しんしょうごくらくじ(しんにょどう)|天台宗|鈴聲山
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楽しみ方真正極楽寺(真如堂)のお参りの記録一覧
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京都市左京区南部散策。くろ谷さんから徒歩で天台宗の古刹、真如堂にお参りしました。
山門も本堂も大きく風格溢れる建造物で境内は広く、紅葉の名所で桜も評判のいい寺院。季節外れなこともあり観光客は見当たらずゆっくりお参りでき贅沢な時間を過ごすことができました。
山号:鈴聲山
宗派:天台宗
本尊:阿弥陀如来(重要文化財)
創建年:永観2年(984年)
開山:戒算
正式名:鈴聲山真正極楽寺
別称:真如堂
札所等:
洛陽三十三所観音霊場第5番(新長谷寺)
洛陽六阿弥陀めぐり第1番
通称寺の会(真如堂)
神仏霊場巡拝の道第111番(京都第31番)
京都十二薬師霊場第5番(薬師堂)
文化財
法華経6巻(国宝)
本堂、絹本著色普賢菩薩像、紙本著色真如堂縁起3巻ほか(重要文化財)

紫陽花と言えば真如堂。ということで参拝。本堂前には菩提樹の花が…もう終わりかけでした😥一週前が見頃だったようでここ最近の雨でかなり散ってました😔本堂にお詣り後御朱印を拝受し、お話を伺うと今年は紫陽花がかなり不調なようで額紫陽花はちらほら咲いているが西洋紫陽花が花芽が全然つかずで花も寂しい限りだとのこと。宇治の三室戸寺もかなり不調だとの情報もお聞きしました😥紫陽花苑へ向かうと確かに満開には程遠いぐらいの状態。ネット情報では13日現在で先始めとなっていましたがこれは日が経っても花は期待できそうにないぐらいの状態でした。冬から春にかけて雨が少なかったので水不足が原因なのでしょうか・・・😔来年は満開の紫陽花を見せてもらいたいですね・・・😥
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真如堂(真正極楽寺)さんの特別拝観に行きました(令和6年11月1日〜12月8日)。
本堂を入って左手の受付にて、御朱印帳もお預けして、拝観後に受取りました。
拝観時間が~16:00(受付15:45)までで、自分の到着が予定より遅れたこともあり、慌ただしい拝観となりましたが、過去にも参拝したことがあるので、それなりに満喫できました。
正式には鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざん しんしょうごくらくじ)といい、比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺です。
984(永観2)年、比叡山の戒算上人が、比叡山常行堂の御本尊阿弥陀如来を、現在地の近くにあった東三条院の寝殿に堂荘厳を施して安置したのが始まりです。
ちなみに東三条院は、藤原道長の姉の藤原詮子であり、円融天皇の女御であり、一条天皇の御母でもあります。
最後に、木彫りの楓のスタンプも置いてあったので、いただいた御朱印に自分の好きな色のものを押させていただきました🍁
(他の参拝客が写ってるので、投稿する写真は限定的ですm(_ _)m)
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【鈴聲山(れいしょうざん)真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)】
本尊:阿弥陀如来
宗派:天台宗
開基:戒算(かいさん)
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第25番~
真如堂は、京都市左京区浄土寺真如町に位置する。正式には鈴聲山真正極楽寺と称する。984(永観2)年、比叡山で修行する戒算上人の夢に、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)(最澄の弟子)が刻んだ阿弥陀像(頷きの阿弥陀)が老僧となって「自分は洛中に出て、あらゆる生きとし生けるもの、特に女人を救いたいと思う。急いで山からおろしてほしい」と告げた。また夢で「神楽岡のあたりに一尺ばかりの檜が千本、一夜中に生えた所がある。それこそ真正極楽の霊地だ」というお告げがあった。戒算上人は、阿弥陀仏をそのお告げの場所である東三条院の離宮に遷座させた。東三条院(藤原詮子)は、藤原道長の姉であり、第64代 円融天皇(在位:969-984)の女御にして一条天皇の母。とても信心深い女性と伝えられている。しかし、いつまでも離宮にとどめておくわけにもいかず、戒算上人は阿弥陀仏を安置するための真如堂を創設する。その後、真如堂は第66代 一条天皇(在位:986-1011)の勅願所となり、多くの人々、特に女性から深い帰依を得ることとなった。
~『百寺巡礼 第三巻 京都Ⅰ』五木寛之(講談社、2003)~
金戒光明寺から真如堂へ。名残惜しいですが茶とらネコさんと別れ、真如堂へ向かいました。こちらのお寺も紅葉がきれいです。
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そして真正極楽寺様の御本堂に到着しました。
真正極楽寺様は天台宗の御寺様で、984年に戒算上人が開創されました。
開創については面白い話が伝わっています。
御本尊の阿弥陀如来像は慈覚大師が彫ったものなのですが、完成間近で「比叡山にて修行者の本尊になって下さい」と言うと阿弥陀如来像は首を横に三度振って拒否…ならばと「京の都に下りて、民衆を特に女性を救って下さい」とお願いすると三度頷かれたそうです。
その後、暫くは比叡山常行堂にお祀りされていたのですが、戒算上人の夢枕に立ち「急いで京に下ろしておくれ」とお告げしたそうです。
比叡山は女人禁制でもあったので戒算上人は東三条院の離宮に遷して御堂を建てたというものです。
こういう話は大好きです(´▽`)
拝観させて頂いた中では、狩野山雪の「寒山拾得」がゾワッとする表情で暫く見入ってました。
また内陣左手の仏間の文殊菩薩像が今にも眼を開かれて語りかけてこられそうで、こちらも「オォ」と声に出して唸ってしまいました(^-^)

