だいしょうぐんはちじんじゃ
大将軍八神社のお参りの記録一覧
大阪府東部・京都市の寺社仏閣巡りの4ヶ所目は、先の地蔵院 椿寺の近くに在る大将軍八神社です。
地蔵院 椿寺から東へ約200m、椿寺は北区ですが、こちらは上京区になります。
今回の寺社仏閣巡りの最後となります。
こちらの方徳殿(収蔵庫)には、重文に指定されている平安時代作の木造大将軍神像が80躯も保管されています。毎年5/1~5/5と11/1~11/5に一般公開しており、その下見も兼ねて正月という事もあり今回参拝しました。
祭神は、大将軍神(素戔鳴尊:スサノヲノミコト、天津彦根命:アマツヒコネノミコト)
太歳神(天忍穂耳命:アメノオシホミミノミコト)、大陰神(市杵嶋姫命:イチキシマヒメ)、歳刑神(田心媛命:タギリヒメ)、歳破神(湍津姫命:タギツヒメ)、歳殺神(天穂日神:アメノホヒ)、黄幡神(活津彦根神:イクツヒコネ)、豹尾神(熊野櫲樟日命:クマノクスビ)
聖武天皇、桓武天皇
794年の平安京遷都の際、桓武天皇の勅願により、奈良の春日山麓から大将軍神を御所(大内裏)の北西角(陰陽道の天門)に勧進したのが始まりと伝わります。創建当初は陰陽道のお堂として建てられたため「大将軍堂」と称した。江戸時代に入りそれまでの北斗妙見信仰から太白精の信仰に移り、暦神と習合して 「大将軍八神宮」とも称した。祭神は大将軍一神を祀っていたが、明治時代の神仏分離令により神道を国教としたため、現在の形「素盞鳴尊、その御子五男三女神、並びに 桓武天皇を合祀」となり、御子八神と暦神の八神が習合して以後社名は「大将軍八神社」となったとの事です。
神社の駐車場があり、ギリ空きがあったので駐車させて頂きました。人も多いですし、車も結構通ります。鳥居をくぐると参道右側に手水があり、身を清めます。参道左側には三社と五社。本殿の前には少し行列が出来ています。(皆さんは少し北へ行った所の北野天満宮を参拝されるから空いているだろうと思っていましたが、そこそこの参拝客でした。)
本殿で手を合わせてから時計回りに。本殿左側奥に大杉大明神・豆吉明神があり、右側奥に方徳殿(収蔵庫)、当然閉まっています。大金神社・歳徳神社があって社務所です。社務所で御朱印を頂きました。この頃には長蛇の列になっていました。
駐車場に戻り、まだ日は高いですが、渋滞を避けるため早めに帰路に着きました。
御朱印
手水
三社(命婦神社、厳島神社、猿田彦神社)
五社(恵比寿神社、稲荷神社、天満宮、長者神社、金毘羅神社)
本殿
大杉大明神、豆吉明神
大金神社、歳徳神社
方徳殿(収蔵庫)は春季と秋季に公開
木造大将軍神像(ネットから転載)
本殿を横から
参拝後には長蛇の列に
京都府京都市上京区に御鎮座する大将軍八神社に参拝に行って来ました。
近くには北野天満宮と平野神社があります。方徳殿は5/1〜5と11/1〜5しか通常開館しないので、大将軍神像と天球儀はみれませんでしたが、また、開いている期間に参拝したいと思います。町中にありますが、境内に入ると静まり返ったように感じ気持ち良くお参りをすることが出来ました。
御祭神
大将軍神 素戔嗚 天津彦根命
大歳神 天忍穂耳命
大陰神 市杵島姫命
歳形神 田心媛命
歳破神 たきつ姫命
歳殺神 天穂日命
黄幡神 活津彦根命
豹尾神 熊野樟日命
左客人宮 聖武天皇
右客人宮 桓武天皇
御由緒
延暦十三年(七九四年)平安京遷都の際、桓武天皇の勅願によって、奈良県春日山麓より大将軍神を平安京大内裏の北西角(陰陽道の天門)の地に勧請し、国家守護、国民の繁栄を祈念したのが始まりです。
大将軍神とは、陰陽道・道教の信仰による方位を司る星神であり、この神の方位を犯すと厳しい咎めを受けるというので、古来非常に恐れられてきました。
社号は初め、陰陽道のお堂として大将軍堂と称され、応仁の乱の荒廃後に神社として復興。江戸時代に大将軍神を始め、暦の神八将神とスサノオノ命その御子神八神が習合。また、聖武・桓武天皇を共にお祀りし、大将軍八神宮と改称。白虎大将軍の通称で京都西方守護の信仰や、方除厄除十二社参りの一社として参詣を集め、明治時代以降に現名称となりました。
平安朝以来、王城鎮護の神として篤い崇敬を受け、現在も建築、移動、婚姻、旅行、交通など毎日の生活に於いて、あらゆる厄災から人々を守護する方除、厄除の神として信仰されてます。
由緒書き
入り口の鳥居
手水社
拝殿
狛犬
狛犬
招霊の木
大金神と歳徳神
大杉大神鳥居
大杉大神の社
豆吉明神
境内
船の錨がありました。
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