だきにてん(ほうでんじ) |天台宗
吒枳尼天(法伝寺)のお参りの記録一覧

真正極楽寺様に向かうと警備員の方から親切に自転車の停める場所を教えて頂きました。一旦、指定された山門の内側に自転車を置いて山門の外の法伝寺様にお参りさせて頂きました。
稲荷大明神は710年に日本で初めて、この地に出現されたそうです。
その後、弘法大師の前に稲を担える翁の姿で出現し、「吾が本地である吒枳尼天の真の姿を模刻して、衆生を利益、安楽させておくれ」とお告げされたそうです。
また、信仰の篤かった公尊上人には「宇賀の宝珠」を、刀匠の三条小鍛冶宗近には打鍛冶の奥義を、白狐が端正な童子に化身してお授けになられたそうです。
この日は他に参拝者も見当たらず、ゆっくりお参りして廻ることが出来ました(^-^)

京都市内の寺院巡りの3寺目は、真正極楽寺(真如堂)の総門の前に在る法伝寺です。
天台宗で、本尊は吒枳尼天(だきにてん)。
元は真如堂の稲荷堂だったが、神仏分離により境内の外に移り、真如堂の塔頭の法伝寺とした様です。
鎌倉時代の創建で、開基は順徳天皇との事ですが詳細不詳です。
真如堂の境内に入る前に鳥居が目に入ったので神社らしき建物があると気付きましたが、メインは真如堂の本尊開帳でしたので、こちらの参拝は真如堂拝観の後としました。
吒枳尼天と彫られた石柱があって鳥居、境目には玉垣。鳥居をくぐって先に進むと狛犬。まさに神社。左側に真如堂と彫られた手水。拝殿の様な建物の先に本殿?本堂?
中を覗くとお勤め中でしょうか、袈裟を纏った住職の背中が見えました。ここで初めて寺院とわかった次第です。
よって、柏手を打たずに手を合わせました。
本堂の左側には神馬舎?と庚申堂。
神仏習合ですね。
(直接関係無いのですが、私が住む愛知県にある妙厳寺も吒枳尼天が祀ってあり、豊川稲荷の方が名が通っています。(神仏分離は免れた))
「御朱印」や「納経所」の案内看板が無かったので御朱印は頂いておりません。
実は帰宅後にネットで調べるまで「法伝寺」という寺号とはわかりませんでした。境内に「法伝寺」という文字は見当たらなかったです。
拝殿の様な
手水
真如堂の文字が見えます
本堂
神馬舎?
庚申堂(青面金剛尊)

真正極楽寺(真如堂)の塔頭です。
総門の外側にあります。
元は鎮守社の稲荷堂で吒枳尼天を祀っています。
ですので 鳥居も狛犬もあり ぱっと見た目は神社です。
拝殿には 四方に36人の歌人が描かれたものが掛けてありました。
百人一首ではなさそうです。
御朱印はないとのことでした。
神社だと思いました
大きめの石鳥居
拝殿
狛犬も
吒枳尼天(だきにてん)
本堂
提灯がきれいです
摂社は青面金剛尊
不明な摂社
扁額が読めない
拝殿の内側に歌人の絵

真如堂楼門を出て右手にあります。
真如堂の塔頭寺院だとは思うんですが、なにせ鳥居がある。
しかも御祭神がダキニ天。
これは神社か寺かと悩むところです。
鳥居はあるけど建て方が寺院。屋根には宝珠もあります。
隣の社殿は「青面金剛明王」
うう~~~~ん・・・。
元々このダキニを日本に持ってきたのは空海です。
ヒンドゥーでは屍林をさまよい、敵を殺し、血肉を食らう女鬼・夜叉女の事。それをインド仏教において大黒天に帰依させ、神通力を得させ、更に空海が真言密教に取り入れ、閻魔様の眷属にしちゃったんだそうです。
日本では狐の上に乗る女神として描かれ、その事から稲荷に分類されるようになったとか。インドでは狐じゃなくジャッカルなんですって。
しかしながら元女夜叉。子供の頃から聞かされている事はダキニは寺院で祀られていて、願いごとをよく聞いて下さるが見返りも大きいと。だからおいそれと願い事を言ってはいけないよと。
そんな事で未だに私はダキニ天には願い事など言ったことが無く、ただ挨拶だけするに留めています(苦笑)
絵馬堂にあった長い横額。左は鬼だとわかるけど右がなんだかわからない・・・。
絵馬堂の四方に掲げてある36歌仙
青面金剛明王堂
不明

市バス「真如堂前」バス停下車徒歩10分。天台宗寺院。ご本尊は荼枳尼天です。
順徳天皇が開基の真如堂の塔頭寺院。赤門の手前を左にある小さな寺院です。
ご本尊の荼枳尼天は弘法大師の作とも云われています。
最初の鳥居をくぐり、最初の門には「三十六歌仙」?の肖像画が掲げられています。
本堂です。
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