今回は京都市内の寺院巡りです。
先ずは、左京区に在る鈴聲山 真正極楽寺です。通称は真如堂。
天台宗で、本尊は秘仏・阿弥陀如来。
この本尊・阿弥陀如来立像は重文です。
秘仏本尊の開帳は毎年11月15日の1日のみ。
3年前の2021年11月15日に来たのですが、コロナの影響で開帳はするものの内陣に入れず、殆ど見えなかったためリベンジ参拝です。(前回分は投稿済ですので、宜しかったら見てやって下さい。)
皆さん多数投稿されていますので、縁起・歴史は割愛します。
何処もそうですが、今年は夏が暑過ぎて、暖冬でもあり、紅葉が遅いです。
こちらで撮った3年前の写真と見比べると歴然でした。
本尊開帳は毎年11月15日の1日のみと記載しましたが、厨子の開帳は11月5日~11月15日で、特に11月15日は厨子の真ん前まで行って本尊を間近に拝する事が出来ます。(公式HPを参照下さい。)
前回訪れた3年前はコロナ禍のため堂内下陣から拝する事しか出来ず、距離があって(10m以上)見上げなければならず、仏像があるな程度しかわかりませんでしたが、今回は内陣まで入れて(5m位)拝する事が出来ました。更に拝観料(500円)を納めると背中に「南無阿弥陀仏」と書かれた笈摺(おいずる)を着させて頂いて、厨子の前まで行って拝観です。厨子は右側面、正面、左側面の3方向の扉が開けられていて、右側の千手観音立像を観て、正面の阿弥陀如来立像を観て祭壇の護符を頂いて、左側の不動明王坐像をそれぞれ1m位の距離から拝する事が出来ました。
ーーー後日アップします。
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毎年10/14-16の間に引声阿弥陀経会が開かれてる真正極楽寺(真如堂)に行ってまいりました。
と言っても、引声阿弥陀経自体は9〜10時の間しか読まれてなかったらしく、訪れた際は静まり返っておりました。
ただ今回の目的である、引声阿弥陀経会の間ご開帳されている摩多羅神の像を見ることはできました。(撮影禁止のため画像なし)
摩多羅神像は、有料拝観できる本堂内陣の左側奥に祀られていました。
小さな金色の皿や祭具が乗せられた祭壇の真ん中に、こじんまりとした厨子が置かれており、その中に30cm程の大きさの像を見ることができました。
像の前には、摩多羅神の説明書きがありましたが、あると知ってないとわからないでしょうね、これは。



この日は雨でした。4月ですのできれいな新緑を見たくて 真正極楽寺とその塔頭をチョイスしました。
ビンゴ!!緑が雨で洗われてとてもきれいでした。
参拝者も少なくて 静かに落ち着いて境内を歩くことができました。
1日かけてのんびり巡ったので それぞれのお寺では それなりに長い時間雰囲気を楽しむことができました。
以前お参りした時は 金戒光明寺(近くにある大きなお寺)から続いてお参りしたため 塔頭についてはスルーしていたので 今回はピンポイントで巡ることもでき お話も伺うことができたので とても有意義でした。
参拝者が少ないということで メリット大でした。
山号は鈴聲山 宗旨は天台宗 ご本尊は阿弥陀如来(重要文化財) 創建年は永観2年(984年) 開山は戒算です。
由緒については
永観2年(984年) 比叡山延暦寺の僧である戒算が夢告によって 延暦寺常行堂の本尊である阿弥陀如来を神楽岡東の東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりである)。
正暦3年(992年)一条天皇の勅許を得て本堂が創建されたという。
不断念仏の道場として念仏行者や庶民 特に女性の信仰を得てきた。
しかし応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱に巻き込まれ、堂塔は焼失した。
本尊は応仁2年(1468年)比叡山黒谷青龍寺に 次いで文明2年(1470年)近江国穴太の宝光寺(穴太真如堂)に避難させた。
応仁の乱が終息すると文明10年(1478年) 一条西洞院に寺地を改めるが 文明16年(1484年)には旧地である神楽岡にもどって再建された。
明応2年(1493年) 真如堂の本堂が完成するが 永禄12年(1569年)将軍足利義昭の命によって一条通北に移転する。
しかし 天正15年(1587年) 今度は豊臣秀吉によって聚楽第建設のために京極今出川に移転する。
慶長9年(1604年)豊臣秀頼の寄進によって本堂が建立される。
寛文元年(1661年)本堂が焼失する。
元禄3年(1690年)に本堂が再建されるが 元禄5年(1692年)には再び本堂が焼失する。
元禄6年(1693年)東山天皇の勅によって現在地に移転し 再建される。
享保2年(1717年)に本堂が完成する。
とありました。
本堂何回も焼失していますが その度に再建されているのはすごいです。
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