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大将軍八神社ではいただけません
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大将軍八神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年06月20日(火)
参拝:2023年6月吉日
京都府京都市上京区に御鎮座する大将軍八神社に参拝に行って来ました。
近くには北野天満宮と平野神社があります。方徳殿は5/1〜5と11/1〜5しか通常開館しないので、大将軍神像と天球儀はみれませんでしたが、また、開いている期間に参拝したいと思います。町中にありますが、境内に入ると静まり返ったように感じ気持ち良くお参りをすることが出来ました。
御祭神
大将軍神 素戔嗚 天津彦根命
大歳神 天忍穂耳命
大陰神 市杵島姫命
歳形神 田心媛命
歳破神 たきつ姫命
歳殺神 天穂日命
黄幡神 活津彦根命
豹尾神 熊野樟日命
左客人宮 聖武天皇
右客人宮 桓武天皇
御由緒
延暦十三年(七九四年)平安京遷都の際、桓武天皇の勅願によって、奈良県春日山麓より大将軍神を平安京大内裏の北西角(陰陽道の天門)の地に勧請し、国家守護、国民の繁栄を祈念したのが始まりです。
大将軍神とは、陰陽道・道教の信仰による方位を司る星神であり、この神の方位を犯すと厳しい咎めを受けるというので、古来非常に恐れられてきました。
社号は初め、陰陽道のお堂として大将軍堂と称され、応仁の乱の荒廃後に神社として復興。江戸時代に大将軍神を始め、暦の神八将神とスサノオノ命その御子神八神が習合。また、聖武・桓武天皇を共にお祀りし、大将軍八神宮と改称。白虎大将軍の通称で京都西方守護の信仰や、方除厄除十二社参りの一社として参詣を集め、明治時代以降に現名称となりました。
平安朝以来、王城鎮護の神として篤い崇敬を受け、現在も建築、移動、婚姻、旅行、交通など毎日の生活に於いて、あらゆる厄災から人々を守護する方除、厄除の神として信仰されてます。
近くには北野天満宮と平野神社があります。方徳殿は5/1〜5と11/1〜5しか通常開館しないので、大将軍神像と天球儀はみれませんでしたが、また、開いている期間に参拝したいと思います。町中にありますが、境内に入ると静まり返ったように感じ気持ち良くお参りをすることが出来ました。
御祭神
大将軍神 素戔嗚 天津彦根命
大歳神 天忍穂耳命
大陰神 市杵島姫命
歳形神 田心媛命
歳破神 たきつ姫命
歳殺神 天穂日命
黄幡神 活津彦根命
豹尾神 熊野樟日命
左客人宮 聖武天皇
右客人宮 桓武天皇
御由緒
延暦十三年(七九四年)平安京遷都の際、桓武天皇の勅願によって、奈良県春日山麓より大将軍神を平安京大内裏の北西角(陰陽道の天門)の地に勧請し、国家守護、国民の繁栄を祈念したのが始まりです。
大将軍神とは、陰陽道・道教の信仰による方位を司る星神であり、この神の方位を犯すと厳しい咎めを受けるというので、古来非常に恐れられてきました。
社号は初め、陰陽道のお堂として大将軍堂と称され、応仁の乱の荒廃後に神社として復興。江戸時代に大将軍神を始め、暦の神八将神とスサノオノ命その御子神八神が習合。また、聖武・桓武天皇を共にお祀りし、大将軍八神宮と改称。白虎大将軍の通称で京都西方守護の信仰や、方除厄除十二社参りの一社として参詣を集め、明治時代以降に現名称となりました。
平安朝以来、王城鎮護の神として篤い崇敬を受け、現在も建築、移動、婚姻、旅行、交通など毎日の生活に於いて、あらゆる厄災から人々を守護する方除、厄除の神として信仰されてます。
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