よしだじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方吉田神社のお参りの記録一覧(6ページ目)

神仏霊場の御朱印を頂きに参りました。
前日の大雨の気配も無いような晴天に恵まれ、ゆるゆるとここへ向かいました。
大学生がうようとと歩いている間を縫って、ダラダラと参道を進み、静かな境内に入らせていただきました。
行こう行こうと考えながら40年(苦笑)
初めての参拝です。
結構思っていた以上に広い境内にウロウロ(笑)
特に吉田兼倶の屋敷のあった場所に建っている斎場所元宮は全国の神様を集めたという事で不思議な建て方をされています。(伊勢神道からは大反対があったようですが・・・)
吉田神社はかつて一世を風靡した吉田神道のおひざ元。
そりゃまぁ色々確執もあり、現在に至っております。
始祖の吉田兼倶は元卜部氏。「徒然草」の吉田兼好の子孫になります。
平安時代・藤原山蔭が奈良の春日大社から勧請してこの神社を建てたのでご祭神は春日大社と同じです。その後室町になって吉田兼倶が吉田神道をここで確立しました。それが明治まで続いたとの事です。
本宮
本宮
杉の木の根元にあったんですが、まるで仏様のように見えたので激写(笑)
今宮社と四神石。一個少ないんですが、朱雀石は内陣にあると言われているそうです。
神楽岡社
斎場所元宮
斎場所元宮
屋根を見れば、他では見られない男神と女神の二種が・・・。
京都と言えばお茶菓子。やはりありましたね。菓祖神社。
神龍社。なんか石垣に囲まれた不思議な場所だったので調べると、ご祭神は吉田兼倶。ここで葬られたとの事なのでお墓ってここかもと。
山蔭神社。ご祭神は藤原山蔭。どういうわけか包丁や料理・食材の神様になってます。春日神社から勧請したのがこの方なので、変じてこうなったとか・・・?
三社社。元々は吉田邸の中で祀られていた神様なんだそうです。

京都府京都市左京区吉田神楽岡町に鎮座する吉田神社。最寄りは京阪本線の出町柳駅で、そこから徒歩20分ほどの道のりです。鴨川の流れを横目に見ながら橋を渡り、京都大学のキャンパスをかすめて歩いていくと、やがて社叢に囲まれた神域へと辿り着きます。境内に一歩足を踏み入れると、周囲の都市的な喧騒がすっと遠のき、凛とした空気に包まれました。
御祭神は建御賀豆智命、伊波比主命、天之子八根命、比売神の四柱で、創建は平安時代の貞観元年(859年)と伝わります。室町時代には吉田兼倶によって体系づけられた「吉田神道」の中心として大きな役割を果たし、神道史を語る上で欠かすことのできない存在です。学問や文化の中心である京の町にあって、歴史的にも思想的にも重要な拠点であったことを思うと、足を踏み入れるだけで背筋が伸びるような心持ちになります。
境内は広々としており、開放感に満ちています。白く敷き詰められた玉砂利を歩くと、しゃりしゃりと澄んだ音が響き、日常の喧噪から切り離されるような感覚を覚えました。可能であれば広大な敷地を隅々まで巡り、数多くの境内社を丁寧に参拝したかったのですが、この日は時間に制約があり、本宮へ真っ直ぐ向かい、春日造の本殿の方向に向かって心を込めて一礼するのみとなりました。それでも、長き歴史を背負ってきた空気に触れることができただけで十分に意義深い参拝となりました。
社務所や境内の佇まいからも、節分祭をはじめとする大きな神事の際には、多くの参拝者で賑わう光景が目に浮かびます。今日は静けさが支配していましたが、その分、耳を澄ませば風に揺れる木々の音や玉砂利を踏む音が際立ち、かえって心に残るひとときとなりました。境内社への参拝は次の機会に譲り、再訪を心に誓います。
これから京都マラソンの沿道整備という任務が待っており、気持ちを切り替えて向かわなければなりません。救護系役割りも含まれるようなので、何事もなく大会が閉幕するよう祈るばかり。吉田神社で得た清々しい気持ちを胸に、その役目を果たしたいと思います。

拝殿

玉砂利がきれいに敷き慣らされています
年明けて改めて吉田神社へお参りに。
普段はあまり人のいない吉田神社ですが、京都では一番有名な節分祭がここ、吉田神社の節分祭。
朝からその準備が進められているみたいでした。
年が明けて吉田神社では節分祭の準備が進められていました。
吉田の大干支絵馬は境内の幼稚園との共同制作。
大元宮は屋根のお手入れ中。

