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東向観音寺ではいただけません
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ひがしむきかんのんじ|真言宗泉涌寺派朝日山

東向観音寺
京都府 北野白梅町駅

御朱印について御朱印
あり

洛陽三十三所観音霊場の31番。その印と、火炎宝珠に梵字が御朱印に。

限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

なし
北野天満宮の駐車場が近くにあります。

巡礼

その他の巡礼の情報

洛陽三十三所観音霊場第31番札所

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年12月03日(火)
2205投稿

京都市上京区にあるお寺です。
北野天満宮の参道西側にあります。
真言宗泉涌寺派の寺院で かつては北野天満宮の神宮寺でした。
洛陽三十三所観音霊場第31番札所です。
参道を歩く人はほぼ全員が北野天満宮への参拝で こちらに向かう方は いませんでした。
こちらも歴史のあるお寺ですのに。
山号は朝日山 宗旨宗派は真言宗泉涌寺派 寺格は準別格本山 ご本尊は十一面観音(秘仏) 創建年は延暦25年(806年) 開山は賢璟法師 開基は桓武天皇 藤原小黒麻呂 中興年は(神宮寺として)天暦元年(947年) 中興は最鎮です。

歴史については
延暦25年(806年) 大納言藤原小黒麻呂及び賢璟法師が桓武天皇の勅により創建した。
当初は朝日寺という名称だった。
天暦元年(947年)に菅原道真廟をこの地に移し 朝日寺の最鎮らが北野天満宮を建立して朝日寺を北野天満宮の神宮寺とし 応和元年(961年)には筑紫観世音寺より菅公自作の十一面観音を招来して新たに本尊とした。
応長元年(1311年) 無人如導宗師が筑紫の観世音寺に擬して朝日寺の名称を観世音寺または観音寺と改め 天満宮御本地仏・北野神宮寺または 奥之院とも称した。
境内は次第に整備され 当寺の本堂である観音堂が東を向いている東向観音の他にも 観音堂が西を向いている西向観音もあったが 数度の火災の後 西向観音は廃絶されてしまった。
北野天満宮の復興とあわせて慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として本堂を再建している。
江戸時代に入ると一条家の祈願所となり 一条家出身で明治天皇の皇后となった昭憲皇太后は結婚する以前に当寺で勉学に励まれたといわれている。
白衣観音堂はその外観自体の撮影が諸事情により禁止されている。
とありました。

東向観音寺(京都府)

山門

東向観音寺(京都府)

由緒書

東向観音寺(京都府)

本堂・礼堂の由緒書

東向観音寺(京都府)

洛陽観音霊場31番

東向観音寺(京都府)

手水舎

東向観音寺(京都府)

本堂

東向観音寺(京都府)
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歴史

寺伝によると延暦25年(806)に桓武天皇の勅を奉じて藤原小黒麿らが皇城鎮護のために建立され、当初は朝日寺と呼ばれていた。
天暦元年(947)に朝日寺の僧、最鎮らが天満宮を建立した後の応和元年(961)、筑紫の観世音寺より菅原道真公御作の十一面観世音菩薩を請来し安置された。
応長元年(1311)、無人如導宗師が中興し、花園・後醍醐・光厳・光明の四天皇信仰深く筑紫の観世音寺に擬して観世音寺または観音寺と改称し、天満宮御本地仏・北野神宮寺または、奥之院とも称した。
本堂が東を向くことから東向観音と称されるようになる。
元は、東向・西向(一夜松の観世音菩薩安置と伝える)の両堂あったが、応仁の乱や火災等で焼失し、西向きは再興されず東向観音堂のみ再建された。
江戸時代に入ると一條家の祈願所となり、一條家出身で明治天皇の皇后になられた昭憲皇太后は、ご結婚なされる前に当寺で勉学に励まれたと言われている。
江戸時代の後期頃より寺名は、観音寺となった。
現在は、真言宗泉涌寺派、準別格本山となっている

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東向観音寺の基本情報

住所京都府京都市上京区今小路御前西入上観音寺門前863
行き方

市バス「北野天満宮前」停下車
徒歩約2分
嵐電(京福電鉄)北野線 北野白梅町駅(徒歩約7分)

アクセスを詳しく見る
名称東向観音寺
読み方ひがしむきかんのんじ
参拝時間

9:00〜16:00

参拝料

なし

御朱印あり

洛陽三十三所観音霊場の31番。その印と、火炎宝珠に梵字が御朱印に。

限定御朱印なし
電話番号075-461-1527
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.higasimukikannon.sakura.ne.jp/

巡礼の詳細情報

洛陽三十三所観音霊場

詳細情報

ご本尊十一面観世音菩薩
山号朝日山
宗旨・宗派真言宗泉涌寺派
創建時代延暦二十五年(806)
開山・開基藤原小黒麿
本堂三間梁間三間一重入母屋造本瓦葺
ご由緒

寺伝によると延暦25年(806)に桓武天皇の勅を奉じて藤原小黒麿らが皇城鎮護のために建立され、当初は朝日寺と呼ばれていた。
天暦元年(947)に朝日寺の僧、最鎮らが天満宮を建立した後の応和元年(961)、筑紫の観世音寺より菅原道真公御作の十一面観世音菩薩を請来し安置された。
応長元年(1311)、無人如導宗師が中興し、花園・後醍醐・光厳・光明の四天皇信仰深く筑紫の観世音寺に擬して観世音寺または観音寺と改称し、天満宮御本地仏・北野神宮寺または、奥之院とも称した。
本堂が東を向くことから東向観音と称されるようになる。
元は、東向・西向(一夜松の観世音菩薩安置と伝える)の両堂あったが、応仁の乱や火災等で焼失し、西向きは再興されず東向観音堂のみ再建された。
江戸時代に入ると一條家の祈願所となり、一條家出身で明治天皇の皇后になられた昭憲皇太后は、ご結婚なされる前に当寺で勉学に励まれたと言われている。
江戸時代の後期頃より寺名は、観音寺となった。
現在は、真言宗泉涌寺派、準別格本山となっている

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