ひがしむきかんのんじ|真言宗泉涌寺派|朝日山
東向観音寺京都府 北野白梅町駅
9:00〜16:00
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方
次は東向観音寺様へ向かいました。
東向観音寺様は真言宗泉湧寺派の別格本山です。
御本尊は十一面観世音菩薩をお祀りされています。
東向観音寺様は806年に桓武天皇の勅願により
藤原小黒麿と賢環法師によって創建されました。
当時は「朝日寺」と称されていました。
947年に「朝日寺」の最鎮が北野天満宮様を
創建されると筑紫観音寺様より菅原道真自作の
十一面観世音菩薩を招来し御本尊として
お祀りされました。
参道を北野天満宮様に向かって歩いて行くと
三の鳥居のすぐ左に立地されています。
興味持った修学旅行の学生さん達も境内に
次々にお参りにきていました。
寺伝によると延暦25年(806)に桓武天皇の勅を奉じて藤原小黒麿らが皇城鎮護のために建立され、当初は朝日寺と呼ばれていた。
天暦元年(947)に朝日寺の僧、最鎮らが天満宮を建立した後の応和元年(961)、筑紫の観世音寺より菅原道真公御作の十一面観世音菩薩を請来し安置された。
応長元年(1311)、無人如導宗師が中興し、花園・後醍醐・光厳・光明の四天皇信仰深く筑紫の観世音寺に擬して観世音寺または観音寺と改称し、天満宮御本地仏・北野神宮寺または、奥之院とも称した。
本堂が東を向くことから東向観音と称されるようになる。
元は、東向・西向(一夜松の観世音菩薩安置と伝える)の両堂あったが、応仁の乱や火災等で焼失し、西向きは再興されず東向観音堂のみ再建された。
江戸時代に入ると一條家の祈願所となり、一條家出身で明治天皇の皇后になられた昭憲皇太后は、ご結婚なされる前に当寺で勉学に励まれたと言われている。
江戸時代の後期頃より寺名は、観音寺となった。
現在は、真言宗泉涌寺派、準別格本山となっている
| 住所 | 京都府京都市上京区今小路御前西入上観音寺門前863 |
|---|---|
| 行き方 | 市バス「北野天満宮前」停下車
|
| 名称 | 東向観音寺 |
|---|---|
| 読み方 | ひがしむきかんのんじ |
| 参拝時間 | 9:00〜16:00 |
| 参拝料 | なし |
| 御朱印 | あり 洛陽三十三所観音霊場の31番。その印と、火炎宝珠に梵字が御朱印に。 |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 075-461-1527 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.higasimukikannon.sakura.ne.jp/ |
| 洛陽三十三所観音霊場 |
|---|
| ご本尊 | 十一面観世音菩薩 |
|---|---|
| 山号 | 朝日山 |
| 宗旨・宗派 | 真言宗泉涌寺派 |
| 創建時代 | 延暦二十五年(806) |
| 開山・開基 | 藤原小黒麿 |
| 本堂 | 三間梁間三間一重入母屋造本瓦葺 |
| ご由緒 | 寺伝によると延暦25年(806)に桓武天皇の勅を奉じて藤原小黒麿らが皇城鎮護のために建立され、当初は朝日寺と呼ばれていた。
|
| 体験 | おみくじ御朱印お守り有名人のお墓札所・七福神巡り |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ






7
0