12月7日、紅葉狩りに京都へ。
吉田神社さんをご参拝しました。
近隣の高校生でしょうか、境内を走ってトレーニングしていました。
竹中稲荷神社さんへもご参拝するつもりでしたが足を挫いてしまったのでまたの機会にする事にしました。
祖霊社
今宮社
本宮
神楽岡社
若宮社
神龍社
菓祖神社
山蔭神社
神海霊社 境内図には載っていないお社
ご朱印

節分祭の時の様子を。
節分祭は毎年2月2日〜4日に行われ、特に2日の追儺式と3日の火炉祭は有名ですね。火炉祭はお札を燃やしてかなり大量の灰を排出するので、その処理の問題で2015年・2016年はかなり規模を縮小して、七輪のような炉で御幣を燃やすだけになっていました。2017年は、市との折り合いがついたのか例年通りの方法に戻り、良かったなぁと。
この期間は普段毎月一日しか公開しない斎場所大元宮に特別参拝できます。露天もたくさん出ており、酒を飲みながら参拝できるのはこの日くらいでは笑
ところで、大元宮の東西にある横長の社殿には、それぞれの扉の前に旧国名で「〇〇國中〇〇神」と国ごとの神様の数が書いてあります。全部合わせて式内神3132座あるはずなのですが、全部足していくと3101。宮中36座や京中3座を考慮しても、微妙に数が合わないのが何故なんでしょうね...?
火炉祭。古札を燃やします。結構熱いです
上から。八ツ橋のお店とか、他にも露天がたくさん
節分祭の時だけ設置される「厄塚」。お寺のご開帳の時の回向柱と少し似てますねぇ。
六角形の「後房」。八角系との接続部に出入り口がありまして、時々神職さんが出入りするので運が良ければ中を覗けます笑
方相氏。追儺の時はこいつが鬼を追い払います。
問題の、東西諸神社。
西神明社。八神殿跡も。
12時くらいになると、斎場所から締め出されます。

2016年3月19日にお参りしました。
神道家として吉田兼倶が好きなので、とてもわくわくする神社です。高校の時分に次いで二度目のお参りでした。
この京都行では始終たまゑもんさんにお世話になりました。ありがとうございました。
御朱印は大元宮を含む境内社のものを別にいただくことができます。吉田神道の力強さを思わせる、重厚な筆致の御朱印です。
また、お気持ちの初穂料で由緒書をいただくことができます。
節分や大元宮の公開日などにお参りしたいと思いつつ果たせていません。
京大からすぐ近くです。
明治節復活論者では全くないものの、「文化祭」と書いてあると少し不思議な気分になります。学校の文化祭っぽくて……。
末社・今宮社。
麓の本宮区域。
さすが吉田神道、護摩木が!
奉納すればよかったなあと少し後悔しています。
末社・神龍社。兼倶は死後神龍大明神として祀られます。それまでの御霊信仰とは異なる形で人を神として祀るということが、この吉田神道から始まっていきます。
竹中稲荷や宗忠神社を参拝したあと、斎場所大元宮へ!
兼倶がつくった吉田神道の根本殿堂です。
限られた日にしか公開されない大元宮ですが、扉の穴から拝むことができました。八角形の恰好良い建物です。
本宮に戻ってきました。
よしだ幼稚園(吉田幼稚園)。一応境内にあります。調べると法人としての関係は分からないものの、幼稚園の行事に吉田神社もそれなりに関わっているようです。

【追儺厄除け面:吉田神社】
春の京都「授与品ツアー」
続いて訪れたのは左京区にある「吉田神社」
貞観元年(859年)、平安京の守護神として創建された歴史ある神社。
祭神は健御賀豆知命、伊波比主命、天之子八根命、比売神。
吉田神社は「節分詣り発祥の社」として全国的に有名で、節分大祭は室町時代から続く伝統ある行事です。
節分の前夜には追儺式(鬼やらい)が行われる。
「黄金四ツ目の面」をかぶった方相氏が鬼を追いながら疫神を追い払うという勇壮なもの。
この行事の仮面(黄金四ツ目の鬼)を模して作られたのが、この「追儺厄除け面」。
節分から1ヶ月以上過ぎていたのに、運が良く社務所でお面を拝受する事ができました。
黄金四ツ目の鬼なので、穴も四つ開いているのが珍しい。
赤鬼・青鬼の面も同封されていました。
※詳しくはブログ「郷土玩具の杜」をご覧下さい。
https://folktoys.blog.fc2.com/blog-entry-520.html
入手日:1999年3月13日
掲載されている内容は当時のものです、情報が古い場合がありますのでご了承下さい。

授与品:追儺厄除け面

授与品:追儺厄除け面

授与品:追儺厄除け面

授与品:追儺厄除け面

授与品:追儺厄除け面を被る娘(当時)

吉田神社
京都府のおすすめ❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ














































































14
0