薩(ポストカードより)

北区大将軍川端町の浄土宗地蔵院(椿寺)卍
「京の冬の旅」特別公開、学生ガイドさんの解説で本尊・五劫思惟阿弥陀如来像と、十一面観音菩薩立像(洛陽三十三所観音霊場)とご対面🙏
豊臣秀吉献木(の子孫)の五色八重散椿が有名で、椿寺の愛称はこちらから😌
境内には赤穂浪士の義挙に参画したといわれる大坂の商人・天野屋利兵衛の墓があり、愛用の算盤なども特別公開でした🧮
御本尊と観音堂の御朱印は、書置きにていただきました🖌️
「京の冬の旅」パンフレットより
特別公開
右に五色八重散椿、咲くのは3月か
地蔵堂には鍬形地蔵
観音堂
賓頭盧さん
天野屋利兵衛の墓
観音堂
五劫思惟

「京都浪漫」という番組を見て、「おこしバスで行く京の冬の旅」という企画があることを知りました。そこで、その番組を見た後で「京の冬の旅 新春ご利益 札所の特別公開めぐり」を予約して、1月21日に行ってきました。京都駅まで行く必要がありますが、京都駅から京阪バスで、地蔵院(椿寺)、頂法寺(六角堂)、平等寺(因幡堂)の3つの寺を回り、昼食を「天㐂 (てんき)」でいただくというツアーです。特別公開の仏像にもお参りできて、非常に充実した時間でした。
仏像は撮影できなかったので、御朱印のみupさせていただきました。
地蔵院にお祭りされている「鍬形地蔵」のお顔です。以下はホームページから引用しました。
「地蔵院の建っている土地はその昔は大将軍村といい、田んぼに囲まれた村だったそうです。地蔵菩薩様も地元農民から篤く信仰されていました。
あるとき、日照りが続き、田んぼに引く水が不足してしまいました。村人は川の水を分け合って田んぼに引いていました。ところがある男が強引にその少ない水を自分の田んぼにばかり引こうとするのです。
男の自分勝手な行いに村人が困っていたところ、一人のお坊さんが男の前に現れました。
お坊さんは男に自分勝手な振る舞いを止めるように諭したのです。しかし男は腹を立てて、なんと持っていた鍬でお坊さんの顔を殴りつけてしまったのです。
しかしお坊さんは顔を怪我したにもかかわらず、腹を立てることもなく何も言わずその場を去っていきました。
男が不思議に思ってお坊さんの後をつけていくと、お坊さんは地蔵院の中にある地蔵堂に入っていきました。
中をのぞいてみても誰もいない。よく見るとお地蔵さまの頬に鍬の傷がついているではありませんか。
お地蔵さまがお坊さんの姿になって、自分勝手なことをしないように諭してくれたのです。
それ以来、男は改心して、自分の田んぼにだけ水を引くということをしなくなりました。
このことから、当山の地蔵菩薩さまは鍬形地蔵さまと呼ばれるようになったといいます。」
地蔵院の入り口の門の写真です。

大阪府東部・京都市の寺社仏閣巡りの3ヶ寺目は、大阪府から離れて京都府京都市北区に在る昆陽山 地蔵院です。通称は椿寺。
浄土宗で、本尊は五劫思惟阿弥陀如来。
この本尊・五劫思惟阿弥陀如来坐像は1/1~1/3に開帳、観音堂本尊の十一面観音立像は1/1~1/3と春・秋の彼岸の間と8/23,24に開帳されます。よって、1度で2度(1粒で2度)おいしい正月に訪れた次第です。
726年に聖武天皇の勅願により行基が摂津の昆陽池のほとりに寺院を建立し、地蔵院と号したのが始まりと伝わります。平安時代に衣笠山の南に移されたが、1391年に内野の合戦で焼失。荒廃を惜しんだ足利義満が金閣寺造営の余材で仮堂を建て地蔵菩薩を奉安。1589年には豊臣秀吉の命により現在地に移った。元々は八宗兼学の寺院であったが、1761年に浄土宗とし知恩院の末寺となり、本尊を現在の五劫思惟阿弥陀如来とした。元の本尊である地蔵菩薩は地蔵堂に安置され、鍬形地蔵と呼ばれている。
大阪はそれほど道は混んでいませんでしたが、京都市内は交通量が多く、遠くないのに時間が掛かりました。こちらは北野天満宮の近くです。
山門横に2台分の駐車場がありますが満車でしたので、もう1つの駐車場へ行ったら1台分だけ空きがありましたので停めさせて頂きました。
一条通沿いに山門があります。山門前には本尊・五劫思惟阿弥陀如来の特別拝観の案内。山門をくぐると短めの参道の正面に本堂と思いきや地蔵堂があり、右側手前から庫裏、本堂、手水(手水の奥側に境内社)、観音堂です。左側は墓地。本堂前には豊臣秀吉が献木したという「五色八重の散椿」がありますがまだ蕾でした。(初代は惜しくも枯死、現在は2世。例年の開花時期は3月下旬~4月中旬だそうです。)
手水で清めてから、境内社(弁財天、椿大神、鎮守社)で手を合わせてから観音堂へ。堂の外から
十一面観音立像を拝観、高さ約160cmの一木造、脇侍が雨宝童子と春日龍神で三尊形式。穏やかなお顔で衣が綺麗です。この像が何故無指定なのかわかりませんが、後世の改修があるのでしょうか。
隣の地蔵堂には、元の本尊である地蔵菩薩立像「鍬形地蔵」。高さ約180cm、下半身は残念ながら見えません。頭から肩に蒲団が被せてありましたが、理由はわかりませんでした。
本堂は庫裏から。庫裏の玄関で靴を脱いで上がらせて頂き本堂へ。須弥壇の真ん中に本尊・五劫思惟阿弥陀如来坐像、下陣からの拝観です。高さ約90cm、アフロヘアです。合掌していらっしゃってふっくらとして可愛らしいです。
(五劫思惟阿弥陀如来坐像で有名なのは奈良市の東大寺、五劫院)
玄関の所に納経所がありましたので御朱印(書置きのみ)を頂きました。
椿の開花時期に再度お邪魔したいです。
御朱印(洛陽三十三観音霊場)
山門
参道(正面に地蔵堂)
本堂
本尊・五劫思惟阿弥陀如来
(ネットから転載)
手水
弁財天、椿大神、鎮守社
観音堂
十一面観音立像と脇侍の雨宝童子と春日龍神
地藏堂
地蔵菩薩「鍬形地蔵」
世継地蔵尊

京都市北区にあります、
地蔵院【椿寺】に参拝しました。
浄土宗の寺院で、本尊は【五劫思惟阿弥陀如来】
境内にある【散り椿】が有名で、椿寺の名で親しまれ境内の【観音堂】が、洛陽三十三所観音霊場 第三十番札所。
参拝後に御朱印を頂きました。
観音堂
洛陽三十三所観音霊場の御朱印は書いて頂けますが、他は基本書き置きのみです。
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